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第4話
大方片付けを終えたころ、央基が迎えに来てくれた。楽しんでらっしゃいと送り出されると、クーラーが効いた店内とは裏腹に夕方の空気は生温い。神社へと向かう通りに出ると両側に吊るされた提灯が宵闇に浮かび上がっていた。ぞろぞろと祭りに向かう人波には浴衣姿が目立ち、見知った顔もちらほら見える。賑やかしいざわめきの隙間を縫うように、お囃子の音のほうへと歩いていく。
神社の境内は賑やかで、柔らかな提灯の光に照らされる色とりどりの浴衣が目に楽しい。子供の頃は大人しかった雪兎もはしゃいで、屋台と人々の隙間を縫って央基と走り回ったものだが、大人と呼べる年齢に近づくにつれて、その雰囲気を楽しむほうが多くなった。面白そうなゲームの屋台があれば興じるが、子供の頃のように積極的にあれをやろうこれをやろうという気持ちは起きない。屋台から屋台へと夢中になって渡り歩く子供たちを見かけると、自分にもあんなころがあったなと懐かしくなる。
美味しそうな香りにつられて焼きそばにたこ焼きにフランクフルトなど、目についたものを買い込んで神社の石段を陣取った。楽しそうな雰囲気を眺めながら頬張ると、なんだかすごく贅沢な気分に陥る。央基は受験勉強真っ最中の息抜きとあって、箍が外れたように掻き込んでいた。
「受験勉強の調子はどう?」
「まぁまぁってとこかな。期末で順位落ちちゃってさ、親が頑張れってうるさいんだよなぁ」
「そっか、大変だね」
「せっちゃんはいいよなぁ、受験なくてさ。でも試験はあるんだっけ?」
「うん、一応学科と面接。でもヒロに比べたら断然楽だよ」
そう言うと、心底羨ましそうな視線を向けられてつい苦笑う。気楽に楽しめた昨年までと違って、高校三年生の夏は気を抜いて遊ぶ暇もなくあっという間に過ぎてしまう。明確な目標がなくとりあえず大学へ行こうという人が大半なのに、将来の進路への猶予を勝ち取るための受験勉強がこれまた大変なのだ。そう考えると、明確な目標がある雪兎は随分と恵まれているのかもしれない。
「せっちゃんに逢うの久しぶりだけど、ちょっと雰囲気変わったね。明るくなったというか、楽しそう」
「今日がお祭りだからじゃない?」
「うーん、そう言われるとそんな気もするけど。なにかいいことあったんじゃない?」
教えてよと強請るような光が央基の瞳に宿った。別に隠しているわけではないけれど、〈いいこと〉の正体をどう説明したらいいものか迷う。友達と呼ぶには烏滸がましすぎる彼のことを、どう話したらいいのだろう。
祭りのざわめきの中でも、答えを待つ央基の周りはシーンと静まり返っているように感じた。いつもなら雪兎が答えに困ると央基が助け舟を出してくれるのに、なぜだか今日はそうならない。なんでも話し合える仲に、見えない不穏分子を感じ取っているのだろうか。
「えっと、話せる後輩ができたっていうか」
「後輩? 友達じゃなくて?」
「うん。前に昼休みは屋上で過ごしてるって話したことあっただろ? そこにある日突然逃げ込んできたんだ」
「逃げ込んできた?」
「そう。すごく女の子から人気のある子で、ひとりになれる場所を探してたみたい。それでたまに屋上に来るようになって、話すようになったっていうか、」
「せっちゃん、自分と真逆な人間とよく話せるようになったね」
「うん。森宮くんはすごい目立つ存在なんだけど、でもすごく話しやすいんだ。屋上以外では話したことないんだけどね」
楓のことを口にしたら、いまごろなにをしているのか気になった。一度気になりだすと止まらずに、この夏休みの間なにをしていたのだろうと考えてしまう。最後に逢ったとき、夏休みは友達と遊ぶ以外はバイトをすると言っていた。その友達の中に女の子はいるのだろうか、とまで考えて、どうしてそんなに気になるのだろうと不思議に思う。
「森宮、ってもしかして、森宮 楓?」
央基が少し考え込むような、怪訝そうな声で問うので、雪兎ははっと我に返った。そうだよと答えると、随分とすごい奴と知り合ったんだね、と言われる。どうやら楓は央基の学校でも女の子の間で人気があるようだ。
