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第7話 時戻し

「思ったよりデカい建物だな……」  神殿には、それほどかからずに着いた。まだ明るい日差しが差し込んでいて、通りも賑やかだ。老若男女さまざまな参拝客でごった返していた。  隠蔽の魔法だけ維持して『時戻し』を解除する。  この『時戻し』という闇魔法は、対象以外の時を引き戻して再び進める魔法だ。  止めた間のオレの行動と結果は維持したまま時間が戻るので、例えばオレが移動していれば瞬きの間に凄い速さで進んだように見える。  オレが使える闇魔法の中で、これが一番使い勝手がよく強力な魔法だった。  ……実はゼファーに教わった基礎の闇魔法『時戻し』は、本来はの時間を戻すものだった。  使っていく内に、試しに間を刻んでみたところ最終的に九割まで引き戻すことが可能になったんだ。残りの一割は自然の摂理なのか絶対に戻せず、時を逆行させることも不可能だった。  こんな風に、オレ独自に手を加えた魔法は多い。そのせいで闇魔法の正道からはだいぶ離れていってる気がするんだよな。  皇宮にある資料とやら、早く覗いてみたいものだ。  そんなことを考えていたら、にわかに神殿前広場が騒がしくなった。 「大神官様にお目通りをお許し下さい! いらっしゃるなら、どうかひと目!」  不意に大きな声が神殿入り口あたりから響いた。若い神官に縋りついて叫んでいるのは白髪の爺さんだった。遠方からきたのか旅装束に身を包み、杖を手にしている。  周囲の参拝客たちはザワつきながら遠巻きにしているので、オレもそちらに混ざり込んで様子を窺った。 「今日は無理だ、帰りなさい。大神官様はお忙しいのだ。お手を煩わせるな」  明らかに迷惑そうな顔をした神官たちも、人目につく場所では信者を邪険にできないのか押し問答が続いている。だんだんと野次馬が集まってきて神殿前には人垣ができはじめていた。  その中に、見知った人影が過ぎった気がして足を止める。 「……カキア」  ゾワッと全身が総毛立った。  商人のような変装をしているが、そこにいたのは明らかにカキアだった。背の高い、茶髪に灰色目の男だ。注意して視線を巡らせてみると、神殿前広場にはそこかしこに変装した『夜の牙』の連中が紛れていた。  どうやら近々この辺りで仕事があるらしい。  ――それにしてもこいつらお粗末な変装だな。  今まで奴らの変装にはオレが闇魔法の『隠蔽』と『幻惑』を重ねがけしてたから、他人に見破られることはまずなかった。あいつらはそれを自分の実力と勘違いして、今はあんな下手な変装で出歩いているらしい。  あんな殺伐とした顔つきの商人がいるかってんだ、まったく……  これではオレが手を下すまでもなく、自滅で組織が潰れる。そう思って呆れた視線を向けていたら、神官にかじりついて騒いでいた爺さんがよりによって近くにいたカキアの服を掴んだ。 「商売人のお兄さん、アンタだって遠くから大神官様の礼拝を見にきたんだろう? もう一週間もお出にならないなんて、なにかあったに違いない!」 「は? なんだこのジジイ。邪魔だ」  いきなり爺さんに縋られたカキアは、無造作に腕を振って相手を転ばせた。そして躊躇いもなく殴る蹴るの暴行を始める。  パッと広場の石畳に血が飛んだ。周囲の人間はあまりのことに一瞬動けなかったようだが、慌てたようにカキアを止めに入った。神官も驚いて衛兵を呼んでいる。  馬鹿だな、こんなところで騒ぎを起こしたら仕事どころじゃないだろうに……  地面に倒れ込んだ爺さんが全く動かないのも気になって、見物人に混ざって近寄った。  まさか殺したんじゃないだろうな。オレもよくやられたが頭を打ったり内臓を傷つけると老人は命に関わる。  服を引っ張って助け起こしてみると、気を失っているが骨や内臓に異常はないようだ。