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第18話

 それから数日後、田中が宣言した通り楓の熱愛報道が世間を賑わせた。相手が今回の作品で共演しているヒロイン役ということもあって、東京へ戻ってくるタイミングで報道陣が空港に詰めかけ、大混乱している映像をよく目にした。ワイドショーは楓初の熱愛スキャンダルを大々的に取り上げたが、両者の事務所からは示し合わせたような『お友達のひとりです』という回答が出ていた。それがまた想像を掻き立てるのか、有名な芸能リポーターなどはあることないことすきなように煽っていた。  記者の直撃を受けてすぐ、楓からは慌てたように弁解の連絡がきた。丁度お昼休憩の時間で、幸い休憩室にはひとりきりだった。 『なんでこんな記事が出たのか、本当にわからないんだ。田中さんも揉み消してくれたらよかったのに、今回の作品に好都合だからって……でも本当に他のスタッフさんや共演者がいたんだよ!』  まさか、自分のマネージャーがスキャンダルをリークしただなんて夢にも思うまい。それが楓と雪兎のスキャンダルを隠すためであるということは知らない方がいいだろう。 「疑ってないよ。だから安心して」 『本当? 変なこと考えてない?』 「変なこと?」 『俺の前からいなくなった方がいいんじゃないかとか、そういうこと』  放っておくとすぐ俺の前からいなくなる。  以前そう彼に言われたことを思い出した。つい小さな笑い声を零すと、楓がどうして笑うのだと怪訝そうな声を寄越した。 「ううん、ちょっとむかしのことを思い出して」 「むかしのこと?」 「放っておくとすぐ、俺の前からいなくなるって、再会してすぐ言われたなぁって」  楓が慌てて釘を刺してくるのは、いなくなった前科があるからだろう。そんなことを言われなくたって、雪兎はもうどこにも行けやしない。 『あのときは探すのが大変だったんだからね。だからもういなくならないでほしい』 「いなくならないよ。きみがあんまり俺のことすきでいてくれるものだから、きみのこと手放せなくなっちゃったんだ。ごめんね」 『どうして謝るの? 雪兎さんこそ、俺から逃げられないってわかってる?』 「逃げないよ。もう、絶対に逃げない」  自分に言い聞かせるようにそう言いながら、楓の熱愛報道が頭の片隅にちらついていた。本音を言えば、ほんのすこしだけ羨ましいと思ってしまった。報道されても世間から当たり前のように好意的に受け入れられる関係性と、楓の隣に立ってもお似合いだといわれる女の子が。  楓の熱愛報道の記事は毎日のように続報が上がるので、決定打になった写真を何度も見る羽目になった。女の子とふたりでどこかの店から出てくる写真と、ホテルに入っていく写真。ほかの共演者が一緒にいたとしても、上手いことふたりきりに見えるように写されている。まるでだれかがこのために、作り出したシチュエーションみたいだった。 『いますぐ飛んでいきたいんだけど、田中さんが目を光らせてて。髪を切りに行くって理由も使えそうにないんだ。帰ったらいちばんに逢いに行くって約束したのに、ごめん』 「ううん、謝らないで。きみは今週刊誌から追われている身だろ? しばらく逢わない方がいいと思う」 『そうだけど、』  しゅん、とした声に胸が疼いた。それこそ田中の思惑通りだとわかっていながら、雪兎にはどうすることもできなかった。熱愛スキャンダルで記者が楓に注目していれば、雪兎に逢いに行こうなどという気は起こせない。それに雪兎なら、楓のキャリアを考えて危ない橋を渡るわけがないと踏んだのだ。 「すこしの辛抱だよ。ほとぼりが冷めるまでの。ね?」 『雪兎さんは寂しくないの? 俺に逢えなくて』 「そりゃあ、」  寂しいに決まっているだろうと口に出そうとしたところで、彼のうしろから「撮影再会しまーす!」という声が聞こえてきた。楓がごめんと謝って、また連絡すると残念そうな声を出す。 「うん、がんばってね」 『ありがとう、雪兎さん。だいすき』  柔らかな笑みが溶けたような、甘い声音だった。通話はもう切られたのに、耳が火傷しそうなくらいに熱い。