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第11話
連絡するねという言葉通り、楓は毎日のように連絡を寄越した。生活時間が合わないので会話はなかなか続かなかったが、それでいて途切れることもなく、他愛のないラリーがずっと続いている。その日の撮影で起こったことや、今度はこんなところに行きたいとか、美味しいお店を教えてもらったなど、そんな他愛のないことがかわいい絵文字やスタンプと共に送られてくる。雪兎はいつしかそれを心待ちにするようになり、休憩時間などにスマートフォンをチェックしては返信の有無に一喜一憂するようになった。楓が忙しいので次の約束が叶うことはなかったが、繋がっているという実感があるだけで充足感がある。
彼とやり取りを続けながらも、どうして楓が雪兎に構いたがるのかはわからなかった。それでも、傍にいられるのならなんだっていいと思えるのだから、恋する気持ちは傲慢だ。一度構ってもらえる優越を知ってしまうと、それを手放してしまうのが惜しくなる。どうせ雪兎が頑張って逃げようと楓はきっと逃してはくれないだろう。そういう根拠のない確信を理由にするのは、ずるいだろうか。
楓とのやり取りが半月ほど続いた夜、疾風から電話がかかってきた。なにか緊急事態が起こったのだろうかとドキドキしながら電話に出ると、急に悪いんだがと切り出される。
『明日、俺の代わりにヘアメイクしに行ってくれ。店の方は気にしなくていい。凪もいるから安心してくれ』
「店長の代わりですか? 俺が?」
『急な別件と被っちまってな。凪に相談したらお前が適任だろうという話になったんだ。モデルは楓だから問題ないだろ、お前なら』
雪兎がまだ返事ができないうちに、疾風からよろしくなと電話を切られてしまった。あ、と思っているうちに行くことになってしまい、急な緊張が押し寄せてくる。いつか疾風のようにヘアメイクの現場にも就きたいと思ってはいたけれど、それは彼のアシスタントに就かせてもらうほうが先だと思っていた。それが急に明日、ひとりでやってこいと言われるとは努々思うまい。
数分後、疾風から明日の現場の地図と入り時間が書かれたメールが届いた。それを見てますます緊張してきたので、さっさとシャワーを浴びてベッドに入った。モデルは楓だし、凪もいるというのだから、知らない現場にひとりで飛び込むよりはだいぶマシだろう。そうはわかっていても、考えれば考える程不安が迫り上がってきて、なかなか寝つけなかった。
現場はヘアサロンからもほど近いハウススタジオだった。緊張する気持ちをほぐすように深呼吸をしてから中に入ると、室内ではたくさんの人が撮影機材を準備や段取りの確認をしている。疾風であれば顔が知れているから堂々と入っていけるのだろうが、ヘアメイク担当としてはド素人の雪兎はどうしたらいいかわかない。おろおろしながら誰かに声をかけなければと思うのだが、だれもが忙しそうなのでそうもいかず、多少はマシになったと思っていた人見知りが全然直っていないことを実感した。せめて凪を見つけようときょろきょろしていると、営業担当らしいスーツ姿の男が雪兎を呼んだ。
「せっちゃん!」
それが央基だとわかってほっとした。どうやら彼が勤める広告代理店が担当している撮影であるらしい。
「気づかなくてごめん。知らない人ばっかりで怖かったろ」
「大丈夫だよ。あのさ、俺でいいのかな? すごい大きな仕事じゃない?」
「大丈夫。椎木さんのお墨付きだろ?」
央基が雪兎を励ますように笑ってくれたので、すこし気が楽になった。凪はすでに衣装の確認をしているというので連れていってもらうと、何着もの衣装が準備された別室で凪と楓が衣装合わせをしていた。楓は言わずもがな、兄の凪もスタイリストにしておくには勿体ない美貌の持ち主だ。本人曰く、スカウトをされたこともあったが芸能界に興味はなく、モデルを最高に着飾らせることに熱意を燃やす方が楽しいのだという。ふたりが並ぶ様が絵になって、話しかけるタイミングが掴めなかった。それを見かねた央基が開けっ放しのドアをノックしてくれる。
「先輩! どうしたの?」
ノックに気づいた楓がこちらのほうを見て、その顔を綻ばせた。不意打ちに逢えてうれしい! と顔に書いてあって、思わず雪兎も頬を弛ませてしまう。
「昨日、店長に急遽代打を頼まれたんだ。おはようございます、凪さん。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね。雪兎くんが引き受けてくれて助かったよ。疾風が別件でトラブっちゃってさ」
「大丈夫なんですか?」
「向こうが疾風じゃなきゃ仕事しないってごねてるだけみたいだから。雪兎くんはどうかって疾風が言い出したんだよ。モデルは楓だしぴったりだろうって」
「そうだったんですか。てっきり凪さんが推してくれたのかと」
「疾風、雪兎くんには期待してるから。今日の反応がよければ次の仕事にも繋がるし、チャンスだと思って頑張ろうね」
緊張しなくて大丈夫だよ、と凪が笑ってくれた。傍でやり取りを大人しく聞いていた楓がなんだかすこし不満そうな顔をしていたが、雪兎がちらりと目線をやるとなんでもなさそうに笑う。外のスタッフから連絡を受けた央基が楓を段取りの打ち合わせへと連れて出た。
