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二月 バレンタインデー 前編
「社長、チョコあげるぅ~」
一ノ瀬が本店に出勤すると、エントランスに入ったところで、そう自店舗の風俗嬢に声を掛けられた。
その後、事務所でPCを叩いていると、店の嬢が、出勤時や上がりしなに次々に、顔を出す。
今日はバレンタインデー。
一ノ瀬はデスクの上にチョコが山になってしまったので、紙袋をスタッフに用意して貰ってなんとか片付ける。
グローを吸い付けながら辛党の一ノ瀬は、この毎年のことに頭を悩ませていたのだが。
そもそもこんな事になったのも、一ノ瀬が原因だった。
ホワイトデーにお店の女子へ一律、その年話題のスイーツを労いに配っていたのが全ての始まりだ。
「気を遣わないでって言ってるんだけど……」
紙袋の中は様々だ。彼女たちにとっては、日頃の感謝のつもりなのだろう。
一日の業務を終える頃には、貰った紙袋はいっぱいになっていた。
一ノ瀬はチラリと、パンパンになった紙袋を一瞥する。
「……まあ、今年は黒崎がいるしな」
黒崎は、一ノ瀬とは真逆で甘党だ。
好物は昔からエクレアなので、チョコが駄目と言うことはないだろう。
一ノ瀬は貰ったチョコレートを例年、男性スタッフに全部押しつけてきたのだが、今年は黒崎に食べて貰おうといくつか紙袋から彼の好きそうなモノを残して、後はデスク上に戻した。後で仕事終わりの男性スタッフが持って帰るだろう。
「それじゃ、僕上がるね。みんなご苦労様」
マンションに戻ると、黒崎は風呂上がりなのか、首にタオルを掛け、居間で書類を広げているところだった。
「ただいまあ。え、ちょっと、黒崎、そんな格好で仕事しないで、風邪引くよ?」
「ああ? ああ……」
おそらく集中しているのだろう。
黒崎はうわの空で返事をする。
職業が弁護士の黒崎の書類は覗かないようにして、一ノ瀬はカーディガンを取ってくると、黒崎の肩に掛けた。
それから、持って帰った紙袋をソファの片隅に置く。
「あ、そうだ、黒崎。チョコ貰ったから食べて。甘いもの好きでしょ」
そう言い置いて、一ノ瀬は夕食を事務所でデリバリーを取ったので、そのままバスルームへ直行。
スッキリして出てくると──くだんの紙袋は、そのまま、ソファに置かれたままだった。
「あれ? 黒崎、甘いもの好きだよね?」
ビールを片手に紙袋を除けると、黒崎の隣に、一ノ瀬は腰を下ろした。
「黒崎?」
一ノ瀬の怪訝な声に答えたのは。
「今日、なんの日だ」
と、不機嫌そうな黒崎の声。
「え、バレンタインだけど」
それきり返事が無い。
「……黒崎、まさかいつものやきもち?」
「悪いか」
ぷくりと頬を膨らませそうな黒崎に、一ノ瀬は笑ってとりなした。
「そんなんじゃないってば、黒崎、これ皆お店の女の子からだって。たぶん、お中元かお歳暮の感覚なんだと思う。黒崎だってチョコ貰うでしょ?」
「給湯室に女子職員一同って書かれたチョコの大箱が置かれてた」
「ああ……そう……」
合理的な職場バレンタインだ。
「ねえ、黒崎、チョコ食べない? いつもは全部置いてくるんだけど、君、甘いもの好きだから、良さそうなの選んできたんだよ?」
すると黒崎は手にした書類に目を向けたまま一ノ瀬に顎先を伸ばし──
「あ」
と言って、口を開けた。
「え? あ、ちょっと待って?」
一ノ瀬は慌ててゴソゴソと箱からチョコを出して食べさせる。
摘まんだチョコを黒崎の唇の隙間に押し込めたら、そのまま指先をちゅっと吸われた。
黒崎の柔らかい唇が一ノ瀬の指先に触れる。
「んっ❤︎」
思わず声を上げると、黒崎はもう一度口を開けた。
「あ」
一ノ瀬はもう一粒を摘まんで黒崎に食べさせる。
今度はぬるりとした熱い舌先までもが、一ノ瀬の指先に吸いついた。
「もっと」
チョコを食べ終えると、黒崎はまた口を開ける。
「もう! 鯉じゃ無いんだから! 黒崎わざとやってるでしょ!」
一ノ瀬がそう言って苦笑すると、書類から初めて、黒崎が視線を上げた。
「無論だ」
真顔で答えられ、一ノ瀬は反論に窮する。
「で? お前からのはどれなんだ?」
「え、僕から?」
一ノ瀬は、たじろぐ。
「その、紙袋の一番底にあるのが、僕が作ったトリュフチョコレートで……す」
実は、作ってあったのだ。
恋人同士になった最初のバレンタインだ。イベントごとが好きな一ノ瀬が、外すわけも無い。
ただ、今更五十も過ぎて、どんな顔で渡せばいいのか分からず……一ノ瀬は、言わずに食べさせてしまおう、と考えていたのだ。
「とっとと食わせないんなら、お前を食べるぞ、一ノ瀬」
意地悪く笑う黒崎。
「も、明日も仕事なの! 黒崎もデショ。はい、もう寝る! ベッド行くよ!」
「一ノ瀬」
黒崎は立ち上がった一ノ瀬の手を取り、指を絡める。
「黒崎?」
「ありがとう」
一ノ瀬は気恥ずかしそうに反対の手でこめかみを掻いて、それから、握られている手を引いた。
「じゃあ、黒崎は僕にチョコあるの?」
「えっ」
黒崎は驚いた声を上げる。
「一ノ瀬は、甘いもの苦手だろ?」
すると一ノ瀬が、黒崎の耳元に囁いた。
「ないの? しょうがないなあ。それじゃあ僕に黒崎を……」
黒崎がごくりと唾を飲み込む。
「下のお口で食べさせて?」
一ノ瀬の下品なお誘いに──
黒崎は激しく頷いたのだった。
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