ホッと息をついて血止めの魔法をかけておいた。 「……オイ、お前」  不意に肩を掴まれて、ひやりと冷たい手に心臓を掴まれたような気がした。見上げると、息を切らせたカキアが人々を振り切ってオレの肩を掴んでいた。  オレ自身も『隠蔽』の魔法をかけていたが、『夜の牙』の構成員たちは日常的に闇魔法に慣らしていたせいで、この『隠蔽』をある程度看破できる。魔法のかかった仲間を認識するためだ。  しかし勘の鈍いカキアに見つかると思わなかった。 「ずいぶんといい身なりしてるじゃねぇか。男娼にでもなったのか?」  手首を強く引かれ、吊り上げられるようにして立たされた。オレが今着ているのはライオネルの古着で、貴族の服は生地からして庶民とは全く違う。  娼館の派手さばかりの粗悪な服とは違うのに、相変わらず目の利かない奴だ。  そうこうしている内に衛兵の増援がやって来た。カキアの手下も辺りを囲むように集まっていたが、どう考えても分が悪いだろう。このまま一網打尽に捕まっちまえばいいのにと思うが、その場合オレも道連れだ。  こいつらはオレを仲間だと言うだろうし、オレには身分を証明する物なんか何もない。 「チッ、おいてめぇ、お得意の闇魔法でなんとかしろよッ!」  カキアが小声で無茶を言う。魔法があれば何でもできると思ってんのかこいつは。そんな都合の良い魔法あるわけないだろうが。 「道を開けてくれ! なんの騒ぎだ」  ざわめく広場に聞き慣れた声が響いた。  暗い雲を貫く陽光のようなライオネルの声がして、冷えていた心臓に再び熱が戻ってくる。  ホッと安堵の息をつき、いやなんであいつの出現でこんな……と苦笑が漏れた。    息を切らせたライオネルは馬に乗ったまま広場に入ってくる。彼が馬から下りると、衛兵の一人がすぐに気づき馬の手綱を預かった。  ライオネルは鷹揚に頷き馬を任せると、そのままこちらに向かってくる。  屋敷にいる時の普段着にマントを引っかけ帯剣しただけの姿だった。これでは誰も騎士だとは思わないだろうが、ライオネルはその顔だけで市民に『聖騎士』だと認知されている。  誰一人その行く手を阻もうとする者はいなかった。 「大神官に会いに来た老人が怪我をした。手当が必要だ」 「ネロ、良かった。探していたんだ。大丈夫だったか? ……誰か、怪我人に担架を頼む!」  オレが声を上げるとすぐにライオネルが歩み寄ってきた。彼は衛兵たちに指示を出し老人の傍に膝をつく。  治癒魔法をかけるのかと思ったが、ここは神殿の目の前だ。お株を奪うようなことはしないんだろう。老人はすぐに神殿から出てきた担架で運ばれていった。 「それで……貴方は何故、ネロの腕を掴んでいるんだ? 老人に暴行をしたのは貴方か」  ひやりとした声がライオネルから発せられた。アイスブルーの瞳が鋭くカキアを見つめている。  周囲にいた野次馬と若い神官たちは、こぞって『あいつがやりました!』とカキアを指さした。しかしライオネルはそれに応えず、カキアに掴まれたオレの腕を気にしている。 「あの爺さんが騒ぎに乗じて俺の財布をくすねようとしたんだ!」 「そうだとしても暴行は行き過ぎている」 「スリじゃねえって確証がとれたら薬代くらいは出してやるよ」 「そういう問題では……」  カキアが俺の手首をさらに強く締め付けた。痛みに顔を顰めると、カキアの目が『早くなんとかしろ』と訴えかけてくる。  自分で撒いた種をどうして他人に刈り取らせようとするんだこいつは。 「詳しいことは衛兵の詰め所で話すといい。……ネロは関係ない。早くその手を離せ」 「こっ、こいつはこっちの関係者だ!」  また血が滞るくらい手首を締め付けられる。オレは赤黒くなってきた手の平を見て内心でため息をついた。このまま衛兵に突き出してやれたら、どれだけ心地が良いだろう。 「『消音』、『遮蔽』……『時戻し』」  キィンと耳鳴りのような音がして周囲のすべてのモノの動きがとまった。  