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第12話

 撮影が始まると、カメラの前に立つ彼の雰囲気が一変する。カメラマンの要望に忠実に答えるようにポーズを決めていく様子は、すぐそこで起こっていることなのにまるで別世界の様だった。どんなやり取りが行われているのかは聞こえる距離ではなかったが、カメラマンの言葉に楓が笑い、撮影の雰囲気は至極和やかだ。合間で写真を確認する様子もいい雰囲気で、いい仕事ができているなと雪兎でもわかる。  撮影が半ば終わったころ、ふと隣にだれかが立つ気配がした。つい楓に目を奪われていた雪兎が我に返ると、そこにいたのはスーツ姿の女性だった。若く見えるが雪兎よりは年上だろう。黒髪を肩で綺麗に切りそろえ、片方を耳にかけていた。いかにも仕事ができそうな雰囲気だ。 「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたくし、森宮のマネージメントを担当しております、田中 みことと申します。本日は急遽のお願いにも関わらず、お手伝い頂きましてありがとうございました」 「椎木がいつもお世話になっております。本日は僕が急遽代打を務めることになり、ご迷惑をおかけしました」  互いに頭を下げて、田中から名刺を受け取る。雪兎も名刺を渡そうとポケットを探ったが、あいにくと控室の鞄の中だと気づく。 「申し訳ありません。名刺が鞄の中で、」 「結構ですよ。あなたのことは存じております。香川 雪兎さん」 「え?」 「森宮は弊社の看板商品ですので、親しくされる方は僭越ながらお調べさせていただいております。仲良くしていただくのは結構です。ですがくれぐれも、それ以上は望まないようにお願い申し上げます」  田中の口調に抑揚はなく、あくまでも事務的な響きを帯びていた。一応笑みを浮かべてくれてはいるものの、目の奥が笑っていなかった。こちらを見る目線に心の内側を覗かれているようで居心地が悪い。自惚れそうになる雪兎を見透かして、牽制しているようだ。 「それ以上って、男同士なのに」 「そうですね。ですが、恋をするのは自由でしょう。先ほど申し上げた通り、森宮は弊社の看板商品です。傷がついては困ります。おわかりですね」  有無を言わせぬ圧力に、頷くほかなかった。田中はありがとうございますと頭を下げる。そしてそれ以上はなにも言わずに、他のスタッフの挨拶回りに戻っていった。それをぼんやりと見送りながら、呆気に取られていた心臓が握り潰されたような苦しさを覚える。  至極丁寧な言葉だったが、男同士は世間体が悪いから諦めろと遠回しに言われたのだろう。期待しそうになっていた気持ちは、彼女の思惑通りに折れた。彼女は雪兎の中の気持ちに気づいていたのかもしれない。  先ほどまでの楽しい気分が台無しだった。仕事とこれは別だと頭ではわかっているのに、すぐに割り切ることができない。 「メイクさん! ちょっと」  声をかけられてはっとした。無意識に握っていた掌に爪が食い込んで痛い。なんでもない風を装って楓のメイクを直していると、つい浮かない気持ちが顔に出てしまっていたのか、楓が心配そうな視線を寄越した。なにかあったの? と小声で問われたので、なんでもないよと誤魔化した。田中から言われたことを彼に告げるつもりはない。  撮影が再開すると雪兎の様子を気にかけて央基が声をかけてくれた。まずは雪兎の気持ちを励ますように、ヘアメイクが上手くできたことを褒めてくれる。 「いい感じに撮影が進んでよかったよ。せっちゃん、森宮さんを格好良く見せる天才なんじゃない?」 「ありがとう。俺もびっくりするくらい上手くできた気がする」 「その割に元気ないじゃん」 「そうかな。気のせいだよ。有名なカメラマンさんだし、緊張してるのかな」  誤魔化すように笑いながら、小さく震える掌を握り締めた。撮影を担当しているのは新進気鋭と期待され、様々な撮影で確実な成果を上げているカメラマンだ。最近では担当したアイドルの写真集が重版に重版を重ねている。