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第18話 衝動

「明後日マネージャーになる人と飲んでくる」 「未成年がか?」 「俺はジュースだよ」  歌の才能が認められた由羅は、無料でレッスンを受けながらマネージャーまで付くことが決まった。 「バンドのボーカルになるかも知れないから…そのバンドのメンバーも来るみたい」 「でも…そんな上手い話あるんかな?」 「玄さんの時だって、俺そう思ったよ」 「俺が由羅の才能を最初に見抜いたってことやな」 「そうだね」 フフっと由羅が微笑む。 「そしたら明後日、仕事帰りに迎えに行ったるわ」 ***  仕事が終わった後、帰ろうとする玄太を先輩の城と池田が夕食に誘った。 「俺、車あるんで飲めませんよ」 「俺も」  池田もいつもどおり車で出勤していた。 「じゃあ、俺だけ?せっかくの週末なのに…それならやめとくか…」 「私も一緒にいいですか?」  城がどうしようかと思っていると藤倉が声をかけた。 「藤倉さんも仕事終わり?」 「はい」 「じゃあ、藤倉さんと俺が飲んで、玄太と池さんは運転手ってことで」 「待って、私も行く」  話を聞いていた総務の佐藤が寄ってきた。 「佐藤さん、飲めるんですか?」 「ザル佐藤って呼ばれてるのよ」  5人には近所の居酒屋で飲むことにした。 「藤倉さん…大丈夫?」 「うち、どこでしたっけ?」 「確か都内の方だったような…」 「俺、これから都内に行くんで送っていきます」 「送り狼になるなよ」 「熊は狼にはなりません」  ベロベロに酔った城を池田が家まで送り、自己申告どおり飲んでも全く酔わなかった佐藤は電車に乗って帰ると駅へ向かった。そして、酔って朦朧としている藤倉を玄太が家まで送ることになった。  由羅を乗せる頃には酔いが冷めてるやろう…と、助手席で眠る藤倉を見ながら、玄太は由羅が連絡をくれた場所へと向かう。目的地の近くで車を停めると藤倉が目を覚ました。 「大丈夫ですか?」 「はい…すみません…」 「水、飲みますか?」 「はい」  玄太は近くの自販機で水を買って藤倉に渡した。 「すみません…ここから自分で帰れます」 「ここまで来たんですから、送りますよ。もう一人乗るんで、ちょっと待って下さいね」  一方、玄太の車を見つけた由羅は…助手席の女性に気づき立ちすくんだ。  玄さんの隣に…女の人?頭が真っ白になり、その場から動けなくなった。 「おい、由羅!こっちやで」  玄太が窓から顔を出して叫んでいる。  間違いじゃない、玄さんの隣に女の人が乗ってる… 「どうした?見えへんかった?」  立ち止まったまま動かない由羅に、車を降りた玄太が駆け寄った。 「あ…うん…」  どうしよう…体が…震えてる… 「どうした?」  玄太に顔を覗き込まれた由羅が後ずさった。 「何でもない。早く帰ろう」  無理に笑顔を作って車に向かう。 「先に会社の人を家に送って行くから」  運転席のドアを開けながら玄太がそう言い、由羅は黙って後部座席に乗り込んだ。 「こんばんは」 「こんばんは…」 「すみません、巻き込んでしまって…初めまして、藤倉です」  藤倉…あのチョコの人だ…  固まって言葉が出ない由羅の代わりに玄太が紹介を始めた。 「親戚の由羅です」 「そうですか…お弁当の子…」  由羅が玄太の弁当を作っていることは、職場の誰もが知っていた。 「じゃあ、藤倉さんの家に行きましょか」  藤倉の家に向かう途中、カーナビのない車で当たり前と言えば当たり前だが、玄太は藤倉に道順を聞いていた。少し運転席の方に体を寄せて“そこを右です”と言う藤倉。顔を助手席の方に寄せながら、“あそこですか?”と玄太が答える。  自然と体が近づく二人の姿を見ながら、由羅は奥歯を噛みしめて震える体を抑えた。時々玄太が後ろを振り向いて“寒いんか?”と聞いてくれるけど…頭を横に振るのが精一杯だった。 「ありがとうございました」 「気をつけて。また月曜日に」  マンションの前で車を降りる藤倉に玄太が手を振る。藤倉はニコッと微笑んでマンションに入って行った。  由羅にはそんな藤倉を見送る余裕はなかった。“由羅君、つき合わせてごめんないね”と、車を降りながら言われたけど…“いえ”としか答えられなかった。  藤倉は素敵な人のようだ。家に着くまでの間、何もしゃべらない由羅に何度も“ごめんね”と言っていた。声も綺麗で顔も可愛らしかった。中肉中背で小柄、会社帰りだからか化粧も派手過ぎす、清潔感のある格好をしていた。  玄さんとお似合いだ…それ以上考えると発狂しそうで、由羅は頭を真っ白にするよう必死で思考を打ち消した。 