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第22話
とりあえず出かける準備をしに自分の部屋へと戻った。お見舞いに行くといっても雪兎は楓の実家の場所を知らない。そういえば楓にメッセージを送ったきりだった。スマートフォンを取り出して楓からの返信を確認すると、丁度数分前に『おはよう』と連絡が届いていた。『いつでも電話して?』と書かれていたので、返信する代わりに通話ボタンを押す。コール音はすぐに途切れ、もしもし! と楓の声が電波の向こうで弾んだ。
「慌て過ぎじゃない?」
笑い混じりにそう返せば、だって、と唇を尖らせているのが目に見えるようだった。
『いつ電話してくれるんだろう? って心待ちにしてたから。もうすぐ回転の時間でしょう?』
「今日はお休みにしてもらったんだ。だから君に逢いに行こうと思って」
『ほんとに?』
「うん。今朝田中さんが訪ねてきて、もう楓くんに逢いに行っていいよって言ってくれたんだ。それに謝りたいこともあるし」
『謝りたいこと?』
「しばらくお休みするって、ニュースで見たよ。そうなったのは、俺のせいなのかなって」
なんだか、随分と歯切れの悪い、ずるい言い方になってしまった。謝るのなら電話ではなく、顔を見て頭を下げたかった。それなのにそう口に出してしまったのは、心のうちに抱えた罪悪感をすこしでも軽くしたかったからだろうか。案の定楓が雪兎のせいではないと苦笑う気配がする。
『雪兎さんのことだから、そう言うんじゃないかと思ってた。あれは俺の体調管理が甘かったせいだよ』
「でも、」
『悪いと思ってるなら、これからデートしてくれる?』
「え?」
『いまから迎えに行っていい?』
「な、なに言ってるの? きみは休養中だろ?」
『雪兎さんと一緒にいることがいちばんの特効薬だよ。それに世間から隔離する意味でって、田中さん言ってなかった?』
惚けるようにそう言われる。たしかに田中もそう言っていた。だからと言って、休養中の人間が堂々とデートなんてしていたら世間から白い目で見られるだろう。またスクープ写真でも撮られたらそれこそ楓の立場が危うくなる。
けれど、いまがまたとないチャンスであることもたしかだった。田中の言葉を信じるのなら、いま楓の周りに記者はいない。この先楓が復帰したらすぐに忙しい日々が戻ってくるだろう。ふたりきりでゆっくりどこかに出かけるなんて、次の機会がいつ来るかわからない。
それでも、流されてしまっていいのだろうか。外でデートするのと、楓の家に行くのとでは意味合いが異なってくる。返答に迷ううちに、迎えに行くから待っててという一言で押し切られた。返事をする前にぷつりと通話が途切れてしまい、為す術がなくなる。
しばらく呆然としていたものの、とりあえず出かける準備をした。どうやって迎えに来るのだろう? と疑問は残るものの、楓が言ったデートという響きにいやでも胸が高鳴ってしまう。
しばらくののち、楓から着いたと連絡があった。母に出かけてくると断って玄関から外に出ると路肩に小型の車が停まっていた。まさかと思って車内を覗き込むと、楓がにこやかに手を振ってくれた。明るいところで逢う彼はすこし痩せて見えるものの、昨日よりは随分と気分がよさそうだった。
乗ってと促されて、助手席へと収まる。ふたり乗りのクラシックカーなんてはじめて見た。左ハンドルであることからして、外国製の車だろう。ピカピカに磨かれた丸いフォルムは、すこし前の外国映画に出てきそうな佇まいだった。そこに楓が乗っているのは大変絵になる光景だ。
助手席のシートは革張りで、すこし硬かった。シートベルトを締めると、楓が車を発進させる。路地を抜けて大通りに出ると、どうやら海の方へと向かうらしい。
「免許持ってたんだね」
「うん。雪兎さんが卒業した翌年の夏休みに取ったんだ。雪兎さんは?」
「俺も専門のときに取ったよ。全然乗ってないからペーパードライバーだけど」
「都心に住んでると要らないもんね。俺もたまに乗るくらいかな」
「これ、楓くんの車なの?」
「まさか。父さんの車を拝借したんだ。他にもいろいろあったんだけど、いちばん無難そうだったから」
これでいちばん無難なの? とつい苦笑いを零したら、楓が父はクラシックカーのコレクターなのだと教えてくれた。自宅のガレージに数台の車を保有しており、どれも手入れが行き届いて、いまでもしっかりと走るのだという。楓の家がお金持ちらしいと母から聞いていたものの、数台の車が保管できるガレージがあるなんて思っていた以上に凄そうだった。これは本当に、身に余る男に惚れてしまったかもしれない。
「なんか変なこと考えてない?」
そんなことを考えていたら、見透かしたような楓に笑われてしまった。揶揄するような柔らかな口調になんだか擽ったくなる。
「きみは本当に、俺には勿体ないなって」
「ええ? 勿体ないって?」
「身に余るって言った方が正しいかもしれない。知れば知るほど楓くんはすごい人だから」
