4 / 6
4
夕食の時間が近付いて、暗くなった部屋の電気を点ける。
「先輩、もう19時……ってうわ、よだれ」
きったないです、とティッシュを投げつける。
「……すっげぇ寝た気分」
まだ覚めきらない目で、リュウ先輩はティッシュで雑に口元を拭った。腑抜けた顔を見て、なんでおれはさっきまでこんな……とアオくんはタブレットの中身とそれに閉じ込めた感情を思い出し恥ずかしくなってくる。やっぱり絶対、先輩には見せない。消しはしないけど。
時間通り、仲居さんが夕食を運んできた。
九谷五彩の器に先付の金目鯛の炙り、橙 のジュレ、汲み湯葉、美しく盛り付けられた季節の小品。
箱根寄せ木の八寸は鮑 と白瓜、椀物は輪島塗で鱧 、お造りは座卓の真ん中に舟盛りが置かれた。
「すご」
座卓の上にどんどん置かれる高そうな器と上品な会席料理。
二人とも圧倒されて、仲居さんの説明が耳に入ってこない。
焼き物は和牛ステーキ、焼石の上で自分で焼くやつだった。
「やば」
「お飲み物いかがいたしましょう?」
「……地酒でおすすめってどれですか?」
仲居さんに生酒の冷酒を教えてもらって、冷えた硝子のお銚子とぐい呑みが出てくる。
涼やかな紺青の硝子にとろりと冷酒が注がれて、華やかな香りが立ち上る。
乾杯して、一口飲むと水のようにスッと喉を通っていった。
「……おいしい」
「飲み過ぎんなよ」
頬を緩めたアオくんに先輩が笑う。
「仲良しねえ、お友達?」
年嵩 の仲居さんがお酌しながらにこにこ話しかけてきて、
「いやちがいま、」
「会社の先輩後輩です」
先輩の言葉を遮ってアオくんがにこやかに答えた。
あらまあお仕事?
そんなところです。
にこにこ答えるアオくんに先輩は夕方のやりとりを思い出して、根に持ってるな、と苦笑した。
◇◇◇
そのあともどんどんお酒が進んで、二人で向かい合って食べる豪華な会席料理、非日常的なそれに浮ついて、上機嫌な時間を過ごした。
「けっこう飲んだな」
「でもあんまり酔ってないです、いいお酒って酔わないんですねぇ……」
酔ってない、と言いながらアオくんは頬と耳先を赤くして目尻も赤らめている。
広縁の籐椅子に座ってペットボトルの水を飲んでいた。夕食の片付けも終わって仲居さんが布団を敷いてくれている。
窓の外は夜。
庭の灯籠と星明かりだけが光っている。
ビルやマンションの明かりは、ここにはない。
「大浴場、行くか? 露天風呂あるんですよねー?」
ちょうど布団を敷き終わった仲居さんが、ええございますよ、1時まで開いてます、と教えてくれて、ごゆっくり、と部屋を出て行った。
「おれは……いいです。先輩、行ってきて」
ペットボトルの口を唇に当てながら、ふんわり笑ってアオくんは言う。
声もふわふわしている。
酔ってないけど、いまお風呂入ったら、すぐのぼせちゃいそう。
待ってるから、ゆっくりしてきて。先輩。
とろりとした目元で言われたら、離れがたくなる。
じゃあ俺ももう少しあとで、と先輩が言い出すと、
「行ってきてってば」
アオくんがおかしそうに笑った。
先輩がお風呂好きなの、アオくんは知ってる。
◇◇◇
大浴場の外、石造りの露天風呂は広くて、いくらか人がいた。
リュウ先輩は端の方で大きな石に寄りかかり、肩まで沈んでいく。はぁ、と湯に溶ける安堵のため息。
一日、アオくんと一緒にいた。毎日会社では朝から晩まで顔をつき合わせているけど、それとは意味合いが違う。
色んな顔を見た一日だった。朝一番の寝ぼけ顔、車の助手席ですぐにすうすう寝てしまう、安心した寝顔。旅館に着いて目を丸くしていて、それだけで連れてきて正解だったなって思った。なんでこんな高いとこ、って顔赤くして文句言ってるの、そんなのお前は気にしなくていいのに。気を遣ってほしくなんかない。
だから、部屋の内湯で背を預けながら、ゆっくり好きなことたくさんしたいって、見上げられたときは震えるほど嬉しかった。日々労働でぼろきれみたいになりながらすり減っているお前が、好きなこと、たくさんしたいって、俺の横で。そんなこと言われたら甘やかしたくなって、仕方ない。
ふざけて『青がかわいいから』なんて言ったけど本心だった。そんなこと冗談にしないと言えない、でも冗談にしてでも、言いたくなってしまった。
だって、本当にかわいい。
安心して預けてくれる身体も、見上げてくれる淡い瞳も、普段絶対ベタベタしないくせにテンション上がったらあっちから肩寄せて写真を撮るなんて。
うれしそうな顔をされたらたまらない気持ちになる。
素直じゃないくせに、素直。
嫉妬してそんな自分も嫌、とか思ってそうな苦い顔、そういう弱さもすべて愛しい。「こいつの全部は俺のもの」ってみんなに言ってやれたらいいのに。照れ隠しなんか意味なくすくらい。
どうしてこんなに好きになったんだろう。強情っぱりで弱いくせにプライド高くて負けず嫌いで、めんどくさい性格してるのに。
感情に素直な淡い瞳も、指をすり抜ける細い髪も、華奢な腰も、白くて薄い肌が照れるとぱっと赤くなるところも、どうしてこんなに、心を揺さぶってくる?
──でももう、理由なんか、どうでもいいな。
『待ってるから、ゆっくりしてきて。先輩。』
赤く緩んだ目元はアルコールのせいだけじゃないだろ。
きちりと合わされていたはずの襟元はすこし崩れて、細くて真っ直ぐな鎖骨がちらりと見えていた。水を飲む潤んだ唇。
ああ、どうしようもなく、触れたい。そう思ってしまって、先輩はざばりと湯から立ち上がった。
◇◇◇
ともだちにシェアしよう!

