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第16話 おまじない

  由羅に昔話をしてから半年、玄太は一度もうなされていない。  由羅が呪いをかけて夕食を作り、一緒に食べてくれるため飲酒量が減った。そして薬のことはすっかり頭から消えていた。  あの話をした後、“お母さんに電話しなよ。心配してるよ。俺なんか電話したくてもできないんだからさ”そう由羅に勧められ、4年ぶりに母親に電話をした。たわいもない話しかできなかったけど、“元気でやりよ。体に気をつけてな”最後に涙声でそう言われ…胸に温かいものがこみ上げてきた。  3食手作りの料理を食べ、精神的にも肉体的にもすっかり健全になったせいか、仕事場でも“顔色いいな”とか“彼女できたのか?”と聞かれるようになった。それだけ自分が心身ともに健康になったんだろう。全ては由羅のおかげ。  ところが、その由羅が最近うなされ始めた。 「ん…うう…ごめんなさい…お願い…」  また由羅のうめき声に起こされる。  うなされる由羅はいつも“お願い”と言っている。何をお願いしているのか。涙を浮かべ、冷や汗をかきながらお願いって…何かおかしくないか?  由羅の過去はかなり壮絶らしい。玄太は自分は不幸だと思っていた己が恥ずかしかった。そんなヤワな自分が由羅の苦しみを受け止めてやれるだろうか…うなされるのも、そのうち止まってくれるはず…そう思い、これまでうなされる由羅を起こすことはしなかった。だけど… 「由羅、由羅」  由羅の苦しそうな顔が玄太の胸を締め付けた。起こさずにはいられなかった。 「起きろ…由羅」 「え…」  目を開けた由羅は、突然玄太に抱きついた。 「行かないで…お願い…行かないで…」 「ちょっと待て…行くって、どこ行くねん」 「ヤダ…お願いします…行かないで下さい…」 「落ち着け、由羅」  向かい合いたくても由羅の腕が首から離れない。 「由羅、落ち着いて…まずはこの腕、離してくれ」  背中を優しくさすっても、由羅の腕は離れなかった。  数分後… 「ごめん!俺…何してんだろう。ごめん」  すばやく腕を離し、玄太の前に正座した由羅が謝った。 「謝らんでええけど…由羅、めっちゃうなされとった」 「そう…」 「どんな夢見てるのか聞いてええか?」  由羅は黙ってうつむいたまま。 「俺の話も聞いてくれたやろ。今度は俺が聞く番や」 「たいした夢じゃないよ」 「たいした夢じゃないのに、あんなにうなされるか?」 「…そ、それが…」  夢の中で由羅は玄太とこの家で暮らしていた。そこへ突然、伯父と伯母が飛び込んでくる。 「おまえは幸せになる資格がないんだよ!」 「この人に迷惑がかかるだろう。さあ、山崎さん。行きましょう」 伯父が玄太の手を取り外へ連れ出そうとする。 「お願い、つれて行かないで」 「おまえにそんな権利ないだろう」 「ごめんなさい。でも…玄さんだけは…お願い…」 「うるさいよ」  自分を蹴飛ばして部屋を出ていく伯母と玄太を連れて出て行ってしまう伯父。 「お願い…行かないで…」  少しずつシチュエーションは違っても、伯父と伯母が現れ、玄太をつれて出て行ってしまう。それは同じだという。 「玄さんが…出て行っちゃうんだよ…」  そう言いながら由羅がしゃくりあげる。 「アホやな…」  震える由羅を玄太がそっと抱きしめた。 「なんで俺が出て行くねん。ここ俺らの家やろ?知らん人が勝手に入ってきたら不法侵入やん」  深刻にならないよう、玄太は少し明るい声で言い聞かせるように言った。 「今度そんな連中が来たら俺が叩き出したる。だいたい、俺が大人しく手を引かれて出て行くっちゅうのが気に食わん」  玄太は涙でぐちゃぐちゃになった由羅の頬を両手で優しく包み、自分の顔を近づけた。 「よう見とけ。これが俺の顔や。出て行く俺はこの顔やったか?」  真っ赤な目で玄太の顔を見つめていた由羅が首を横に振る。 「ちゃうやろ。そんな男、勝手に出て行かせろ。俺は由羅のそばにおる」  由羅が目を見開いて…また大粒の涙をポロポロとこぼし始めた。 「色んなバージョンがあるんやろうけど、まず連中が入ってきた時点で俺が叩き出す。次に、もし中まで入って来てもうたら、出て行く男の顔をよく見る。それは俺ちゃうから。“玄さん出てきていいよ”って呼んでくれたら、便所に隠れていた俺が出ていって由羅を抱きしめる。そういう手はずでいこ。な?」 「うん…」  涙をこぼしながら由羅がうんうんとうなずいた。  玄太は落ち着いた由羅を布団に寝かせ、頭をなでながら訊いてみた。 「よく眠れるおまじないとかないかな」  「うーん…昔、父さんが生きてた頃…母さんが寝る前にしてくれたおまじないがあるけど…」 「どんな?」 「寝る前に、キスしてくれた」 「…キ、キス…」 「怖いテレビとか見て眠れなくなっても、母さんがキスしてくれると不思議とぐっすり眠れたんだよね…」 「そうか…」  キスなんかしたら自分が寝付けなくなりそうだと思いながら、玄太は由羅の唇を見つめる。 「俺ももう大人だし…そんなおまじない効かないよ。大丈夫、今度うなされそうになったら、玄さん出てきていいよって呼ぶから」 「…そうやな…そうやけど…一応…」  だけど由羅がぐっすり眠れるならと、玄太は自分の唇でそっと由羅のそれに触れた。 「おやすみ」 「…お、おやすみなさい」 「これでよく眠れるで」 「…うん…」  母さんは俺と兄さんの額に優しくキスをしてくれた。おまじないとは額にキスすることだったのに…何を勘違いしたのか、玄さんは唇にキスをくれた。普通おまじないで唇にキスするだろうか…そう思いながらも幸せな気分になった由羅は、その日から玄太のキスでぐっすり眠れるようになった。

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