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第26話

 それから二日後、楓の復帰の知らせが世間の話題を掻っ攫った。というのも、合わせて同性のパートナーがいることを公表したからだ。 『――このたび、森宮 楓はお付き合いさせていただいている同性のパートナーがいることを、ここに公表させていただきます。ぼくたちは高校時代に出逢い、共に過ごすうちにお互いを大切に想い合うようになりました。社会人になり離れている時期もありましたが、再会し、逢瀬を重ねるうちに、この気持ちが恋なのだと気づきました。彼はぼくの最愛です。これまでも、そしてこれからも。お相手は一般の方になりますので、過度な取材はお控えいただけますようお願い申し上げます。どうか温かい目で見守ってください。今後ともよろしくお願いいたします』  その日の朝、テレビをつけるなり楓の事務所がマスコミ各社に送った文章が、アナウンサーによって読み上げられていた。雪兎はこそばゆいさを怺えてその声を聞き、楓の部屋のキッチンに立って朝ご飯の準備をする。そのうちに楓が起きてきて、眠気眼のまま雪兎にじゃれついてきた。明日から仕事復帰だというのに、この調子で大丈夫なのかと、苦笑ってしまう。 「おはよう。よく眠れた?」  ぼさぼさの髪が首筋に当たるのが擽ったかった。ちょっと楓のほうを向くと、いいとも悪いともつかない、唸り声をあげるのがかわいい。 「楓くん? 寝ぼけてる?」 「んー、いや、なんか妙な気分だなぁって思って。本当は俺の口から雪兎さんのことを公表したかったのに」  不機嫌そうな声音でそう言って、楓が額を雪兎の肩へと摺り寄せてきた。甘えるようにぐりぐりとされるのに声を上げて笑いながら、大切にされているしあわせを噛み締める。楓が拗ねる気持ちもわからなくはないけれど、雪兎はこちらのほうが当たり障りがなかったのではないだろうかと思っていた。  楓は明日に控えた映画の製作発表会見で復帰する予定になっていた。森宮 楓の復帰に加えて、熱愛の相手であるヒロイン役の百合沢が登壇するとあって、普段以上にマスコミの数が多いことが予想された。発表するにはうってつけだと田中のお墨付きも得て、楓はその場で同性のパートナーがいる旨を自らの口で発表するつもりでいた。それが叶わなかったのは、雪兎と楓の関係を勘繰っていたあの記者にふたりの関係をすっぱ抜かれたせいだ。  雪兎も、田中から楓に送られてきた週刊誌の記事のデータを見せてもらったが、随分とあることないこと大袈裟に書かれているなぁという印象だった。あまりにも現実離れしているので、自分たちのことであるにも関わらず、うっかり他人事のように感じてしまったくらいだ。楓はその記事を見てからずっと、虫の居所が悪い。百合沢と雪兎を二股にかけて手玉に取っていると書かれていたことに腹を立てているのかもしれなかった。  そんなわけで、楓は先だって文書で気持ちを表明することとなった。文章の内容は昨日、一日かけて田中と共に考えていたようだ。元々はもっと長かったようだが、制作発表の場で質問に答えてもいいとの許可をもらい、あの長さになったのだと言われた。田中から聞いた話では、雪兎に対する惚気が凄すぎて、表に出せるものではなかったらしい。 「俺はうれしかったよ。ラブレターをもらった気分」  そう言いながら髪を撫でてやると、ようやく楓が不機嫌さを飲み込んでくれた。 「ねぇ、雪兎さん」 「んー?」 「このまま一緒に住みませんか?」  甘い声音でそう強請られるのへ、鼓動が高らかにときめいて苦しい。だめ? と追い打ちをかけられると、その声の甘さに正常な判断ができそうになかった。もちろん、雪兎だってそうしたい。けれどここはそもそも、楓ひとりだけの家ではないのだ。  雪兎は東京へ戻ってくるにあたり、昨日から凪と楓の家へと身を寄せていた。あの週刊誌の記者に家が割れている可能性が否めず、ひとりで帰るのは危険だと楓が心配してくれたのだ。凪も快く受け入れてくれ、客間を開けておいてくれた。いつまでもいていいんだよ、とのひと言にいつまでも甘えているわけにもいかない。そう思っていたところへの、楓からの申し出に心が揺れてしまった。 「新しい家を探すってこと?」 「このままここに住めばいいよ」  そう答えたのは楓ではなかった。すっかり身支度を終えた凪が雪兎に引っ付く楓を見て呆れた顔をする。 「楓、雪兎くんがすきなのはわかったから、人目を憚ることを覚えろよ」  そう言われて、はっとしたのは雪兎のほうだった。楓の腕から抜けようとするたびに、逃すまいと腕の力が強くなる。それに慌てる様子がおかしいのか、凪に苦笑われてしまった。 「ちょっと、楓くん! すこし離れて、」 「いいよいいよ。俺はもう行くし」 「あっ、凪さん、朝食は?」 「疾風と打ち合わせしながら食べるから大丈夫。家のことも、心配しなくていいからね」 「え、でも」  雪兎の食い下がりを無視して、凪はいってきますと言い残して颯爽と家を出てしまった。すっかり取り残された気分を持て余しているところへ、楓がどうですか? と答えを窺ってくる。 「兄さんもああ言ってるし、このままここにいるっていうのは」 「それは、願ったりかなったりだけど。でも、その、情けないんだけど、こんないい部屋の家賃半分だって払えないよ?」  昨日この家に連れてこられたとき、思わずあんぐりと口を開けてしまいそうになった。都心のタワーマンションの最上階なんて、雪兎が一生働いたって住むことは叶わない。まるでモデルルームのようなインテリアは凪がすべて揃えたそうだ。借りている客間はまだすこし生活感があって安心したけれど、それ以外はどこもかしこも生活感がない。兄弟ふたりして忙しく、寝に帰るだけだからと言われたら、その通りだなと頷いてしまう。  楓がどういう風に一緒に暮らすことを想定しているのかはわからない。雪兎の部屋で共に過ごしていたころは、出かけたときはすべて楓が払ってくれるので、生活費や家賃を請求したことはなかった。けれど一緒に暮らすとなったら、家賃や生活費は折半だろう。楓のほうが圧倒的に稼ぎは多いだろうけれど、養われるというのはなんとなくいやだ。 「雪兎さん、俺のことだれだと思ってるの?」  さもおかしそうにそう笑われて、そうだけど! と言葉を返した。 「雪兎さんに払わせようなんて思ってないよ。それにここ、俺と兄さんの名義だし」 「……え?」 「このマンション、父さんたちが持ってる不動産なんだ。だから家賃はかからない。安心した?」  思考が追いつかなくて固まる。そうだった、楓の実家は資産家だった。家賃を払えないと不安に思う必要がなくなったことはたしかにありがたい。けれどそれでは、雪兎は凪を〈自分の家〉から追い出したことになってしまうのでは?

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