それに気付いたカキアは安堵の息を吐く。闇魔法の中に入って気が大きくなったのか、オレを見下ろして嘲りの表情を浮かべ、唇を歪めた。 「てめぇ、奴隷のくせに逃げやがって! 俺たちがどれだけ大変だったかッ!」 「いま殴るのは止めといた方が良い。傷はなかったことにできない。魔法が切れたときにオレが血みどろで腫れ上がった顔してたら、今度こそお前は逃げられない」 「ぐっ……クソッ」  顔を怒りに赤黒く染めながらカキアが悪態をついた。そして再び『どうにかしろ!』と叫ぶ。  大声出したところで事態はなにも変わらないんだが…… 「おい、こいつ例の『聖騎士』だろう。失明して騎士団クビになったとかいう。なんでそいつがお前と親しげにしてんだよ」 「……」 「何だ? もしかしてこいつ、お前が誰だか知らねぇのか?……ハッ、これは傑作だ!」  顔を歪ませて笑ったカキアはオレの首元を掴んで引き上げた。首が絞まって息苦しくなり顔を顰めると、ハハッと勝ち誇ったように笑う。  そしてカキアの忌々しい顔が目の前に迫ってきた。ぬるい息が頬にかかって背にゾワッと悪寒が走る。 「オレが捕まったら、洗いざらい『牙』のこともてめぇのことも全部ぶちまけてやるよ! こいつはいまだにお前を恨んでんだろ? 死に物狂いで追いかけてきてたもんなあ! どんな手のひら返しするか見物だな!」  カキアはオレの長い後ろ髪を掴むと腕に巻き付け、犬の鎖のように荒っぽく引いた。 「聖騎士サマが直々に拷問でもするかな。てめぇの目玉も同じように矢尻で突き刺してやるよってか。ハハハッ!……なあ、そうなるのが嫌だったらどうすればいいか分かるよな? 奴隷野郎」  毒のように染みこむカキアの言葉は、オレを心地良いだけの夢から引きずり戻した。  所詮オレは、どう言い繕ってもただの悪党だ。そのツケはしっかり自分に返ってくる。  ライオネルがいくら慈しんでこようが、大事なもののように扱おうが、オレという箱を開けたら中に入ってるのは価値のないクズ同然の奴隷のガキだ。  それを、ようやく思い出したんだ。箱を開けるまでは、もっと違うものが入っていると思い込んでいた。ただの願望だった。  なにを勘違いしてたんだろうな、オレは。 「……衛兵の詰め所まで大人しく移動しろ。そのあとまた『時戻し』をかける。その瞬間に逃げればいい」  淡々とした声でそう言ったオレを見下ろし、カキアは灰色の目を細めてニヤリと笑った。       ‡  一年前、あの日の『仕事』にはゼファーが一緒で、オレの闇魔法は絶好調だった。それで少しばかり調子に乗っていた。  必要だったのは汚職財務官の隠した資料を盗み出すことと、同じ暗殺術に長けた財務官の執事を殺すことだった。  流石に年季の入った暗殺者であるその執事は手強かったが、カキアがもたもたしていただけでオレは自分の仕事をきっちりやった。  最後は見かねて執事に盲目の魔法をかけてやるおまけもまで付けたのに。それでも腕が及ばず怪我をしたのはカキアが未熟だからだ。ゼファーも苦笑していたが、これから組織を動かしていくのはカキアとオレだと思っていたらしくあまり口は出さなかった。  執事は始末し、資料も探し出して財務官の屋敷を出ようとした時、ライオネルが騎士団を引き連れてやってきた。  いったい何の勘が働いて気付くのかわからないが、こいつはオレが現場に到着してしばらくすると唐突に現れるんだ。  犬みたいに鼻が利くのかと疑ったことは一度や二度じゃない。 『見つけたぞ!』  屋敷の裏手からこっそり出たのにライオネルはそれに気付いて追いかけてきた。こっちは全員覆面で、隠蔽魔法も使っていたから顔はバレないだろうが体格差は目に見える。  血筋なのかゼファーもカキアも驚くほど体格が良いんだ。オレだけ目立つのは仕方ない。 『待て!……待ってくれ!』  窓から木々に乗り移り、逃走を始めたオレたちをライオネルは馬で追いかけてくる。