そんな人間と仕事をしている実感はたしかに緊張する事態だが、この手の震えがそのせいではないことはわかっていた。  カメラマンになにか言われた楓が、不意にこちらを見た。あ、と思っているうちに、その顔がふと慈しむような笑みを浮かべる。不意打ちに胸が苦しくなって、ほんのすこし泣きそうになってしまった。視線を引き剝がすように俯くと、逃げ出したい気持ちを必死に怺える。  じわじわと田中の言葉が効いてきて、段々と怖くなってきた。明らかな恋情を胸の内に抱えて、これ以上彼の傍にいたらどうなるのか。ちょっと構ってもらえただけで浮かれていた自分を呪いたかった。もう逢わないと決めたことを忘れて、いまは傍にいたいと願っている。身を引くべきだとわかっているのに、そうしたくないと心がごねるのだ。 「あれ、絶対せっちゃんのことすきだよ」  楓の様子に呆れたように央基がそう苦笑った。そんなはずないよと絞り出した声は、自分でも驚くほどに弱々しい。そうだ、そんなはずがない。いくら楓が優しくとも、これ以上はないのだと思い知らなければ。どうせ雪兎では釣り合わないのだから。 「せっちゃん、大丈夫? 顔色が悪いよ」 「大丈夫。ちょっと考え事してて、」 「もしかしてさっき、田中さんになにか言われた?」  他人に聞こえないようにひっそりと、央基にそう問われた。小さく頷くと、すぐに人目につかないスタジオの隅へと連れていってくれる。彼がもってきてくれた丸椅子に座ると幾分か気分がマシになった。差し出された温かい紅茶を飲んだことで心も和らぐ。 「せっちゃんはすぐ思い詰めちゃうから。あんまり気にしない方がいいよ」 「うん、」 「酷いことでも言われたの?」 「ううん、そう言うわけじゃないんだけど。やっぱり身の程が合わないんだなって、思い出したら止まらなくなっちゃって。森宮くんに構ってもらえるのがうれしくて自惚れてたのかもしれない」 「すきな子に構ってもらえたらだれだってうれしいし、自惚れちゃうから。少なくとも森宮さんに構ってもらえているうちは自惚れてていいんじゃない?」 「でも、田中さんに釘差されたし、」 「気にしなくていいんだよ。大体マネージャーなんて、タレントに変な虫がつかないように目を光らせてるもんだよ。もしかしたら森宮さんがせっちゃんに夢中だから焦っているのかもよ」  揶揄するようにそう笑う央基を見ていると、思い詰めていた心が軽くなった気がした。楽観的とまではいかないが、彼のポジティブさに何度救われてきたことだろう。彼に自信満々に肯定されると、疑心暗鬼だったことも彼が言う方が正しいと思えてくるのだ。  幸いそれ以降雪兎の出番なく撮影は無事終了した。央基は最後まで心配してくれたが、大丈夫だと言うとスタッフたちの方へと戻っていった。スタジオの片付けが始まるタイミングで雪兎も控室に戻る。メイク道具を片付けているうちに戻ってきた楓が、大丈夫? と声をかけてくれた。 「どうして?」 「どうしてって、途中であの人とどっか行ったでしょ。顔色悪いし体調悪いのかと思って」 「ああ、ちょっと緊張し過ぎちゃったみたいで。もう大丈夫だよ」 「そっか。無理させたかなって心配してたんだ。よかった」  ――ああ、すきだ。  ほっとした様子で笑う楓を見ながら、そう想ってしまった。すとん、と落ちた想いが収まる場所に収まってしまうと、彼の傍にいたいと想う気持ちが強くなってくる。田中に見透かされた雪兎の気持ちはたしかに楓のキャリアに不必要な物だ。ただ慮ってくれる楓の気持ちを感じるたびに、央基の言葉の信憑性が増してくる。構ってもらえるうちは自惚れていたらいい。  あんな風に思えたらどんなに楽だろう。 「先輩? どうかした?」 「ううん、なんでもない。着替えてきた方がいいんじゃない?」 「そうだね。このあとお店に戻るの? 次までちょっと時間があるんだけど、一緒にお昼食べない?」 「でもマネージャーさんが困らないかな?」 「次の現場近いし、先に行っててもらうよ」  楓がそう言ってくれたので田中のことは気にしないことにした。楓と入れ違いで戻ってきた凪に改めて礼を言われた。今度改めて礼をさせてくれと言われたので恐縮する。 