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第13話
楓から待ち合わせに指定されたのは、都心からすこし離れた場所にあるカフェだった。気になって調べてみると、インターネット上での評価は高いものの、平日の昼間は比較的空いているという。繁華街から離れているし、近くに会社や学校も多くないので、混むのは週末だけなのだろう。
実際に訪れてみると、通りに面した大きな窓から店内の様子がよく見えた。雰囲気がよさそうな店内にはゆったりと本を読む女性客と、ランチをしている主婦がふた組おり、奥のふたり掛けの席がひとつだけ空いている。早めに終わりそう、との連絡があって急いで来たのに、楓はまだ来ていないようだった。雪兎は店に入るとあとからもうひとり来る旨を伝えて、空いている席に収まった。
着いたことを楓に知らせると、店員が運んできてくれたお冷で喉を潤した。楓はこの近くで撮影をしているといっていたが、駅から歩いてくる間に遭遇することはなかった。ほんのすこしだけ仕事をしている楓を垣間見れたらいいな、と思っていただけに残念だ。
もう少しで楓に逢える、と思うと、仕事場で逢うのとは違う期待感に、心が浮足立って仕方がなかった。朝起きてから家を出るまでの間ずっと、そわそわ感に苛まれている。田中から釘を刺されたことは、ずっと心に引っかかってはいた。けれどこれはあくまでも、ただ友人として遊びに行くだけだ。心のうちに抱える想いを漏らすつもりはないのだし、と、今日まで心の中で何度も言い訳を繰り返した。友人としてなら傍にいることが、きっと許されるだろう。
ぼんやりとガラス越しに外の通りを眺めていると、楓が前を通り過ぎて店内へと入ってきた。対応した店員が彼に気づいたように息を呑むのがわかって、そうだよなぁと苦笑いを零す。今日の彼はいつもの帽子やサングラスをしていなかった。一応眼鏡は掛けているものの、ただのお洒落アイテムにしか見えない。
「待たせてごめん。なにか頼んだ?」
「ううん、きみが来るの待ってたから」
「そっか。先輩はなににする? 俺、めっちゃお腹空いてて」
「朝早かったの?」
「割とね。あと撮影でめっちゃ走ったから疲れた」
そう笑った楓が、メニューを見ながらパンケーキがおすすめらしいよ、と言う。共演者にこの辺りで待ち合わせができるお店を聞いたら、ここのパンケーキがおすすめだと教えてもらったのだそうだ。きっと相手が女の子だと思われたのだろう。パンケーキはお食事系とデザート系があったので、お食事系のほうを選んだ。楓は日替わりランチにすると言って、店員を呼んで注文してくれた。
「ねぇ、もうちょっと変装した方がよかったんじゃない? きみだってバレてるよ」
「せっかく先輩と逢うんだからお洒落したいじゃん。堂々としてれば、結構声掛けられないもんだよ」
つい声を潜めて苦言を呈すれば、あっけらかんと楓が笑う。たしかに、店員や他の客は明らかに楓だと気づいているものの、声をかけよとはしてこない。実際本物を前にすると勇気を出して声をかけよう、という人間はそれほど多くはないのかもしれない。雪兎がつい周りを気にしてしまうのは、彼と並んでいる自分がどんな風に見られているのか気になるからだ。
今日着ていく服は昨日から散々悩んで決めた。髪だっていつもよりも念入りに整えた。元の作りは彼とは比べ物にならないけれど、すくなくとも釣り合わないと思われないように気を遣ったつもりだ。それでも、人の目はどうしたって気になる。高校生の頃もそうだったが、いまとなっては一層だ。
――どんなふうに見られているんだろう。
気にしだすと、ひそひそと話す周りの声や視線がすべてこちらに集まっているような気がした。小さなカフェでよかった、と心の底から思う。これがもし大規模なチェーン店や街中だったとしたら、もっと多数の視線に晒されて、逃げ出したくなっていたかもしれない。楓はそんな雪兎に、頬杖をついて大丈夫だから落ち着いて、と苦笑った。
「先輩は注目されるのが苦手だもんね」
「どちらかというと、きみの横にいて大丈夫かなって不安の方が強いかな」
「大丈夫だよ。すごく素敵だし」
「そ、そうかな、」
「うん。かわいい」
あ、と思った。凪に言われたときは男に言う科白ではないと返したが、楓に言われるとうれしいという感情が心に滲み出してくる。じわりと熱くなった頬を、見られたくなくて俯けた。言われることなど一生ないと思っていたのに、逢った傍からこの調子ではこの先、心臓がいくつあっても足りない気がする。
