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第15話

 翌朝目を醒ますと隣に楓の姿はなかった。雪兎の家に客用布団の用意がなかったため、昨晩は楓に抱き締められる形でひとつのベッドで眠ることとなった。ドキドキして眠れないと思っていたのに彼の体温が思った以上に心地よくて、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。枕元の目覚まし時計は七時前を指していた。  寝室から出ると、キッチンに立った楓が危なっかしい手つきでフライパンを扱っているのが見えた。おはよう、とあいさつをして手元を覗き込んだら、フライパンではベーコンと卵が旨そうな音をたてている。端が少し焦げているのはご愛敬だろう。 「ご飯作ってくれたんだ」 「昨日のご飯のお礼と思ったんだけど、不慣れだからちょっと焦げちゃった」  恥ずかしそうに苦笑う楓がかわいくて、胸の奥がきゅんと鳴く。いとおしさが溢れ出て、気づいたらその背中に抱きついていた。広い背中に頬を預けると、彼の鼓動がちいさく跳ねるのに頬が弛む。腕の中の存在は抱き締めても消えることなく、楓と過ごした一夜が夢ではないことを教えてくれる。 「どうしたの?」 「ううん、夢じゃないんだなって」 「なんだ、俺たち、同じこと思ってたんだ」  振り向いた楓が擽ったそうな笑みを浮かべていた。それからうれしそうな声音がご飯食べよ? と誘う。  離れるのが名残惜しかった。けれどそれほどゆっくりしている時間はない。雪兎は時間通りに出社しなければならなかったし、楓も一度着替えに帰らなければいけない。楓が焼いてくれたベーコンエッグをお供に、トーストとコーヒーで朝食をとった。一生懸命作ってもらった朝食は少し焦げていてもとても美味しかった。 「森宮くんって、いつから俺のことすきだったの?」 「再会したときに再認識したって感じかなぁ。高校生のときからずっとかわいいなって思ってたし」 「かわいい? 高校生の俺が?」  思わず怪訝な声を出してしまう。それに楓が擽ったそうに笑いながら、高校のころを思い出すようにうっとりとした顔をする。 「かわいかったよ。前髪と眼鏡で顔を隠していたけど、ほら、最初に逢ったとき顔を覗き込んだの覚えてない? あのときはなんで綺麗な顔を隠してるんだろう? って思った。でも、それを知っているのが俺だけだって優越もあってさ。逢う度になんてかわいい人なんだろうって」 「もう、わかったから、」 「ええ、先輩から聞いたのに」 「だって恥ずかしいよ」  すきな人に手放して褒められるのは本当に恥ずかしかった。そんなふうに思われていたことをあのころの雪兎が知ったら、きっと腰を抜かすだろう。すこし不満そうに唇を尖らせた楓が気を取り直したのか、雪兎はいつからなのかと問うてきた。身を乗り出して返答を待つ楓の、にこやかな笑みには圧力すら感じる。 「言わなきゃだめ?」 「俺だけ白状するのはずるいでしょ」 「……俺も高校生のときからすきだったよ。あのころの俺はきみが構ってくれることがうれしくて、気づいたらもうすきだった」 「なんだ。両想いだったのかぁ。言ってくれたらよかったのに」  楓が至極残念そうに嘆くのに苦笑いを零した。考えてみるとたしかに、自分たちの関係性は両想いだったと言えるかもしれない。それでもあのころの自分には告白する勇気などなかった。 「あのころの俺たちじゃ、きっと恋人にはなれなかったと思うよ? 俺は臆病だったし、それにきみはきっと俺のこと振ったと思うし」 「心外だなあ。俺はそんなことしないよ」 「でも、男に告白されたら戸惑っただろ? あのころの俺たちはまだ子供だったから、いまみたいにお互いのことを思い遣れなかったかもしれない。だからもし付き合えても、あのころの俺はすぐに別れを切り出したと思う」 「いまはそうじゃないってこと?」 