「お礼なんてそんな。いい勉強になりましたし」 「本当に助かったよ。雪兎くんがいると楓もいい表情するしさ、いい広告になりそうだってみんな喜んでたよ」 「それはよかったです」 「雪兎くんはもっと自信持っていいんだよ。きみの技術はたしかだし、これから磨きがかかっていくと思う。こっちに興味が湧いたらいつでも紹介するから」 「そう言っていただけてうれしいです。ありがとうございます」 「あと自分自身にもね。きみは充分魅力的だよ」  楓によく似た顔に片眼を瞑られて面食らった。戻ってきた楓が雪兎にちょっかいかけるなと兄を牽制する。悪びれる様子なく苦笑った凪が、もう大丈夫だからと送り出してくれた。  挨拶を終えてスタジオの外に出ると、春らしい陽射しが暖かかった。なにを食べようかと話しながら店を覗いてみたが、昼時の飲食店はどこも混んでいることを実感するばかりだ。普段雪兎は昼を食べに出たりしないのですっかり失念していた。自分ひとりならともかく、楓が一緒となるとあまり混んでいない場所がいい。 「どこも混んでるね。先輩はいつもお昼どうしてるの?」 「バックヤードでお弁当食べてるかな。予約の入り具合で時間が不規則だから」 「俺も大体現場でお弁当とかケータリングメインだからなぁ。そうだ、天気もいいし公園でピクニックするのはどう? おいしいサンドイッチでもテイクアウトしてさ」 「いいと思う」  じゃあ決まり! と楓が笑って、公園の方向へと踵を返した。美味しいサンドイッチのお店が公園の近くにあると言って案内してくれる。小一時間程ピクニックするだけなのに、ウキウキしているのが雪兎だけでないとわかってうれしい。先ほど田中の言葉に傷ついていた心はいつの間にか元に戻っていた。楓に笑いかけてもらえるだけで、あとのことはどうでもよくなってしまうらしい。  楓おすすめのお洒落なパン屋は程よく混んでいた。サンドウィッチやパンを買い込んで公園に向かうと、広大な芝生の片隅に並んで座る。平日の昼間なのでそこまで人が多くないのが幸いだ。 「時間は大丈夫そう?」 「夕方からの撮影だから大丈夫。こうやってご飯食べるの久しぶりだね」 「高校のころはよく屋上でご飯食べたね」 「先輩のお弁当美味しかったなぁ。そうだ、今度お弁当持ってまた来ようよ。作ってもらう立場の俺が言えた義理じゃないけど」 「ふふ、きみにそんな暇があったらね」  そう揶揄したら、楓が酷いなぁとわざとらしく嘆いた。その態度を取り合わずに袋から取り出したベーグルサンドを手渡すと、雪兎は自分の分を頬張る。無視しないでよ、と嘆くふりをする楓に思わず笑いそうになると、彼も頬を笑みに弛めた。 「あのさ、あの人と仲良しなの?」 「あの人?」 「ほら、さっき話してただろ? 今日の担当営業さん」 「ああ、ヒロのこと? 折原 央基っていって、幼馴染で小さいころから仲がいいんだ」 「もしかして、花火大会のときのお友達?」 「よく覚えてるね」 「先輩とのことは忘れたりしないよ」  柔らかな笑みを浮かべてはいるものの、こちらを見つめてくる瞳の奥が怖いくらい真摯だった。どうして央基のことを気にするのかわからずに首を傾げると、楓がわざとらしく話題を逸らす。 「そうだ、今度のオフが先輩のお休みと被りそうなんだ。午後からなんだけど、遊びに行かない?」 「せっかくのオフなのに俺でいいの?」 「もう、俺が逢いたいから誘ってるんだよ。俺が出てる映画が今週末公開だから一緒に行かないかなって」 「観て欲しいだけじゃない?」 「それもある」 「いいよ、俺も観に行こうって思ってたし。じゃあそのあと、よかったらうちに来る ?今度ご飯ご馳走するって約束しただろう?」  とんでもない勇気を振り絞った心臓が緊張で高鳴っていた。ぽかんとした楓の頬がじわじわと笑みに弛むのが直視できなくて、つい目をそらす。いいの? と問う声に、喜びが滲んでいるのはきっと気のせいではない。  これでは自惚れるなと言う方が酷だった。

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