ひとつ息を吐いてから、周りにだれもいないことに安堵した。雪兎はいま、だれかに見せられる顔をしている自信がない。  その日はどうにかこうにか恙無く仕事を終えて、それほど残業せずに店を出た。店内にはまだ同僚が残っていたので、戸締りは彼らにお願いをする。突然すみません、と声をかけられたのは、駅に向かって歩きかけたそのときだった。 「突然すみません。香川 雪兎さんですよね?ちょっとお話いいですか」  年のころは四十代くらいで、へつらうような笑みが顔に貼り付いている。まともな格好をしてはいるものの、なんとなくよれた印象だ。  直感で雑誌の記者だと思った。すこし離れた路肩に停まる車にもうひとりいることが知れた。カメラを構えてこちらを狙っている様子だ。  人違いだと振り切ろうとしたら腕を捕まれた。思った以上の強い力に怖気づく。すこしくらいいいじゃないですか、と笑むその顔には有無を言わさぬ圧力がある。 「森宮 楓さんとのご関係についてお伺いしたいんですよ。ご友人同士、ってわけじゃないでしょ?」 「彼とは仕事の関係もありますし、仲良くさせていただいてはいますけど、」 「仲良く、ねぇ。そのお綺麗なお顔で誑し込んだんじゃないですか?」 「なに、」 「男でもそそられる顔してる、って言ってるんですよ。森宮さんが熱心に通い詰めるのもわかる。どんな手を使ったんです?」  ――ああ、この男だ。  雪兎にだけ聞こえるように声を落として下卑た笑みを浮かべる男に、カッと頭に血が上った。田中はこの男が事実まで辿り着いているからこそ、どうにかして楓を守ろうとしたのだろう。  ここで声を荒げたら負ける。それでも、雪兎は怒りを我慢できなかった。自分のことはいくら蔑まれようと構わない。けれど楓が想ってくれた〈雪兎〉を蔑ろにされるのは我慢ならない。彼は誑し込まれるような、そんな不誠実な男ではけしてない。雪兎を揶揄することで楓まで陥れる手管に、虫唾が走る。 「どこまで失礼なんだ。彼はそんな人じゃない」 「ムキになるということは、図星ですか」 「俺たちはそんな関係じゃないですよ。現に熱愛報道が出てる最中じゃないですか。俺からはなんの情報も得られませんよ」 「ああ、そうでしたね。じゃああんたは遊ばれてたってわけだ」 「だから、彼はそんな人じゃないって、」 「雪兎! どうかしたか?」  割って入った声に我に返ったのか、男の力が弛んだ。疾風が店から出てくると、男との間に割って入ってくれる。背後に庇われて、ほっとしたせいか手が震えてきた。無遠慮な暴力がいまさらになって怖くなる。 「うちのスタッフがなにか?」 「いえ、お話をお伺いできないかと思いまして。森宮 楓さんとのご関係について」 「ああ、スキャンダルの続報でも書くつもりなのか? それならこんなところにいないで、楓に貼りついていたほうがいいんじゃないか? もしくは相手の女優に」  疾風がわざと高圧的に嘲笑った。男は一瞬怯んだような顔をしたが、すぐに媚びたような笑みで取り繕う。疾風は業界内では顔が知れたほうなので、職業柄なのか、その正体に気づいたのだろう。 「生憎と、こちらが追っているのはそっちじゃないんですよ。あなたならご存じなんじゃないですか? 森宮 楓があなたのところのスタッフに入れ込んでいること」 「さぁ、うちはスタッフのプライベートには口出ししない主義なんだ。雪兎、気にするな。行 くぞ」  疾風にさり気なく肩を抱かれて、男から離れるように促された。そのまま店の裏にある従業員駐車場へ連れていかれると、疾風から車に乗るように言われる。その通りに助手席へと収まると、彼が運転席へと乗り込んだ。後追いしてくるかと思った男は、とりあえずは諦めてくれたようだ。 「大丈夫だったか?」 「はい。ご迷惑をおかけしてすみません」 「いや、俺がいる日でよかったよ。お前になにかあったら、凪と楓になんて言われるか」  そう言って疾風が苦笑うと、家まで送ると車を出した。 「あの記者、だいぶ勘づいているな」 「すこし前に楓くんのマネージャーさんから写真が遅れられてきたんです。俺と楓くんが一緒にいるところを撮られていて。