「こういうのは気にしたら負けだよ」
「きみは慣れているからいいけど」
「先輩にも慣れてもらわないと困るなぁ。いろんなところ、一緒に行ってくれるんでしょ?」
「……精進します」
どうにかそう言葉を返したら、楓がおかしそうに頬を弛めた。たしかに、彼の言う通り気にしたほうが負けなのだろう。楓はどこにいたって視線を集めるのだし、それは雪兎を見ているわけではない。そう思うことにして、どうにか食事を終えることができた。
店を出て映画館に向かう間も、通りすがる人たちがちらちらと驚いたような視線を寄越す。それをいちいち気にしていたら果てがなかった。それでも、楓に面白がられているなとわかってはいながら、おっかなびっくりせずにはいられない。楓は高校の後輩ではなかったら、こうして歩いていることすら畏れ多いような、雲の上の人なのだ。
映画館は駅前の商業ビルにあり、単館系の映画館が多い街では珍しく、メジャーな映画を多く取り扱っている。チケットは事前に楓が買ってくれていたので、入場はスムーズだった。楓が出演する映画は公開前から話題になっていたし、公開したばかりとあって、平日の昼間にも関わらず割と客席は埋まっていた。雪兎も事前に情報は入手していて、公開を心待ちにしていた作品だ。人気少女漫画が原作なだけに、観客は女性が多い。
席はいちばんうしろの端っこだった。大きなスクリーンだったので、そこでも見づらいということはない。おそらくバレないような位置を選んだのだろう。それでも若い女の子が多い中で男のふたり連れは目立つのか、ちらちらとこちらを伺う視線があった。ひそひそと話す様子もあったのでもしかしたら気づかれたのかもしれないが、流石に本人が白昼堂々と観に来ている、とは考えづらいのか、話しかけられたりはしなかった。
「夕飯の買い物してから帰る?」
映画のあとは感想を言い合いながら公園を散歩して、夕方ごろには雪兎の家に向かう電車に乗った。
帰宅時間帯に差し掛かった電車内は、学生が多く賑やかしかった。運よく空いていた席に並んで座っているせいか、声を潜めてそう問われる距離の近さに、恋心を自覚した胸がいとも簡単にときめいてしまう。一瞬言葉に詰まるのに、楓が不思議そうな視線を寄越した。この男は自らの行動の破壊力の強さをもうすこし自覚すべきだと思わずにはいられない。
白昼堂々電車に乗ることに、懸念がないわけではなかった。タクシーで帰るという手もあったが、楓が大丈夫だと請け負うのでつい流されてしまったのだ。バレやしないかと冷や冷やしているのは雪兎ばかりで、普段電車も使うと言っていた楓は案外目立ってはいなかった。それにこっそりと安堵の息を漏らして、ようやく楓との会話に集中することが叶った。
「ううん、もう準備してきたから大丈夫。食べたいもの聞いておけばよかったかな?」
「先輩が作ってくれるものならなんだってすきだよ」
「煽ててない?」
「本当だってば」
楓がそう笑ったとき、落とした視線の先にローファーのつま先が見えた。はっとして顔を上げると、制服を着た女の子が意を決した顔で立っている。勇気を振り絞るように高揚した頬が、楓のファンであることを物語っていた。
「あのっ! もしかして、森宮 楓くんですかっ?」
左程大きな声ではないものの、車内の空気が騒めいた。そこら中の視線が集まってくるのがわかって落ち着かなくなる。降りる駅まではもうすぐだったが、狭い車内に逃げ場はない。
楓がにこやかな笑みを浮かべて、そうですと認めた。握手やサインを求められて気持ちよく対応するさまを見ていると、やはりあの森宮 楓なのだなと実感する。一緒に出かけたあとで同じ部屋に帰ろうとしている現実がまるで夢のように思えてきた。
「一緒にいる方も俳優の方ですか?」
「え? 俺は、」
「彼は違いますよ。僕の友人です」
「そうなんですね。格好いいからてっきり、」
かっこういい? と疑問が浮かんだところで、電車が最寄り駅へと滑り込んだ。ドアが開くと同時に楓に手を取られて電車を降りる。女子高生たちの黄色い声を無情にもドアが遮断した。あ、と思って慌てて手を離すと、悪戯が成功した子供のような笑みを向けられる。
「もう! 急にあんなことしたら彼女たち驚くだろ」
「先輩のこと格好いいとか言うからつい」
「ついって。森宮くんと一緒にいたからそう見えただけだよ」
「あーあ、いつか思い知らせてやりたいよ」
楓がそうぼやいて、帰ろうと雪兎を促した。思い知らせるとは一体なんのことだろう。