「そこのテーブル、自由に使っていいからね」
「ありがとうございます」
準備されたテーブルに持ってきたメイクボックスを置いた。メイクボックスは疾風が使っているものを朝ヘアサロンに寄って貸りてきた。中身をテーブルに並べながら、手順を頭の中で何度も繰り返す。ヘアメイク自体ははじめてではないが、いざプロのモデルを目の前にするとなると下手なことはできないプレッシャーに押し潰されそうだ。
そんな雪兎を見かねたのか、凪が場を和ませるように話しかけてくれた。彼はいくつもの芸能人や現場を掛け持つ大人気のスタイリストなので、初仕事で緊張する新人を何人も見てきたのだろう。
「雪兎くんって緊張しいだよね。相手は楓なんだし、気楽にいけばいいのに」
「そう、なんですけど。森宮くんを前にすると更に緊張するといいますか、」
「はは、やっと再会できたのに逃げられたって嘆いてたよ。でも、連絡取り合ってるんでしょ?」
「はい、」
「そうか。それでますますかわいさに磨きがかかっているのか。はじめて逢ったときは随分ともさい子だなぁと思ってたけど、垢抜けたらこんなにかわいいんだもん。きっと、楓はそれに気づいていたんだな」
にやにやと笑う凪に面食らって、曖昧な反応しかできない。雪兎が垢抜けたのはすべて凪のお陰だし、それで随分と自分の容姿に自信がついたことはたしかだ。だからといって、楓の隣に並べる自身まではまだまだ足りない。かわいいと言われたところで、なにを言っているのだろうと思うくらいだ。
「かわいいなんて、男に言う科白では、」
「ああ、そっか。でも楓に言われたらうれしいだろ?」
「どうでしょう。言われたことないので、」
そしてきっと言われることもないと思う。自嘲した雪兎を相変わらずにやにやと眺める凪が、なにを考えているのかわからなかった。それでも彼と話しているうちに随分と緊張がほぐれていることに気づいた。
「楓は雪兎くんに出逢えて幸運だったと思うよ。昔から女の子に騒がれて辟易してたから、きみに出逢えなかったらすごく捻くれてたんじゃないかなあ。モデルの仕事もあんまり乗り気じゃなかったくせに、きみに見てもらえるように頑張るって俄然やる気になってさ」
「……そうだったんですか?」
「うん。雪兎くんの傍にいるのが心地よかったみたいだよ。物静かで落ち着くって」
そんなことを思ってくれていたなんて知らなかった。知らず知らずに頬が弛んでいたのか、凪にかわいい顔と揶揄される。
「いまの顔、楓に見せてあげたかったなぁ」
「揶揄わないでくださいよ。凪さん、面白がっているでしょ」
「ごめんごめん。でも、雪兎くんは、」
凪がそこまで言った刹那楓が戻ってきたので、なにを言おうとしたのかはわからず終いだった。スタッフからメイクお願いしますと声をかけられて、凪にバランスを見てもらいながら楓にメイクを施す。疾風の仕事を最も近くで見ているとあって凪のアドバイスは的確だった。そのお陰で自分でも驚くくらいに上手く仕上がった。
「うん、疾風と遜色ないよ」
「ほんとうですか?」
「俺もそう思う。それに、先輩にメイクしてもらえたって思うと、気合が入るし」
楓がそう言って、鏡越しに笑みを寄越した。それでようやく安堵の息を漏らす。そんな雪兎を凪が苦笑って、お疲れさまと肩を叩いてくれた。
「先輩は緊張し過ぎなんだよ。俺が相手なんだから、もっと気楽でいいのに」
「さっき凪さんからも同じこと言われた。でもきみは森宮 楓だろ? だれだってきみのヘアメイク担当になれるもんならなりたいと思うだろうし」
「そうかな? 先輩がやりたいなら喜んで指名するのに」
「きみはそうやってすぐ俺を依怙贔屓しようとするんだから。今日はたまたま凪さんがいる現場で店長からの指名だったからなんとかなったんだよ。ひとりできみを担当するには俺は未熟過ぎる」
「先輩って真面目だなぁ。せっかくそんなに有名な俺が傍にいるんだから、自分のキャリアのために利用すればいいのに」
「森宮くんを利用するようなことはしたくないから」
至極全うなことを言ったつもりだったのに、楓が面食らった顔をした。え? と思っているうちに、その顔がじわりと笑みにとろけて、そっかと噛み締めるように言う。
なんだかとんでもないものを見てしまった気がして、慌てて目をそらした。顔がいいだけに
不意打ちにそんな表情をされると心臓が持たない。
「楓、そろそろ着替えようか」
「はいはい。先輩、またあとでね」
それを合図に、雪兎はメイク直しの道具を持って控室を出た。ふたりは気にしないだろうけれど、楓が着替えているところを黙って見ているのはなんとなく気まずかった。
撮影の準備が終わったスタジオはまだまだ忙しない。央基も自分の仕事で忙しそうだったので、雪兎は端に避けて撮影が始まるのを待つことにした。それ程時間を置かずに楓がスタジオに現れると、スタッフのひとりが彼を紹介する。よろしくお願いします、と楓が頭を下げると、自然と拍手が沸き上がった。
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