「そいつ読者モデルやってるだろ? クラスの女子が話してるの聞いたことある。せっちゃんとこの学校で出待ちしたって子もいるくらい」
「それは、さすがに知らなかったなぁ」
「俺は見たことないけど、そんなに格好いいの?」
「うん、すごい格好いい」
ぽかんとする央基の顔を見て、当たり前のように肯定したことが恥ずかしくなってきた。じわじわと熱くなる頬を薄闇が隠してくれることを祈る。言ってしまってからそう思っていたことを思い知らされた気がして、どんどんいたたまれなくなってきた。央基はそんな様子の雪兎を見てどう思っているのだろう。なにも言ってくれないので、彼もどう声をかけるべきかわからないのかもしれない。こんなことを話したことは初めてなのだ。
なんとも曖昧な気まずさを打ち消したのは、央基を呼ぶ声だった。ふたりして弾かれたように顔を上げると、こちらに向かって手を振る影が見える。知らない顔だから央基の学校の友達だろう。ちょっと行ってくると彼がそちらへ向かうと、気まずさから解放されてほっとした。
どうせなら友達と来ればよかったのに、とひとり苦笑う。優しい彼のことだから雪兎を置いていくなんて考えに至らなかったのだろう。毎年一緒に来ていれば猶更、雪兎の面倒を見ることに関して彼は姉の上をいく。
ひとりでいるのもつまらないので、すこしぶらつくことにした。央基が友人たちと楽しそうだったので、あえて声はかけなかった。喧騒に紛れてしまうと、この中で再び巡り合うのは至難の業だなと思う。
屋台を覗いたりしながらふらふらしていると、遠くに頭ひとつ抜きんでた長身を見つけた。あれ、と思っているうちに男が振り向いてそれが楓であることが知れた。目が合ったような気がしたが、雪兎は左程背が高い方ではない。だからきっと気のせいだ。
彼の周りには友人だろう数人が集まっていて、かわいい浴衣を着た女の子の姿もある。なんとなくそちらに行くのは憚られた。彼の姿を見かけただけでも幸運だったと思うことにしよう。
ちょっとわきに避けてから踵を返すと、神社の石段へと戻った。央基はまだ戻ってきていなかった。おそらく友人たちを振り切ることができなかったのだろう。もしくははじめて味わった気まずさから逃げているのか。なんとなく、後者のような気はする。
石段でぼんやりとしていると、こちらに駆けてくる足音に気づいた。煌びやかに明るい参道とは違い、控えめな提灯の明かりしかない境内ではよく見えない。目を凝らしてようやく、それがだれなのかわかった。この人ごみの中で気づいてくれるなんて、夢でも見ているのだろうか。
「やっぱり先輩だ」
そう言って笑う楓の顔は、提灯の明かりに照らされるといつにも増して魅力的に見える。見上げる雪兎に視線を合わせるようにしゃがみ込んだ楓が、こんばんはと相好を崩した。
「ひとり?」
「ううん、幼馴染と来たんだけど、今は別の友達と話してるみたい。森宮くんは?」
「俺が来ないと女の子たちが来てくれないからって頼みこまれてさ。俺は久々に来たんだけど、先輩は? 毎年来るの?」
「うん、小さい頃から来てるから、なんか習慣みたいになっちゃって」
「そうなんだ。知ってたら誘ったのに。そしたら楽しかっただろうな」
「友達と一緒の方が楽しいんじゃない?」
「そんなことないよ。俺が先輩と行きたくて誘うんだもん。もし誘ってたら来てくれた?」
「たぶん?」
「そこはうんって言ってよ」
わざと拗ねたような声音を出す楓が可笑しかった。笑う雪兎につられて笑う、楓の笑みが眩しい。並んで石段に腰かけた楓との距離が思ったよりも近くて、どきりと鼓動が跳ねる。長い足を投げ出して座る楓の横で、雪兎は気づかれない程度に縮こまった。央基とであれば当たり前の距離でも、楓だと鼓動がうるさいのはなぜだろう。
会話が途切れたせいで急な沈黙に囲まれた。先ほど央基との間に感じたような気まずさはないが、急に押し黙ってしまった楓のことが気になる。そっと横顔を伺うと、目にかかる長めの前髪のせいか、憂いを帯びているように見えた。来たくて来たわけではないようなことを言っていたから疲れたのかもしれない。