「由羅、席移るか?」  藤倉を見送った後、玄太が後部座席を覗きながらそう言った。 「え?うん…ううん」  玄太の横に座った途端、泣き出してしまいそうで、由羅は後部座席で顔を隠して横になることにした。 「俺、横になってるから…」 「そうか…疲れてんのに、つき合わせて悪かったな」  藤倉のために謝る玄太が嫌だった。だからクッションを頭にかぶって寝たフリをした。  家に着いた後も、由羅はできるだけ玄太の顔を見ないようにしてシャワーを浴びて布団に入った。玄太が“どうした?”と気遣ってくれたけど“何でもない”とだけ答えた。  いつか…いや、近いうちに玄太に彼女ができるかも知れない。  そしたら俺はどうすればいいんだろう…付き合い始めてすぐ同棲ってことはないだろうから…執行猶予はあるだろうけど、やはりここを出るなり、玄さんが彼女の家に引っ越すなりすることになるんだろう。そう思うと胸がつぶれそうで、息苦しくなる。  玄太と離れたくない。だけど自分に引き止める権利はない。何より玄太の幸せを邪魔したくない。  だから…頑張らなくちゃ。笑顔で“玄さん、彼女ができてよかったね”と言ってあげなくちゃ。  そう思いながらも体の震えは止まらなかった。  玄さんに捨てられたら…死にたい。生きていたくない。でも俺が死んだら…玄さんは後味の悪い思いをするに違いない。どこか玄さんの知らないところへ行って死のうか…そんなことをグルグル考えているうちに朝になってしまった。  横で玄太が起き出す気配がする。由羅は布団をかぶって寝たフリをしていた。“うーん”と背伸びをした玄太が襖をあける音がした。  由羅はいつ布団から出ようか悩んでいた。一日中布団の中にいられるわけはなく…かといって、布団から出て玄太に顔を見られたら…一睡もしていないのがバレてしまう…  一方、玄太は昨日から由羅の様子がおかしいことに気づいていた。マネージャーと飲むと言っていたので、その席で何かを言われたのか。もしそうだとしても、昨日のあの態度はおかしい。今だって、いつも自分より早く起きて朝食の準備をする由羅が布団にもぐっている。絶対に何かある…もしかして…マネージャーに何かされたのか?  デビューさせてやるからと何かされたのかも知れない。いや、由羅は男だし…いや、男でも由羅ぐらい可愛かったらやりたいと思うヤツがいてもおかしくない。もしそうなら…マネージャーを殺す。  玄太は由羅の布団を剥ごうと心に決めて襖の前に立った。するとちょうど襖を開けて出てきた由羅とかち合った。 「おっ」 「あっ。おはよう」 「おはよう」 「ごめん。遅くなっちゃったけど、ご飯準備するね」  それでも自分と目を合わせようとしない由羅。目が充血していて一睡もしていないように見える。やっぱり何かあると思った玄太は、パンを食べながら探りを入れてみることにした。 「昨日の飲み会どうやった?」 「俺、バンドのボーカルやることになりそう。ギタリストの人も来てた」 「そうか…マネージャーはいい人そうか?」 「うん。水谷さんて人で、前は記者をしてたんだって」 「そうか…」  この様子だと、マネージャーに襲われた可能性はない。それならなぜ?今も由羅が平静を装いながら緊張しているのが分かる。話してくれる気があるなら、とっくに話してくれているはず。ということは、自分に言えないことか。でも言えないことって何だ?玄太はスクランブルエッグを頬張りながら必死で頭を回転させた。 「由羅」  食事の後、片づけをしている由羅を座らせ、玄太が真剣な顔で問うた。 「何か隠してることとか、不安に思ってることとか、俺に話せへんことがあるやろ」  どんなに考えても分からない玄太は、直球で聞くしかないと結論を出していた。 「どんなことでもええ、話してくれ。俺に話してヤバいことなんか何にもない。何を聞いても怒らんし、笑わへんし、呆れへん」  自分を見ようとしない由羅を見つめ、わずかに逃げようとした両手を取る。その手は小刻みに震えていた。 「見られてると言えへんなら…言ってくれるまで顔上げへんから」  由羅の手をしっかりと握ったまま、玄太は下を向いた。 「罵倒でも、叱咤でも何でもええ」 「…玄さんに彼女ができたら…俺…ここを出て行くね」 「はあ?」  思わず顔を上げる玄太。由羅は相変わらずうつむいている。 「いつか玄さんだって結婚するだろうし、いつまでも俺と一緒にいられないのはわかってる。だから…そういう相手が現れたら…早めに言って欲しいなって」 「何でそんなこと思ったん?」 「前から思ってたよ。当たり前のことだし」  確かに自分が結婚する可能性はある。