「そう言ってもらえるのはうれしいけど、雪兎さんは俺を買い被り過ぎてるよ。凄いのは父さんと母さんだし、俺は雪兎さんと連絡が取れなくなっただけで駄目になるような男だよ?」
そう言ってから、楓がはっとした顔をした。そういうつもりじゃないと慌てる様子に苦笑いながら、謝るならいまだと思う。
「雪兎さん、俺は、」
「楓くん、なにも相談せずに傷つけてごめんね。俺はきみに想われている自覚がないって、田中さんにも怒られちゃった」
そう頭を下げると、楓がもういいよ、と笑ってくれた。それから田中がそう言ったことに驚いたらしく、珍しいなぁ、とぼやく。
「田中さん、そんなこと言ったの?」
「うん。楓くんは相当しつこいって」
「はは、それは認める。ねぇ、雪兎さん。これからはなにか困ったことになったらまず俺に相談して欲しい。雪兎さんが決めたことなら、それが俺にとって正しいことなんだと思う。でもそれは俺のためにならないから」
ね? と、楓が前を向いたまま柔らかく笑った。ささやかな念押しに胸を打たれて、ついもう一度謝罪の言葉が零れてしまう。
もういいのに、と苦笑うその横顔はきっと雪兎しか知らない。その横顔を眺めながら、ふたりだけの間に流れるこの柔らかないとおしい空気を大切にしたいなと思った。楓のように上手く言葉にはできないけれど、隣にいることでこの気持ちを少しずつでも伝えていけたらいい。
楓が目的地としていたのは海沿いにあるカフェだった。周りは人気の観光地だが、平日とあって比較的空いているようだ。駐車場に車を停めると、楓が助手席のドアを開けてくれた。夏は過ぎたとはいえ、まだ陽射しが強く外に出た瞬間に汗が滲んだ。地元よりも気温が高いような気がする。
カフェの中はひんやりと涼しく、店内の海側に面した部分は大きな窓になっていた。扉が開け放たれ、テラス席で食事が取れるようにもなっている。西海岸風の作りで、日本にいながら海外にいるような気分になった。きらきらと陽を反射する海が綺麗だ。
テラス席は陽射しが暑そうだったので、窓際のふたりがけの席を選んだ。昼には少し早い時間帯だったので広い店内には女性客が数組いる程度だったが、いくら帽子と眼鏡で風貌を隠していようと長身の楓は目立つらしい。それとも男同士でこんなカフェに来たことが珍しいのか。遠慮がちな視線を寄越しながらひそひそとなにか話す様子に、はじめてのデートをした日のことを思い出した。
店員がお冷とメニューを持ってきて、注文が決まったら声をおかけくださいと言い残して去った。楓がメニューを開いて、どれにする? と雪兎を伺う。その楽しそうな様子に、雪兎も自然と笑みを零していた。
メニューは色々なものが揃っていた。あれもこれも美味しそうと目移りしながらメニューを決め、楓が店員を呼んで注文してくれた。料理を待つ間に、席は続々と埋まっていく。
「よく来るの?」
あまりに楓の行きつけらしい雰囲気の店だったが、楓がにこやかに首を振って水をひと口飲んだ。そんなだれもがやる当たり前の仕種でさえ絵になるように見えてしまうのに、雪兎も随分と彼に枯渇していたのだなと思い知った。
「まさか。この前テレビで見て、雪兎さんと行きたいなぁって思ったんだよ。俺、あのころの雪兎さんといろんなところに遊びに行くつもりだったから」
「あのころ?」
「高校生のころ。専門学生になった雪兎さんとお祭りに行くつもりだったし、映画観たり買い物したり、海にだって行きたかった。雪兎さんに逢えなかった間にたまたまこの店のことを知って、雪兎さんとデートしたかったなぁって思い出したんだ」
「ごめん。そんなこと思ってくれてたなんて知らなくて」
「雪兎さん、さっきから謝ってばっかり」
そう指摘されて、また謝罪が口をついて出そうになるのを慌てて噤んだ。その様子に楓が笑みを怺るようにして、もうひと口水を飲む。
「俺にとって雪兎さんは世界の中心なんだ」
「それはちょっと、言い過ぎだと思う、」
「そんなことないよ。雪兎さんは俺に人気者で近寄りがたいイメージを持っていたかもしれないけど、俺はあの日雪兎さんに出逢ってから世界が輝きを増した。俺はね、雪兎さんが隣にいてはじめて、ちゃんと息ができるんだよ。だから、重たい男だと思われても、雪兎さんに逃げられても、地の果てまで追っていく。それこそ、一緒に地獄に落ちたっていい」
柔らかな笑みと口調で語られる言葉にしては、随分と中身が釣り合っていなかった。だれもが楽しそうに食事を楽しむカフェでするような話でもないし、楓の口から出てくるとは到底思えない言葉選びだと思ってしまった。それでもその言葉は真っ直ぐに雪兎の心を射抜いて、胸の奥をときめかせる。
うれしくて、つい涙が零れそうになる。
「俺も、楓くんとなら落ちてもいいよ」
緊張で逸る鼓動から勇気を絞り出して、ようやくそう言うことができた。雪兎の言葉を受けてうれしそうに目を細める楓があまりにも綺麗でつい顔を俯ける。雪兎が恥ずかしくて直視に耐えられないのをわかっているくせに、わざとらしく顔を覗き込んでくるのだから意地が悪かった。
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