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第8話 変化 1

 玄太は見かけと違い、穏やかで楽しい人だった。  食べ終わった弁当箱を差し出しながら“ごちそうさん。この弁当があったら24時間戦えるで”とニヤっと笑う。  由羅の作った夕食を食べながら、“こんな美味いもん食わせてもらえるとは…由羅は俺の救世主やな”と満足そうに微笑む。  テキパキと家事をこなす由羅を見て、“嫁に来るか?”と真顔で言う。  ある日、快晴だった空が突然真っ暗になり、近所に雷が落ちた。  大地が揺れるほどの大きな音に、驚いた由羅の手から皿が滑り落ちて、板張りの床でパリンと割れてしまった。 ―どうしよう…由羅はその場に固まった。皿を割ると叩かれ、その日は食事をもらえない。小柄な伯母に叩かれるのには慣れているけど、玄太のあの分厚い大きな手で叩かれたら…  日本酒の入ったコップを置いて玄太が立ち上がった。そして由羅に近づき、かがんで顔を覗き込んだ。  ―叩かれる!由羅は一瞬ギュッと身を固くした。 「大丈夫か?怪我してへんか?」  予測と違い、玄太はそっと小刻みに震える由羅の手を取った。 「切ってへんな…そうか、雷怖いんか」  由羅の手を何度もひっくり返して確認した玄太が、今度は由羅の体をしっかりと抱きしめた。 「まだ鳴っとうな…通り過ぎるまでこうしとこ」  左腕でギュッと由羅を抱きしめ、右手で優しく背中を摩る。恐怖に身を固くしていた由羅の体から自然と力が抜けた。  言葉どおり雷の音が聞こえなくなるまで、じっと由羅を抱きしめ続けた玄太がゆっくりと体を離し、玄関に立てかけてあったほうきで割れた皿を掃き始めた。 「掃除機持ってきて」  呆然と立ち尽くす由羅に声をかけながら、ちりとりで大きな破片を救ってビニールに入れる。  由羅の持ってきた掃除機のプラグをコンセントに差し込んだ後、“足は切ってへんよな…”と言いながら、玄太はひざまずいて由羅の足の指の間を確認している。その間、由羅は予想外の出来事に声も出せずにいた。 「よし、異常なし。後は俺に任せて風呂入ってこい。雷は戻ってこうへんから」  玄太に促され、風呂に向かいながらも由羅はボーっとしていた。厚い胸にすっぽり包み込まれたせいで、安心のあまり現実感がなくなってしまっていたから。  玄太は割った皿よりも由羅の怪我を心配していた。30分近く、じっと由羅を抱きしめていてくれた。こんなこと今までなかったから。  熱いシャワーを浴びているうちに、引き離された由羅の現実が少しずつ戻ってきた。 “雷、また鳴って欲しいな”と思ってしまい、ダメダメと由羅は湯船の中で首を振る。  実は雷なんて少しも怖くなかった。ただ大きな音に驚いただけ。そして怖かったのはあの大きな手で殴られること。平手ならまだしも、あの大きな拳で殴られたら小さな由羅の体は吹っ飛んだだろう。でも殴るどころかしっかりと抱きしめてくれた。  ―また抱きしめて欲しい。あ、そんなことより、お皿割ったこと謝らなくっちゃ。そう思いながら由羅が風呂を出ると、玄太がシンクに向かって背中を丸めて何かしている。 「うあっ!」 「どうしたの?」  玄太の声に由羅がかけよると、シンクの中に米が散らばっていた。 「風呂入った後に米洗うん面倒くさいやろな思って…すまん、全部こぼしてもた」  由羅がいつもやっているように、内釜を使って米を研ごうとしてシンクにぶちまけてしまった。  がっくりと肩を落とす玄太に笑顔を見せる由羅。自分を思いやってお米を研ごうとしてくれただけでも嬉しい。それが失敗に終わったとしても。 「ありがとう。このザルを使えば簡単なんだよ。見てて、こうやってかき集めれば…」  米を手でかき集めてザルに入れながら、由羅はあることに気がついた。 「もしかして玄さん…洗剤入れた?」 「おお」 「…うわぁ…」  思わず呟いて今度は由羅が肩を落とす番だった。 「洗うんやろ?」 「野菜とか、食べ物を洗う時は洗剤入れないんだよ」 「肉もか?」 「肉はそもそも洗わないし…ここは俺に任せて玄さんはお風呂入ってきて」  今度は立場が逆転した。  ―お米を洗うのに洗剤入れるなんて、いかにも家事をしたことのない若い女の子をあざ笑うためにおじさんたちが考えたネタだと思ってたのに。ホントにあるんだな、こういうこと。  お皿を割ってしまった自分をじっと抱きしめてくれたり、お米を洗剤で洗ったり。 ―玄さんて、現実味がなくておとぎ話の王子さまみたい。今度一緒にお米を研ぐ練習しよう。そう思いながら由羅は米を研ぎ直した。  布団に入りおやすみの挨拶をした後、由羅は米騒動で忘れていた大事なことを思い出した。 「玄さん、お皿割っちゃってごめんなさい」  玄太は全く気にしていないようだったけど、きちんと謝っておかなければと由羅は思った。 「皿?ああ、そんなんまたこうたらええねん。それより怪我がなくてよかった。皿の代わりはいくらでも売ってるけど、由羅の代わりはおれへんからな。気にせんでええで」  気を使っているわけではなく、本心からそう言ってくれている気がして、由羅は戸惑いながらも胸が温かくなるのを感じていた。 「うん。ありがとう。おやすみなさい」 ―やっぱり玄さんておとぎ話の中の人みたい。また雷がくればいいな…その日、由羅はしっかりと玄太に抱きしめられる夢を見た。

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