それを言うなら由羅だって同じだ。玄太は体の奥から苦い感情が湧き上がるのを感じた。 「ただ、そんなこと考えてたら、挙動不審になっちゃんたんだよ。大丈夫。いざとなったら、ちゃんと祝福してあげられる」 「俺は…できへんで」 「へ?」 「由羅に恋人ができて…結婚するって言われたら…」  由羅の手を握る玄太の腕に力が入った。 「玄さん、痛いよ」  由羅が他の奴に笑いかける。そんなん…絶対イヤや… 「ちょ…玄さん…」  玄太が由羅をギュッと抱きしめ、そのまま押し倒した。 「待って…ちょっと…」 「由羅は…誰にも…渡さん…」 「んっ…」  突然口づけられ、パニックになっている由羅の唇を割って玄太の舌が入り込む。由羅の頭を片手で押さえ込み、舌で口腔を撫でまわす。そして、もう片方の手で由羅のシャツをたくし上げた。 「ん…ん…」  舌と唇をきつく吸った後、玄太の唇が由羅の首筋に吸いついた。 「あぁっ…玄さん…やめて…」  玄太がしたいなら何をされても構わない。だけどさっきの話の流れから、どうしてこうなるのか。せめて玄太の気持ちを聞きたかった。 “ジージージー”  玄太が狂ったように由羅の素肌を舐めているとスマホが鳴った。ハッと我に返った玄太が体を離す。 「も、もしもし。あ、どうも…いえ…」  由羅はキスされた首筋を押さえ、破裂しそうな胸を落ち着けようと深呼吸しながら玄太の話を聞いていた。 「え?昨日のお礼ですか?」  その言葉を聞き、由羅はとっさに玄太に目を向けた。  藤倉さんだ…玄さんに会いたいって言ってるんだ…  悲壮な目で縋りつくように自分を見つめる由羅に、玄太は気がついた。玄太の視線に気づいた由羅がパッと立ち上がり襖の部屋に入っていく。 「え、ええ。すみません、今日は予定があるので」 『そうですか。じゃあ月曜日に』 「はい」  これでわかった。由羅がなぜ彼女だの結婚だの言い出したのか。自分が昨日、藤倉を車に乗せていたからだ。急いで襖を開けると、由羅が立ち尽くしていた。背を向けているから顔は見えないが、少し震えているのがわかる。 「藤倉さんでしょ。彼女、玄さんのことが好きなんだよ」 「そうかもな」 「今日会えば告白されるんじゃない?」 「そうかも」 「よかったね。可愛い人に好かれて」 「今日は会へんて断った。でも…由羅が会えって言うなら、今から電話して会って来る」 「え?」 「告白されても付き合う気はない。でも由羅が付き合えって言うなら付き合ってみる」  玄太の言葉は聞こえていた。だけど頭が真っ白になって何も考えられない。由羅は混乱する頭を必死で整理しようとしていた。 「どうする?由羅はどう思う?」  由羅に引き止めて欲しかった。誰とも付き合うなと言って欲しかった。祝福なんてできないと言って欲しかった。 「俺は…玄さんの幸せを…邪魔したくない」 「俺の幸せって?」 「素敵な彼女作って…結婚して…」  それ以上しゃべると泣き出しそうで、由羅は言葉を止めた。 「わかった…それなら藤倉に会って来る」  玄太が部屋を出ようとする。由羅はとっさに玄太の背中にしがみついた。 「行かないで!玄さん…ヤダ…行かないで…お願い…」 「彼女作って欲しいんちゃうん?」 「ヤダ…ヤダよぉ…誰にも…渡したくない…」  もう限界だった。玄太はしがみつく由羅を無理やり引き離し、正面から抱きしめた。そうだ。そう言って欲しかった。自分だって由羅を誰にも渡したくないんだから。 「俺もや。俺も由羅を誰にも渡したくない」  泣くのは自分の前でだけにして欲しかった。自分だけが由羅を抱きしめたかった。 「玄さん…玄さん…」  玄太はしゃくりあげる由羅を力いっぱい抱きしめた。力いっぱい抱きしめて、このまま一体になってしまえれば…  “ん…”と苦しそうな由羅に気づき腕を緩める。一体になるどころか抱き潰してしまうところだった。 「ごめん、力入れすぎた」  そう言って震える背中を優しくさする。 「ごめんな。心配させて。俺…藤倉のことホンマに何とも思ってないから、由羅が心配してるのも気づかんかった」  肩を上下して泣きつづける由羅の頭に頬ずりをした。 「ごめん…不安にさせて、ごめんな」  由羅はしゃくりあげながらもうんうんとうなずく。 「俺は由羅もんや。誰にも渡すな」  うんうんとうなずき続ける由羅。 「もう心配すんな。俺の一番はいつでも由羅やから」  髪に、頬に、唇に、額に優しく降ってくるキスに安心して、由羅はそのまま玄太の腕の中で眠ってしまった。

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