6 / 23
第6話
そうして忙しくしていたので、なかなか楓と逢う機会がなかった。こうなるのならあの日約束をしておけばよかったと思いながら、連絡を取る手段がない。雪兎は会議のない昼休みは相変わらず屋上で過ごしていたが、楓の方も文化祭が近いとあって色々と忙しいのだろう。結局楓が屋上を訪れたのは、夏休みが明けてしばらく経ったあとだった。
今日も来ないかなと半ばあきらめていると、昼休みが半分くらい過ぎた頃にようやくドアが開いた。走ってきたのか息が少し乱れていたが、弾けんばかりの笑みは相変わらず眩しい。隣に座った彼が急いで来たから疲れたと言って、雪兎の食べかけの弁当からおかずをひとつ摘まんだ。慌てて余分に作った弁当を鞄から出すと、楓がうれしそうに受け取る。
「ありがとう、めっちゃお腹空いてたんだ。今日は逢えるかなって、打ち合わせ終わってすぐ来たんだよ」
「打ち合わせ?」
「文化祭でファッションショーがあるだろ? それにモデルとして出てくれないかって頼まれて。今日は衣装の採寸してきた」
「昼休みまで大変だね」
「それは先輩もでしょ? 文化祭実行委員になったんだって?」
どうして知っているんだろう? という驚きが顔に出ていたのか、楓がクラスメイトから聞いたのだと白状した。いただきます! と手を合わせて弁当を平らげる様子は気持ちいい食べっぷりだった。余程お腹が空いていたのだろう。
文化祭は校内と外部向けの二日間行われ、ファッションショーは二日目の目玉だ。実行委員会主催のショーで、高校生としては本格的だと評判だ。モデルは推薦や立候補で集められ、衣装は裁縫部が腕によりをかけて作る。ヘアメイクなども得意な生徒が担当し、華やかで盛り上がるイベントのひとつだ。
兄の口利きで読者モデルをしている楓がショーに出るのは当然だと思った。本人にやる気がなくても、女の子たちからの推薦で確実に決まるはずだ。実行委員の中でもファッションショーの担当は花形部門なので、特に学校の中心になるような華やかでお洒落な面子が揃っていた。その中にみやびも入っていたが、いくら将来美容師になる夢を抱いているとはいえ、気軽にヘアメイク担当をやってみたいと言える雰囲気ではなかった。それに男に髪を触られるより女の子にやってもらった方がモデル側としても気楽だろう。
「先輩が実行委員だって聞いてびっくりしたんだよ」
「俺がいちばんびっくりしたよ。体よく面倒を押しつけられただけだけどね。でももうひとりの子が話しやすくていい子なんだ。すごく助かってる」
「ふぅん、よかったね。先輩はショーの担当じゃないの?」
「まさか。俺は言われたことをこなすだけで精いっぱいだし。それにあそこは華やかな人たちばっかりだから俺なんて場違いだよ」
「でも、ヘアメイクやってみたいんじゃない?」
図星を突かれてはっとした。みなまで言わなくとも、楓には雪兎の気持ちなどお見通しだったのだろう。高校生活最後の文化祭で不可抗力とは言え手が届く立場にいるのに、雪兎には振り絞る勇気が足りなかった。どうせ言ったところで場違いだと笑われるに決まっている。みやびのような人間がいたとしても、全員がそうだとは限らない。
「きみはすぐ、俺の気持ちを見抜くよね」
「今のはただの憶測だよ。美容師になりたいんだったら、興味あるんじゃないかと思ってさ。でもその前に俺の髪を切ってくれる約束、忘れないでね」
雪兎が少し落ち込んだのをフォローするように、楓が茶目っ気たっぷりに片眼を瞑った。間近でそんなことをされると、心臓が跳ねてしまうのをどうしても抑えられない。ごちそうさまでした、と綺麗に平らげられた弁当箱を仕舞う、手元を見るのが精一杯だ。
「そ、そういえば髪伸びたね」
「先輩が切ってくれるっていうから、切りがいがある方がいいかなと思って。ちょっと邪魔だなって思ってたところ」
そう言いながら、楓が前髪を指で摘まんだ。いつ切ってくれる? と問われて、実は毎日鋏を鞄に忍ばせていたことは黙っておいた。いますぐにでも、と答えたかったが、流石に時間が足りない。
「俺はいつでもいいよ。きみの予定に合わせる」
「じゃあ今日の放課後は? 委員会ある?」
「ううん、大丈夫だと思う。でも、文化祭の準備出なくていいの?」
「いいんだよ。先輩に髪切ってもらう約束の方が大事だから。それにうちメイド喫茶だから男は口出ししにくいって言うか。先輩のクラスはなにやるの?」
「お化け屋敷」
「準備大変そうだね。でも楽しそう。当日一緒に入ろうか?」
「きみにはそんな時間ないと思うけどな」
「ええ? そうかな?」