「森宮くんが俺のことをすきなのは自惚れじゃないってわかったからね。だから俺もきみのことは諦めたくない」  自分の気持ちをしっかりと言葉にできたことに安堵していたら、突然楓が突然立ち上がった。唖然としているうちに、テーブルを回り込んできた彼に力強く抱き締められる。どうしたの? と問うと、抱き締めてくれる腕に力が籠った。 「いとおしさが溢れちゃった」 「え?」 「先輩がかわいいのは俺の贔屓目じゃないよ。先輩が親しくしている人間に、俺がどれだけヤキモキさせられているか知らないだろ。いつだれにとられるんじゃないかって気が気じゃない」  拗ねたような声音がかわいくて、つい笑みが零れた。彼からそんなふうに想われていたなんて知らなかった。多くの女の子たちの心を鷲掴みにしている〈あの森宮 楓〉にそこまで想ってもらえるなんて、なんて贅沢なのだろう。 「きみがいちばんだよ?」 「それでも嫉妬はするよ。特に折原さんとか」 「ヒロとは幼馴染だけど、そういう気持ちは一切ないよ」  ときどき怪しい言葉を口にすることはあるが、そこにやましい気持ちは含まれていないと思う。生まれたときからの幼馴染なので、家族みたいに気心が知れた存在なのだ。楓のことを相談するときも男同士だという偏見は一切持たずに、純粋に背を押してくれる。彼はよき相談相手で親友だ。それ以上でも以下でもない。  それを言うとまた楓があらぬ誤解をしそうなので黙っておいた。ついでに田中に釘を刺されたことも、言わない方がいいだろうなと心の奥に仕舞い込む。こうなったことを知ったら、彼女は鬼の形相で怒鳴り込んでくるかもしれない。きっと正論を振りかざして雪兎を遠ざけようとする。けれどもうこのぬくもりを手放すことはできない。  楓の背に腕を回して頬をその肩に預けた。そろそろ出なくていいのかと問うと、もうちょっとだけとぐずるような声を出した。普段きらきらして最高に格好いい彼が、こんなにかわいいだなんてずるい。 「折原さんしか知らない先輩がいるんでしょ?」 「きみだって、俺の知らないきみがたくさんいるだろ?」 「それを言われちゃうとなぁ」 「じゃあ、ひとついいことを教えてあげる」 「いいこと?」  不思議そうな声音には僅かな期待が入り混じっていた。雪兎は小さく息を吐いて、緊張する胸の内を鎮める。随分と恥ずかしいことを告白しようとしている自覚はあった。でも、楓にしか言わないことだ。 「ぜんぶ、きみがはじめてだよ」 「え?」 「今までだれとも付き合ったことないんだ。だから、昨日は我慢させてごめんね? 次は頑張るから、」  そこから先は、楓の唇に阻まれた。名残惜しそうに雪兎の下唇を食んだ楓から、小さな溜息が漏れる。片手で顔を覆ってしまったので、なにかまずいことを言ったのかもしれない。けれどすぐにそれが杞憂であったことが知れた。 「森宮くん?」 「先輩のはじめてが全部俺のものなんて信じられない……!」  絞り出すような声音に頬が自然と笑みに崩れた。大袈裟だなぁ、と零せば、そんなことはない! と力の籠った声を返される。 「そんなことないよ! こんなかわいい人がいままで穢されずにいてくれたなんて奇跡だ。先輩を見つけたのが俺でよかった」 「きみって意外とバカみたいなことを言うんだね」 「俺の頭の中なんて大概こんな感じだよ? 先輩かわいいなぁ、すきだなぁ、ってずっと想っているんだから」  大真面目にそう言われるのに、つい声を出して笑ってしまった。雪兎にとっての楓はいつだって頼りになる存在だったのに、案外俗物的な考え方をするのが可笑しい。こんな風に想ってもらえていることを、知ることができてよかった。想いが通じ合ったいまなら、その言葉が本心であると信じられる。

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