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部屋に戻る前に売店に寄った。
アオくんが地ビールをいくつか見繕ってカゴに入れて、おつまみを見てた先輩のところに行こうとしたとき、先輩は二人組の若い女の子に話しかけられていた。
「どこから来たんですかぁ?」
語尾の伸びた高い声。先輩は笑っている。
「浴衣かっこい~」
「一緒に写真撮っていいですかぁ」
苦笑しながら、いいけど、と言って女の子二人に挟まれながら写真を撮っていた。
アオくんはにわかに面白くない気持ちになる。
嫉妬なんてかっこわるいから考えないようにしていたけど、先輩がデレデレしてるように見えて、心に泥が混ざる。
特に先輩に近付いている髪の長い女の子、肩が出た小さいトップスを着てジーンズの間からおへそを覗かせている、細い細いウエスト。
しかも胸が大きい。
スレンダー巨乳で見上げてくる背丈。
先輩のストライクゾーンど真ん中。
「え、彼女と来てるんじゃないんですか?
じゃあこれから一緒に飲みましょうよ~」
巨乳の子が先輩の腕を掴む。
……先輩は身長も高いし身体つきもいい。
眉はきりっと強気に上がってるけど黒い瞳のたれ目が優しげで、笑うと目尻に皺が寄る。
見た目はいいのだ、普段ふざけててガサツでテキトーだから、忘れそうになるけど。
そしてやさしい。
人を無下に扱わない。
行動で誠意を伝えてくるタイプ。
だからほんとはモテる、こんなふうに。
自分と、こんな、男と付き合ってなければ、先輩の好きなスレンダー巨乳のかわいい女の子とこういうところ、来たんだろうな。
さっき舞い上がって橋の上で撮った写真を思い出して、どろどろした重い気持ちに自分で嫌気が差した。
アオくんは無意識に、カゴを握る手に力が入る。
よくない、落ち着こう、と思って、ふいっと顔を背け、その場を離れようとしたとき。
「いや、連れと来てるから」
リュウ先輩の真っ直ぐな声が背中に届いた。
そして、あ、どこ行くんだよ、と先輩がアオくんに気付いて、歩み寄り、手首を掴む。
「あっ、お友達も一緒に……」
浮つく女の子の声を遮って、先輩はアオくんをぐいっと引き寄せた。
「ごめんな、友達じゃないんだ」
ぎゅっと肩を抱かれて、アオくんは先輩のセリフにびっくりして俯いていた顔を上げてしまった。
な? と笑いかけてくる。
目の前の黒い瞳、目尻に柔らかく皺が寄るのを見て、アオくんは耳先まで真っ赤になってしまった。
女の子たちは「えっ」と言ったまま一瞬固まった。
目の前の黒髪イケメンの言葉の意味と、抱き寄せられた細身の男の子、顔を上げたら色白の美青年。
透けるような淡い瞳、白い頬がぱっと赤くなっていて。
「何本買った? 二本でいいの、お前」
先輩はもう女の子たちに目を遣らず、アオくんが持つカゴの中身を見ていつも通り話しかける。
アオくんは恥ずかしさ、照れ、そして胸をくすぐる嬉しさに頭がまだ混乱して、息が詰まって何も言えずにいた。
無意識に、先輩の浴衣の袖を摘まんだ。
部屋に戻りながら。ロビーの扉を開けて、切妻屋根の外廊下。
「……やりすぎです……」
まだ頬が熱いのを、眉間にしわ寄せてごまかしながらアオくんは呟く。
「なにが。嘘じゃねーだろ、友達じゃないじゃん」
先輩は持っていた売店のビニール袋を持ち替えて、横を歩くアオくんの腰に腕を回した。
「ただの先輩と後輩、だもんな~?」
顔を覗き込んでニヤニヤ笑うたれ目を、アオくんは悔しそうに睨んで、「まじでうざい」と意味のないことしか言えなかった。
◇◇◇
広縁の籐椅子に腰掛けて缶ビールで乾杯する。
緑の庭は灯籠の灯りがついて、夕暮れの金色がどんどん影を濃くしていく。アオくんは先輩と話しながら、タブレットで絵を描いていた。
「なんでタブ持って来てんだよ」
「相棒なので」
「仕事のファイル開いたら即没収な」
冷えた缶ビールのシュワシュワが喉を滑っていく。先輩は笑っている。
「休みの日まで仕事してたら、フラれるぞ」
「それ先輩でしょ?」
タブレットで、普段使わない水彩筆ツールを選んで、薄暮の庭を淡く描いていく。アオくんも画面に目を落としながら口元を緩ませている。
「7年付き合った彼女に最後言われたのが『仕事と寝てろクソやろう』だからな」
「こわ」
くすくす笑うアオくん。
先輩の元彼女の話はたまに話題に出る。高校から付き合って、野球部のマネージャーで、誰より気が強くて、巨乳。
先輩が美大に入って離れ離れになっても別れなかった。でも会社に入ったら、忙しすぎて、物理的な時間が取れなくて、そしてすれ違いはどんどん溝となる。
好きだったんだろうなぁ、とアオくんは思う。
最後ひどいこと言われても、それまでに積み上げた時間の方に目を向ける人だ、先輩ってそんな人。
一度好きになったらきらいになることなんて、ないんだろう。だから、未練とかじゃなくて今もこうやって、笑って思い出せる。
さっきの売店ではぐちゃぐちゃといやな気持ちになっていたのに、今先輩の本気で好きだった人の話を聞くと、なぜだか心が穏やかに、少しだけきゅっと切なくなる。
それは心地いいくらいの小さな締め付けだった。
ゆるゆるとお互いの学生時代の話をして、少しずつ互いの知らない過去を埋めていく。陽は沈み、薄暮の紫色の空気の中で、窓硝子に自分たちが映る。
ちびちび飲んでいた缶ビールはもう無くなった。
「っはあ~……。夕食まであと30分くらいか? ちょっと寝ようかな……ねむい」
「起きれます?」
「起こせよ」
肘掛けに肘を突いて、こめかみのあたりで頭を支えながら先輩はもう目を瞑っていた。口元は笑っている。
「……起こしますよ。おやすみ」
「ん、」
先輩の寝顔を見つめるアオくん。部屋の電気は点けていない。夕暮れの空の淡い光と、庭の灯籠の柔らかいオレンジ、アオくんのタブレットの液晶、それらだけが光る。
庭の水彩画のキャンバスを閉じて、新規キャンバスを開く。
アオくんは淡い薄暮れの中でぼんやり見える、先輩の横顔をスケッチした。
賢しげな額と通った鼻梁と、真っ直ぐな睫毛が伏せられた眼窩の影。すっと薄い唇。こめかみを支える大きな手。
これは、絶対に先輩には、見せないって決めた、アオくんだけのスケッチ。
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