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第7話
明日を本番に控えた放課後、備品のチェックやプログラムの確認をしていた雪兎のところへみやびが駆け込んできた。彼女たちは明後日に控えたファッションショーのリハーサルと最終調整をしている最中のはずだ。一緒に作業をしていた生徒がどうかしたのかと問うと、雪兎を呼びに来たのだと言う。
「忙しいところ悪いんだけど、香川を貸りてもいいかな? ちょっと困ったことになってて」
「大丈夫ですけど、なにがあったんですか?」
「緊急事態なの」
その四文字がいかに切迫しているかを物語る。なんかとんでもないことが起きたのかと室内が騒めいたが、みやびに説明をする気はないらしい。名指しをされたのにも関わらずぽかんとしていた雪兎は、彼女に手を掴まれてそのまま廊下に引っ張り出された。
みやびが駆けていくので、ついて行くのがやっとだった。最後の追い込みに勤しむ生徒たちが、何事かと教室の窓から顔を覗かせる。切れる息の隙間でなにがあったのかと問うたが、あとで説明するからの一点張りだ。
連れてこられたのは体育館にいちばん近い教室だった。真ん中に置かれたパーティションで男子側と女子側に分かれている。こちらは女子スペースだったが、机を使って設えられたメイクスペースはさながらモデルの控室のようだ。壁際には裁縫部が腕によりをかけた衣装が並び、何着かはモデルの生徒がすでに着用している。
メイクをするために設えられた机の前に座った女子生徒が、実行委員たちに囲まれていた。そのうちのひとりがどうにかモデルの髪を整えようと奮闘していたが、理想の出来には程遠いらしい。モデルの女子生徒が不満そうな顔つきで鏡を睨んでいる。
「香川連れてきたよ!」
みやびがそう声をかけるとその場にいた全員の目が雪兎に集まった。つい後退りそうになるのを、みやびにモデルの方へと追い遣られた。ヘアメイクを担当していた生徒が縋るような表情を浮かべて、スマートフォンを見せてきた。そこにはモデルが希望する髪形をしたヘアモデルが写っている。一見シンプルな髪形だったが、素人がセットするには少々難しそうだった。
「やってみたんだけど、上手くいかなくて。先輩ならできるんじゃないかって楓くんが教えてくれたんです。それに杵築先輩も、香川先輩のおうちは美容室だって教えてくれて」
助けてくださいと訴えられてしまうと、断るタイミングを失った。正直なところ、期待されている役割を全うできるかはわからない。母親が髪をセットしているところは何度も目にしていたが、雪兎自身は簡単なヘアセットしかしたことがない。けれど最後の砦とでも言わんばかりに囲まれてしまうと、できないなどとは口が裂けても言い出せなかった。
「上手くできるかわからないけど、それでもいいなら」
「よろしくお願いします!」
丁寧に頭を下げる後輩から、スマートフォンを受け取った。それを机に置くと、モデルのうしろに立って気持ちを落ち着ける。手が、少し震えていることに気づいた。自分の手を自分で握り締めて、大丈夫だと言い聞かせる。こんなに注目されることなど初めてで、心臓が口から飛び出しそうだった。
それでも、みんなの期待に応えたい。
失礼しますと断ってから、中途半端にセットされた髪に触れた。まずはすべて解いてから、アイロンで適度に巻いていく。落ち着けと自分に言い聞かせながら、母の手先を思い出した。たしかこうしていたなという感覚に従って、常にスマートフォンに表示された仕上がりを確かめながら進めていく。鏡越しに向けられるモデルの視線が、雪兎の緊張を高めた。それでも完成が近づくにつれ、その視線の強さが和らいでいくのがわかる。
できましたと声をかけて、うしろ側を合わせ鏡で見えるようにした。息を殺していた生徒たちがすごい! と歓声を上げるなか、モデルの女の子も満足そうに笑ってくれる。ほっとしたのも束の間、わたしもお願い! と他のモデルたちに取り囲まれてしまった。困ったなと思っていたら、みやびが上手いこととりなしてくれた。
ついさっきまで逃げ出したいと思っていたのに、ずっと目立たない存在だった自分がだれかに必要とされていることに高揚していた。リハーサルまで時間がなかったので、他のモデルたちは渋々といまの髪形のままで体育館へと向かった。残されたのは雪兎とみやび、それに後輩の女の子だけだ。
「本当にありがとうございました! 助かりました!」
「力になれたならよかったです。急に連れてこられてびっくりしたけど」