とぼけたように楓が笑う。女の子なら誰もが彼と文化祭を回る権利を虎視眈々と狙っているに違いない。ファッションショーに出てしまえば猶のこと、そのあとは女の子に囲まれることになるだろう。だからきっと、雪兎に構っている時間などない。誘ってもらえただけで身に余る光栄だ。
予鈴が鳴ったので、放課後再び屋上で落ち合う約束をして別れた。教室に戻った雪兎は初めて逢う約束をしたことに気づいて、五限と六限の授業中ずっとそわそわして落ち着かなかった。昼休みに逢えるだけでも充分なのに、今日は放課後も一緒にいられるなんて信じられない。しかもあの森宮 楓の髪を切らせてもらえるなんて。
HRが終わるとそそくさと教室を出た。屋上へ向かうと、急いで来たにも関わらず楓の方が先についていた。一年生の教室の方が遠いはずなのに、魔法でも使ったのだろうか。
「早かったね」
「楽しみで急いで来ちゃった。俺はどうしたらいい?」
「じゃあここに座ってもらっていい?」
いつも並んで座るベンチに楓を座らせると、雪兎は鞄から用意してきたケープやタオル、鋏などを取り出した。ケープを楓にかけて首から下をしっかりと覆うと、本格的だねと感心される。これは母に内緒でこっそり拝借したものだったが、おそらく一枚足りないことには気づかれている気がした。それでも夏の間中一生懸命に練習していた雪兎を見ていたから目を瞑ってくれたのだ。
「どんな感じにする?」
「先輩がすきなように切ってくれていいよ」
「それはすごいプレッシャーだなぁ」
「先輩が俺に似合いそうだなって思う髪形にして欲しい。せっかく切ってもらうんだからさ」
柔らかい声でそう強請られると、もっと具体的な注文が欲しいと言い出せなかった。こういう注文はプロになったらいくらでもくるだろうなと思ったが、練習を積んだとはいえ素人の雪兎には難易度が高い。とりあえず少しずつ切っていこうと意を決して髪に触れると、指先から緊張でも伝わったのか、緊張しすぎじゃない? と笑われた。
「そりゃあ緊張するよ。だれかの髪を切るのは初めてなんだから」
「怒らないって約束したでしょ? 先輩なら大丈夫だよ」
そう言われて少し肩の力が抜けた。再び楓の髪に触れるととても髪質が柔らかい。色素が薄い髪は元々であることがわかる。一度鋏を入れてしまうと、自分でも驚くくらいに次にどう切ったらいいのかがわかった。全体のバランスを見ながら少しずつ整えていくと、中々よいような気さえしてくる。
「森宮くんって、髪の色素が薄いんだね。染めてるんだと思ってた」
「よく言われる。中学の頃はよく先生に怒られたよ。でも元々こういう色だからなぁ。ばあちゃんがフランス人だから、そのせいかも」
「へぇ、そうなんだ」
整っている楓の容姿を考えれば、そう言われても驚かなかった。色素が薄い楓の髪は陽に透かすと透明感が増す。切り落とされた欠片がきらきらと光っているような気さえした。自分が切っているのにも関わらず、楓の欠片が削れていくようで勿体ないような気持になってきたころ、ようやく満足がいく仕上がりになった。
落ちた髪を払ってケープを取り去ってから手鏡を渡すと、確認した楓がうれしそうに笑む。すごくいいねと言われるとほっとして、ついその場に座り込んでしまった。
「先輩どうしたの? 大丈夫?」
「うん、安心したら気が抜けちゃって。よかった、満足してもらえて」
本当によかったと安堵していると、可笑しそうに笑った楓が雪兎を引っ張り上げてくれた。いつものように並んで座ると、新しい髪形の楓は、自らの手で切ったにも関わらずとても格好いいなと思う。
「先輩、向いてるよ。またお願いしてもいい?」
「また切らせてくれるの?」
「俺からお願いしてるのに。ファッションショーでもヘアメイクやりたいって言ったらいいよ。俺だけでもいいから、先輩にお願いしたいな」
「森宮くんの髪をセットしたい女の子がいるんじゃないかな? 俺は今日切らせてもらっただけで充分だし、」
それは本音だった。楓の髪を触りたくて、ヘアメイク担当になった女の子がいることは確実だし、その楽しみを奪うわけにはいかないという気持ちもあった。もちろん楓にそう言ってもらえてうれしいけれど、そんなことしたら女の子たちからどんな目で見られるかわかったものではない。
「無理強いはしないよ。でも、もしやる気があるならいつでも推薦するからね」
「うん、ありがと」
雪兎の気持ちを汲んでくれる楓の言葉の優しさが、臆病な心に染み入ってきた。彼は雪兎を思いやってくれているのにその気持ちに応える勇気がない臆病さを、とても歯痒く感じた。
ともだちにシェアしよう!

