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第86話

「じゃあ、明日はアップルパイを焼いてお帰りをお待ちしていますね」 「   っ」  電話の向こうだったけれどトーマがはっと息を飲んだ気配がして、僕はちょっと溜飲が下がっていい気分だった。        大きなアップルパイはまだ焼かない。  その代わりに小ぶりで、生地の端っこで作った花の飾りをつけたものを二つ焼き上げて、粗熱を取って…… 「ルカさま、ちょっとお出かけしましょうか」 「ちゃ……さんぽ?」 「はい、お散歩です。上手に言えましたね」 「あい!」    いつもの時間に出かければ、佐知子さんと出会えるはずだ。  あの日、目の前で僕が倒れちゃって迷惑をかけたのに、佐知子さんは僕の心配ばかりをしてくれたのが嬉しくてどうしてもお礼がしたかった。  本当は昨日菓子折りでも買ってこようと思ってたんだけど……   「手作りのものって抵抗あるかな」  佐知子さんには心配をかけたお詫び、三千代さんにはバギーをお下がりしてくださったお礼に。  それぞれにドキドキしながら手渡すと、二人は喜んでくれてホッとした。佐知子さんには「弟たちもよく食べていたんですよ」って言ったら目を輝かせて、逆に感謝されてしまってなんだか照れ臭くて笑うしかできない。  「三千代さんちの金魚はオワリくんって言うのよ」なんて新情報も教えてもらったりして、また弟たちの話で盛り上がりましょうって約束をして、買い物のない僕たちはそこでさようならをして家に帰ってきた。  もしかしたらトーマが帰っているかもと思っていたけれど、家は静まり返っていて戻ってきた気配はない。  今まで帰りが遅いことはあったけれど帰ってこなかったことはなかった。  昨夜、電話があった時に僕は意地悪を言うんじゃなくて、着替えや差し入れが必要かを尋ねるべきだったんじゃないかなって思うと、家政夫としてダメダメだって思えてくる。 「お仕事で行ったんだから、そう返すべきだったよね……」  こういうところがダメなんだろうなぁ……   「ままの、たーい? じょぶ? ぶ?」  ちょっと落ち込んでいるとルカが駆け寄ってきて僕の胸を一生懸命撫で、拙いながらも必死に声をかけてくれる。 「大丈夫ですよ、ルカさま。ありがとうございます」  トーマがいない夜を過ごしたからか、ルカの瞳がいつもより不安そうだ。  それは態度にも現れていて、ちょっとトイレに……ってだけでも後をついてくる。その様子が、僕がここにきた直前の様子を思い起こさせて、ちょっと胸が痛む。  そう言えば、僕が来た当初、どうしてあんな状態だったのか……わからないままだった。   「お父さま、早く帰ってこれるといいですね」  そう言うとルカはまた僕の胸をさすって「たーい、ぶ?」と尋ねかけてくれた。  大きなアップルパイを焼いている間にルカがソファで眠ってしまったので、アップルパイを網の上に置いてからルカを二階に連れて行って布団に寝かせる。  その最中に玄関の扉が開く音が聞こえた。  

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