「香川、悪いんだけどうちのチームに入ってくれない? 他の子も香川に髪セットして欲しそうだったし、ショーの完成度の上がると思うんだ。それに楓くんからの推薦もあるし」
やる気があるのならいつでも推薦するよと笑ってくれた楓のことを思い出した。あのときは勇気がなくて頷けなかったけれど、こんなに頼りにしてくれる生徒たちがいることを知ったいまでは、やってみたいという気持ちの方が勝る。たったひとりを満足させただけだけれど、それが大きな自信へと繋がった。これはきっと、雪兎が目指す仕事への第一歩だ。
「やってみたい、です」
「本当!? じゃあリハーサルが終わったら髪のセットの仕方を他の子にも教えてあげてよ。香川ひとりだと大変だろうから」
「そうだね。手伝ってもらえると俺も助かる」
「他の子たちもプロの技術を学べて喜びますよ!」
「プロって、俺はまだそんな、」
「なに言ってるの。将来のカリスマ美容師でしょ」
みやびがそう言って揶揄すると、後輩もそうですよ! と笑ってくれた。少し前の雪兎ならきっと揶揄されただけだと思っただろう。けれどいまはそう言ってもらえてうれしかった。楓と関わりを持ったことで、知らないうちに少しずつ気持ちの持ちようが変化していたのかもしれない。
リハーサルを見に行こうと誘われたのでお供することにした。体育館の中央にランウェイが組まれ、そこを生徒たちが立ち位置を確認しながら行ったり来たりしている。照明は薄暗く、大音量で音楽が流れている中に浮かび上がるファッションショーは充分見応えのあるものに仕上がっていた。
「わたしたち最終確認してくるから、香川はゆっくり見てってね」
「うん、ありがとう」
彼女たちが手を振って行ってしまうと、手近にあったパイプ椅子に腰かけた。ショーはモデル単体で出てくるパートと、男女がペアになって出てくるパートがあるようだ。衣装は個性的なものからゴージャスなものまで様々で、既製品をアレンジしたようなものから一から作り上げたとわかるものまであり、見ていて飽きない。雪兎が髪をセットしたモデルが堂々とした井出立ちで歩いてきて、先端でポーズを決めた。不意に視線がこちらに向いたかと思うと、微かな笑みを浮かべてくれる。それがとてもうれしかった。
じっとステージに目を凝らしていたが、楓はなかなか出てこなかった。もしかしたらもうリハーサルを終えてしまったのかもしれないと思い当って残念な気持ちになる。当日ヘアメイクの手伝いをするということは、裏方でバタバタすることを意味していた。せっかくの勇姿を目に焼きつけたかったのにと思っていると、だれかが隣の椅子座る気配がした。
「リハーサルは終わったの?」
そこにいる楓が制服姿だったのでそう問うと、男子部門は先に終わったのだと答えてくれた。残念な気持ちが増してきて、そっかと答える声にも滲み出てしまった。それを察した楓に見たかったのかと問われて素直に頷いた。
「当日見るつもりだったんだけど、さっき当日のヘアメイクチームに入ってくれって言われて。バタバタするだろうから、いま見ておきたかったんだけど」
「ああ、さっき裏で先輩のヘアメイクが素敵だって女の子たちが騒いでたな。あの子たちの髪、やってあげるの?」
「うん。全部ひとりでは無理だから、みんなに手伝ってもらうけど。きみが俺を推薦してくれたんだろ? ありがとう」
「俺はただ、困ったら香川先輩がこういうの上手いよって言っただけだよ。先輩がやる気を出してくれてうれしい。まぁ、女の子たちだけっていうのは、ちょっと気に入らないけど」
「男子チームにもヘアメイク担当がいるだろ?」
「いるよ。でも俺だって先輩にやって欲しい」
「そう言ってくれるだけでうれしいよ。そうだ、今の髪形もいいけどもう少しこうやって耳にかけた方が、」
セットされた楓の髪に手を伸ばすと、サイドの髪を耳にかけるように整える。楓が驚いたような表情を浮かべているのを見てはじめて、とても不躾なことをしたことに気づいた。周りに頼りにされたことで少し舞い上がっていたのかもしれない。慌てて謝ると、どうして謝るのと楓が笑ってくれた。
「驚かせたかな、と思って、」
「正直、ちょっとだけね。先輩から触ってくれるなんて思わなかったから」
「いやじゃなかった?」
「まさか。先輩はもうちょっと自信持った方がいいと思う。先輩が思うより世界は優しいと思うよ?」
「それは、ちょっとだけわかるかも」
楓に出逢ったお陰だと、口には出さなかった。なんだか気恥ずかしかったし、心のうちに蔓延りだした気持ちが滲み出てしまいそうで、怖かった。
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