46 / 48
第46話 ピアノ
昨日のタスクの事はもう忘れていた。
月夜見はあの部室に行ってピアノが弾きたい。
久しぶりに触った鍵盤が楽しかった事を思い出した。ピアノを弾く喜び。
部室は誰もいなかった。埃を払ってピアノの前に座る。
楽しくて、懐かしい練習曲を思い出しながら、夢中で弾いた。自分のアドリブで弾いた。
途中から海斗が部室に入って来た事にも気がつかない。
狭い部室の空間は宇宙だった。心は広がって行く。宇宙の奥の奥。宇宙論的原理。暗い穴の中。一つの穴の空間に銀河が閉じ込められている。
その穴が無数にある。一つ一つに銀河宇宙が存在する。気の遠くなるような広がりが閉じ込められている。何億光年という距離。計り知れない時空。ピアノの音が止まった。月夜見は疲れた指を揉んでいる。
海斗は我に返った。
「ああ、海斗って言ったっけ?
俺、勝手に部室に入ってピアノ弾いた。」
「ああ、ここはいつも開けっぱなしだ。盗まれるものは何もないからいいんだ。
金目のものは、翔のギターだけ。俺が持ち帰ってるから。それより、おまえのピアノ、すげえなぁ。」
月夜見のピアノが海斗を宇宙の果てに連れて行った。仏教では恒河沙と表すくらい果てしない宇宙の奥の奥。
ピアノに連れて行かれた。
「すごいな、おまえのピアノ。」
「えっ?久しぶりだったんだ。楽しいよ。
海斗も弾けるんでしょ?」
「おまえの後じゃ弾けないよ。」
海斗は今経験した事に驚いている。宇宙が見えた。部室が消えて宇宙の空間が頭の上で渦巻いていた。
「おまえは一体何者?」
「えっ?何者でもないよ。今は高校生だ。」
海斗は自分が気持ちのいい音楽で夢を見たのかと思った。月夜見に好感を持った。
「おまえ、綺麗だな。
綺麗な奴っていいな。警戒心が無くなる。」
「何だよ。俺が何かした?」
今はいつもの汚い部室に戻っている。
「俺、帰るよ。」
「あ、一緒に帰ろう。」
海斗は慌てた。このまま帰ってしまうと、もう話をする機会は失われてしまうか、と思った。
並んで狭い校庭を横切った。自動販売機を見つけた。
「なんか飲まない?」
「ああ、じゃあ、甘いコーヒー。」
近くのベンチに座った。月夜見が手のひらにジャラジャラと小銭をくれた。
ともだちにシェアしよう!