雪兎の住むアパートは駅から徒歩十分ほどの場所にある。築浅で鉄筋コンクリート造りの三階建てで、オートロックのドアを潜ると内階段で上へと上がれる。階段を中心としてコの字型に三室ずつ、計六室だけの小さな建物だ。
雪兎の部屋は二階の真ん中で、都心に住むよりは安めだが、それでも風呂トイレ別なのと築年数を考えればまぁままな金額だった。もう少し古くて安い物件もあったのだが、物件探しを手伝ってくれた姉がオートロックは必要だと譲らなかった。結果快適に暮らせているし、辛うじて楓を招いても大丈夫だろうと判断できるに至ったので、姉には感謝してもしきれない。
カギを開けて中へ招き入れると、楓がお邪魔しますと靴を脱いだ。今日一日中一緒にいたのに、自分のテリトリーに招き入れるというのはどうも緊張する。自分の家なのにぼんやりしてしまったようで、楓から大丈夫かと声をかけられた。それにはっと我に返って、慌ててどうぞとリビングへと案内する。
「へえ、いいところに住んでるね」
「きみの家に比べたら全然だろ?」
「そんなことないよ。俺片付けとか苦手だし」
「適当に座ってて。いまお茶淹れるから」
「ありがと」
楓がソファに座ってきょろきょろと部屋中を見回すので、つい粗がないだろうかと心配になった。雪兎は元々散らかすほうではないものの、今回の訪問が決まってからは数日かけて徹底的に掃除をした。見られたくないものはすべて寝室へと片付けて、間仕切りのドアを閉めてある。そうすると部屋が狭く感じるのだが仕方がない。
楓にコーヒーを淹れてから、夕飯の準備に取りかかった。午前中に下準備と作り置きをしておいたので、あとは汁物を作って、漬け込んでおいた鶏肉を焼くだけだ。汁物はなににしようかと考えながら作業をしていると、いつの間にか楓が雪兎の手元を覗き込んでいた。
「なにか手伝うよ」
「座ってていいのに。これはこのまえご馳走になったお礼なんだから。それに今日だって勝手に色々払ってもらったし」
「勝手にって。そこは俺に格好つけさせてよ」
楓がわざとらしく唇を尖らせると、本当に手伝うと言って手を洗った。なにをすればいい? と聞かれたので好意を無下にもできず、狭いキッチンに男二人で立つ羽目になった。申し出てくれた手前得意なのかと思ったら、なんでもできそうな顔をして楓の手際はとんでもなく悪かった。忙しくて自炊をしている時間もないのだろう。いったいどんな食生活をしているのかと気にはなったが、あまり踏み込み過ぎるのもいけない。
ひとりのほうが手早く仕上がったが、そのぶん楽しかったのでよしとしよう。ふたりぶんの食事をローテーブルへと運ぶと、向かい合っていただきますと手を合わせる。夕飯を食べながら、今日の楽しかった出来事を話した。食べ終わったら、楽しい時間が終わってしまう。そう考えると、つい、食事を口に運ぶのが遅くなる。
「明日朝早いの?」
「いつもよりはゆっくり目かな? どうして?」
「早めに帰った方がいいのかなって。ほら、台本とか読まないといけないだろ?」
「明日の午前中は取材だから待ち時間に読むよ。それとも、俺のこと早く追い出したい?」
その問いに慌てて首を振ると、楓が可笑しそうに噴き出した。どうやら揶揄われていたらしい。もしかしたら、試されていたと言ったほうが正しいかもしれない。彼はきっと、雪兎にもうすこしいてほしいと言ってほしいのだ。
楓が手伝ってくれたお陰で、後片付けは早く終わった。お茶を淹れてリビングに戻ると、ソファに座る楓の隣へ収まる。温かいお茶を飲みながら、時計の秒針の音がやけに耳についた。一秒一秒が過ぎていくたびに、今日が終わりに近づいていく。楽しかったぶん、別れるのが寂しかった。楓も、そう思ってくれていたらいいのに。
「楽しい一日ってあっという間だなぁ。また行こうね」
「いいの?」
「もちろん。いつにする?」
「今度は俺が森宮くんのお休みに合わせるよ。早めに言えば融通利くから」
「じゃあオフの日がわかったらすぐに連絡する。あ、でも新しい仕事が決まったばかりだから、昼間逢うのは難しいかもしれない」
「そっか。それなら、夜ご飯食べに行くとか」
「また先輩のお家に来てもいい? 疲れてるときに先輩のご飯食べたら元気になれるから」
「いいよ。いつでも来て」
ありがとうと笑う楓の表情が本当にうれしそうで、なんだか雪兎までうれしくなった。ご飯を作るくらいで彼が元気になれるのならいくらだって作ってあげたい。
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