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第50話
でもその苦笑が気持ちをはっきりと切り替えてくれた。
よし! やるぞ! と声を出して部屋の埃を払い始めると、本棚に並んでいる本に目がいく。
「……『性分化抑制剤の基礎理論と応用』『オメガ性制御薬理学序説』『フェロモン抑制機構の臨床記録』…………」
ほんの数冊の背表紙を見ただけで、そこに収められている本が抑制剤に関するものだとわかる。
「『第二性における薬理的中和の可能性』……それと『オメガ薬理史秘録』」
英語じゃない海外の背表紙のものは読めなかったけれど、ものすごく専門的な本ばかりだ。
分厚く、そして読み込まれた本を眺めて、トーマの仕事は抑制剤にすごく踏み込んだ研究なのかもしれないって思うとちょっとそわりとした気分になる。
僕は体質からか市販の抑制剤が効きにくくて、新しく開発された薬を処方してもらうまではすごく大変だった。
副作用はあるけれど、その薬は僕の発情期を普通に過ごせるくらいまで楽にしてくれて、とても感謝している。
その薬にトーマが関わっているかもしれないと思うと、嬉しくなって……
「今日のパイは、ちょっと頑張っちゃおうかな」
僕は小さく笑って本棚の埃を拭った。
本日のパイは季節のイチゴ! 少し熟れすぎたものを使うのがポイント!
本当は砂糖にまぶして一晩置きたかったんだけど、そこはショートカットしてイチゴのジャムとコンポートを作る。
パイ生地はお手軽に冷凍のを使って、食べやすいように細長い形にして手で持って食べられる型に焼き上げたものにチョコでささっと飾りをつけて……
ルカはこれがとっても気に入ってくれて、両手に持って目をキラキラさせながらサクサクと脇目も振らずに一心に食べてくれる。
食べ過ぎも良くないから小さいサイズで作ってるんだけど、それを大事に大事にちまちまと齧っているのを見て、「また作るよ」って言うと水色をしたオパールの瞳がきらりきらりと光を反射する。
「つくぅー」
「うん、作るよ。イチゴの次はさくらんぼのパイもいいね」
「ぼ!」「ぼ!」と喜ぶルカと一緒に夕飯を取って、お風呂に入れて寝かしつけた後、明日の朝食の準備をしている最中に玄関が唐突に開いた。
いつものように穏やかな開き方じゃなくて、一瞬何事⁉︎ って身構えてしまう音だった。
「お……おかえりなさいませ」
トーマはいつも通りに見えたけれど、纏う空気が刺々しい。
迎えの挨拶はしたけれど返事もないし……何よりトーマの背後にいるリンの目元が赤く染まっている。
「今日はもういい、帰りなさい」
夕飯は食べなくても、仕事帰りには必ずリンは立ち寄って少し話し込んで帰るのがいつものパターンなのに……
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