何処かで巻かなければと焦ったオレはゼファーが止めるのも聞かず木の上からライオネルに飛びかかった。  さっきの執事と同じように、盲目の魔法をかけるつもりだった。これは対象に触れると継続時間が長くなる。オレは猿のように馬の頭に飛び乗り、ライオネルの目元に手を翳した。手のひらから漏れ出た黒い闇が、相手の視界を覆っていく。 『坊主!』  魔法がちゃんとかかってホッとした瞬間、鋭くゼファーの声が響いてハッと顔を上げた。さっき執事で手こずった分を挽回しようというのか、カキアが矢をつがえてこちらを狙っている。  その手はさっき負った怪我のせいかだいぶ震えていた。狙われているライオネルのほうは急に視界が利かなくなったことに驚き、何度も瞬きをして頭を振っている。 『()せ!』  オレの制止も聞かず放たれた矢はライオネルに向かっていたが、馬が急に身を跳ね上げたせいでオレはその軌道上に身を乗り出すかたちになった。  あの野郎、だから混戦のときは矢を使うなと……!  カキアに内心で悪態をつきながら『時戻し』を発動しようとした瞬間、いきなり伸びてきた腕に身体を引き寄せられ、全身を覆うようにぎゅっと抱き込まれた。 『――ッ!』  ドッと衝撃があり、ライオネルはオレを抱き込んだまま馬から落ちた。  矢が刺さったのか。どこに? 頭か、肩か、それとも首か?  落馬したライオネルを慌てて仰向けにして、オレは『時戻し』をかけた。矢は浅くだが片目に突き刺さっていた。  落ちた衝撃で気を失ったのか、反応はない。  オレは必死に頭を回転させ考え得るすべての応急処置を施した。闇魔法には治癒のような効果の魔法は存在しない。しかし傷の進行を遅らせること、失血を抑えること、刺さった矢尻がこれ以上傷を広げないよう塵にすること、それだけはできた。  ……それくらいしか、できなかった。  聖魔法の使えないオレには、もうなにもできることがない。矢が突き刺さる前になんとかできれば、こんなことにはならなかったのに。 『……ごめん』  騎士という職業に、目はどう考えても必要だ。片目では物の遠近感が狂うし、敵との間合いが取りにくくなる。  それを奪うのがなにを意味するか、オレはわかっていた。だから、謝るしかできなかった。  応急処置を終えると『時戻し』を解除してオレは逃走した。振り返りもせず走るオレの後ろを、ゼファーは無言でついてくる。  カキアは得意になって手柄を主張したが、オレは何も言えず、ねぐらに帰ってもただ重いため息だけが零れた。  それからしばらくは、眼帯で目を覆ったライオネルと『仕事』の最中よく出会った。どうやら目の傷はオレの仕業だと思っているらしく、ライオネルの執着は度を超して強くなっていた。  まあ視界を奪われたときに目の前にいたのはオレだから、オレの仕業だと思うよな。実際あの矢はこちらに向かっていたのだから、本来はオレが受けるべきだった傷だった。  堪えきれない感情で頭をかきむしりたくなって、オレは暫くは黙々と仕事をした。ライオネルが現れてもその顔を直視できず、すぐさま逃げる有様だ。  でも、ライオネルが生きていたことには安堵した。  そしてまだ騎士として働けてるのかとホッとする気持ちと、さっさと辞めればいいのにと苛立つ気持ちが半分ずつオレの胸を占めた。  隻眼では、次こそ目だけでなく命まで落すかもしれないのに、騎士なんかやってる意味あるのかと。  ……それからしばらくして、酒場であの噂を耳にした。 『聖騎士ライオネルが騎士団を辞めたらしい。やっぱり失明が原因かねぇ?』 『当たり前だろ、片目なんかでどうやって戦うんだよ。辞めたっていうより、クビじゃないか?』  ゼファーのいなくなった後のオレは、気持ちもなにも抜け殻のようになっていて、それ以上噂に心を動かされることはなかった。

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