たぶん、あの人が送ったんだと思います」 「それで楓の熱愛報道が出たのか。おまえに惚れ込んでいるのに、なんであんな記事が出るんだって思ってたんだよ。おおよそ、田中さんが知り合いの記者に頼んであることないことでっち上げてもらったんだろ」  あの人ならやりかねないと言いたげに、疾風がわざとらしく嘆息した。 「俺と楓くんのことも、あることないこと書かれますかね?」 「今のところ、確証を得ようと躍起になってるってところじゃないか? まぁ、真実なんて二の次って記者もいるが、こればっかりは確証がない限りは書きにくい。なんせ大人気俳優の森宮 楓が男と付き合っているなんてな」 「詳しいんですね」 「俺も一応業界関係者だからな。もし書かれるとしたら、女優との熱愛スキャンダルを隠れ蓑に男に入れ込んでる、とかか。俺がおまえを庇ったところもばっちり撮られているだろうし、入れ込んでる男に二股かけられている哀れな若手人気俳優、なんてな」  そう冗談めかして疾風が笑った。突然のことでしゅんとしていた雪兎を、元気づけようとしてくれたのだろう。本当にそうなったら笑えないが、とりあえずはその気遣いを有難く受け取っておく。 「そんな記事、信じる人いるんですか?」 「さぁ、雑誌が売れりゃあなんでもいいんだよ。まぁ、これに関しては田中さんがなんとしてでも止めてくれるだろうから安心しろ。なんせ楓はあの事務所の稼ぎ頭だ。でも、おまえも気をつけないとな。家もバレてるんじゃないか?」 「そう、ですね」  そうだった。楓が雪兎の家に帰ってくるところをあの記者は撮っている。今日は店だったからよかったが、家を訪ねてこられたらだれにも助けてもらえない。あの男の下卑た、光のない目に怖気が走った。掴まれた腕がいまになって酷く気持ち悪く感じた。 「凪のところは楓がいるから駄目だな。俺の家は連れ込んだってどやされそうだからやめておこう。実家はどうだ?」 「大丈夫だと思いますけど、実家からだと店に通えないですよ?」 「こっちはなんとかするから、落ち着くまでしばらく休め。お母さんのお店を手伝うのもいい経験になると思うぞ。あと、楓との連絡も絶った方がいいな。実家に帰ることはあいつには言うなよ。完全に関係性がなくなったと思わせたら勝ちだ」 「それなら楓くんに相談して、演技してもらったらいいんじゃ、」 「敵を騙すにはまず味方からって言うだろ?いくら俳優といっても、あいつはおまえの前では形無しだぞ? おまえを嫌う演技なんて楓にできると思うか?」  できる、と言い切ることはできなかった。それに演技とはいえ、楓に嫌われる素振りを見せられたら立ち直れそうにない。疾風に言われた通りにしばらく連絡を絶って、ほとぼりが冷めるのを待つ方がいい。  しばらく逢わないほうがいいと言ったときの、楓のしゅんとした声を思い出した。前触れもなく雪兎と連絡が取れなくなったら慌てふためくに違いない。雪兎が黙っていなくなりやしないかと、あんなに心配してくれていたじゃないか。 「大丈夫だ、雪兎。あいつはこんなことでおまえを諦めたりはしない。だから安心して心を鬼にしたらいい」 「あとで楓くんに怒られますよ」 「おまえが危ない目に遭うよりはいいと、あいつだってわかるさ」  疾風が実家まで送り届けてくれることになり、一度荷物を取りに自宅へ戻った。疾風を下で待たせたまま、慌てて実家に帰る準備をする。荷物を鞄に詰めている間に楓から着信があったが、言われた通りに心を鬼にして出なかった。着信音はしばらく鳴り続けたあとで、諦めたようにぷつりと途切れる。その寂しさに一瞬決意が揺らいだ。楓に告げておいたほうがことが穏便に済むのではないか?  スマートフォンが短く震えて、楓からメッセージが入った。雪兎が電話に出られないときは決まって、こうしてメッセージを入れてくれるのだ。『忙しかった?』という短い言葉で、しゅんとしている楓の姿を想像するのは容易い。疾風にはああ言われたけれど、しばらく連絡ができないことを伝えることくらいは許されるだろう。  ――ごめん、楓くん。しばらく連絡できない。

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