つい見惚れていると、その視線に気づいたように楓がこちらを見た。慌てて目をそらすと小さく笑う気配がする。バレてしまった恥ずかしさにじわりと熱が頬に滲んだ。たしかに楓は格好いいけれど、同性から見惚れられてもいい気分はしないだろう。
「俺の顔になにかついてる?」
「ご、ごめん、つい、」
「どうして謝るの?」
「だって、」
気持ち悪いだろうと口にすることはなんとなく憚られた。口に出したら、自分のことをそうだと認めているようで嫌だったからだ。なんでもないと誤魔化すと、楓は深追いしないでいてくれた。黙ってしまった雪兎を慮るように、無理に話しかけてこようともしない。その楓の優しさが自分には勿体なさ過ぎる。
ふと、遠くから楓を呼ぶ女の子の声が聞こえた。どこ行ったんだろう? と探すような言葉が、少しずつこちらに近づいてくる。偶然にも幸運な時間の潮時が訪れたのだと悟った。もうすぐ花火も上がるし、彼女たちはそれを楓と共に見たいのだろう。
「森宮くんのこと探してるよ。お友達じゃない?」
「かもね」
「行かなくていいの?」
「行ってもいいの?」
そんなことを問われても、答え方がわからない。困らせたことに気づいたのか、楓が冗談だよと苦笑った。それから立ち上がると、雪兎の方へ手を差し出してくれる。
「花火、一緒に見ませんか?」
「え? 俺と?」
「他に誰かいる?」
「いないけど、」
手を取っていいのだろうかと、戸惑う雪兎の手を楓が掴んだ。引っ張り上げられた勢いそのままに境内の裏へと連れ去られると、すぐそこから楓を探す女の子たちの声がする。どこ行っちゃったのかなぁと、残念そうな声音に心底申し訳ないと思った。楓はなんだか面白がっているようにも見える。
そうしているうちに、一発目の花火が上がった。続けざまに大輪の花が夜空を彩ると、誰もが上を見上げて歓声を上げる。光が咲く一瞬だけは薄暗さも緩和されて、互いの顔がよく見えた。綺麗だねと笑う楓の方が何倍も綺麗だと思っているなんて口が裂けても言えない。
「あの子たち、行っちゃったみたいだけど本当によかったの?」
「そのうち別の友達と合流すると思うよ。先輩のお友達は大丈夫?」
「そういえば、どこ行ったんだろう?」
すっかり楓とのことに夢中になって、央基のことを忘れていた。戻ってこないところを見ると、友達とどこかで夜空を見上げているに違いない。あとで連絡すればいいやと思いつつ、心の中でこっそりと詫びた。央基にしては珍しく、雪兎を放っておいたのだからお互い様かもしれない。
花火が終わる前に、裏参道から祭りをあとにした。花火が上がる音を聞きながら、まだ閑散としている帰り道を辿る。楓が途中まで送ってくれるというので、お言葉に甘えることにした。彼はここから数駅離れた場所に住んでいるのだと言う。
「電車の時間大丈夫?」
「うん、全然平気。むしろ混む前に帰れてよかった」
「きみは大変そうだもんね、どこにいても」
「ええ? そんなことないよ?」
「他の学校の子にも出待ちされたりするんだろ?」
揶揄するようにそう言うと、面食らった顔をした。たまに? と渋々肯定するのがかわいくてつい笑みが零れてしまう。本当に困っているんだと辟易したように言われると、笑ってしまったことが申し訳なくなる。いつも注目されているなんて、雪兎だったら絶対に耐えられない。
「俺にとって先輩のいる屋上はオアシスみたいな場所なんだよ」
「それは大袈裟だと思う、」
「そんなことないよ。早く夏休みが終わって、先輩に逢いに行けたらいいのにって思ってたんだよ? そしたら今日逢えて本当にうれしかった」
極上の笑みでそんなことを言われて、心を持っていかれない方がおかしい。だから胸が苦しくなるのも、上手く息ができないのも、少しだけ泣きそうになる気持ちさえ、全部刹那の錯覚に決まっている。
そうでなければ、この気持ちに説明がつかない。
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