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第27話

「それじゃあ、俺は凪さんを追い出したってこと?」 「兄さんは元々、この家から出ていく予定だったんだよ。俺が雪兎さんと一緒に暮らそうと思うって相談したら、いい機会だからって」 「ひとり暮らしするってこと?」 「疾風さんのところに部屋が余ってるからって。そっちのほうがいろいろと都合がいいんだってさ」  楓はそれ以上深く教えてくれる気はなさそうだったので、雪兎はとりあえず追い出したわけではないと安堵しておくことにした。 「そういうことなら。でも生活費は折半だからね?」 「雪兎さんひとりくらい、余裕で養えるのに?」 「それはそうだけど! 俺だって男だし、養われるっていうのはちょっと」 「雪兎さんって、意外と頑固だよね」 「そうかな? ごめん、いやだった?」 「まさか。そういうところも、全部すき」  楓が柔らかな笑みを零して、雪兎の顎を掬い上げた。そのまま唇を柔く食まれるのに、思わず甘い吐息を零してしまう。楓の指に左手を取り上げられて、薬指を撫でられた。指の股を擽られただけでぞわりとしてしまうのは、くちづけが心地よいせいだろうか。  心の奥が、すきだと言われるたびに甘く熟んでゆく。楓がいやだろうかと勘繰ることすら無意味だと、教えてくれることがとてもうれしい。 「雪兎さん、ここに引っ越してきたら、お揃いの指環買わない?」 「買ってもつけられないでしょ?」 「雪兎さんはね? でも俺はつけるよ」 「田中さんに怒られない?」  気難しそうな彼女の表情が楓の行動次第で僅かな百面相を示すのは面白いのだが、それが怒りに歪むところは見たくなかった。どうせ演技をしている場ではつけていられないのだし、と食い下がるのは、楓のうれしそうな笑みの前では少々憚られる。 「結構いるよ? 仕事中以外は指環してる人」 「そうなの?」 「うん。せっかく俺には雪兎さんがいるってお知らせしたんだし。だから、雪兎さんも仕事以外のときはつけてくれたらうれしい」  柔らかな笑みと声に感情が揺さぶられて、すこしだけ泣きそうになってしまった。雪兎は職業柄、指環はつけられない。疾風の店での服装は自由だけれど、作業に支障をきたすことをわかっているのか、手にアクセサリーをつけているスタイリストは皆無だった。  指環を贈りたいと、想ってくれている気持ちはうれしかった。けれどつけたくてもつけられないことをわかっているからどうしても躊躇する気持ちがある。せっかく買ってもらったのに、と、申し訳なさを感じてしまうと思ったのだ。 「……じゃあ、仕事中は首にかけておこうかな。そうしたらなくさないし」 「帰ってきたら、毎日俺が指にはめてあげるね?」 「毎日?」 「だって、これからは一緒に住むんだし」  あっけらかんとそう言われて、つい面食らってしまった。そうだった、それで指環を買おうという話をしていたんだった、と改めて思うと、じわりと温かな気持ちが胸に染み出してくる。  ――そうか。これからは毎日、家に帰れば楓くんに逢えるのか。 「雪兎さん?」  そのしあわせを噛み締めていたら、不思議そうな声で呼ばれた。ちょっと怪訝な顔をしているのがおかしい。 「ううん、すごいしあわせなことだなと思って。毎日、帰ってきたらきみに逢えるなんて」 「ちょっと前までもそうだったでしょ?」 「うん。でも実感が湧いた」 「実感?」 「楓くんと付き合ってるんだなって」 「いまさら!? 俺はずっと恋人だと思ってたけど!」  わざとらしく嘆く楓を笑いながら、本音のところはまだ言わずにおく。雪兎は楓と付き合っていた間ずっと、どこか夢見心地でいた。離れたくないし、手放すつもりはもちろんない。それでもいつか、彼の仕事の障害になって、離れてしまう日がくるのだろうと心のどこかで思っていたのだ。  けれどもう、それはない。ここからしばらく、矢面に立たされる楓への風当たりは優しくないかもしれない。それでも楓が田中や事務所を巻き込んで、雪兎との関係を世間に明かしてくれたことがうれしかった。直前になって本当に大丈夫だろうか? と不安に苛まれたりしたけれど、いまはもう、彼の恋人が自分なのだという幸福のほうがずっと勝っている。 「だって、きみは雲の上の人だもの」 「また変なこと言う! 俺がどんなに雪兎さんのことがすきか、わからせてあげるよ」  そう言われたあと、一瞬むっと眉を寄せた楓にひょいと抱え上げられていた。そのまま抗議の声を聞いてもらえることもなく、楓の部屋へと連れ込まれ、ベッドの上へと誘われる。まだ朝なのに、と言い訳する思考は、楓に唇を奪われた途端にとろけてしまった。服の下へと忍んだ楓の指にいたずらに肌を擽られるのに、つい身体がぴくりと反応する。 「あさごはん、冷めちゃう、」 「温めなおせばいいじゃん。雪兎さん、今日午後に顔出すだけでしょ?」  口だけの抵抗だとわかっているのか、楓に強請るような目を向けられると心がぐらりと揺らいでしまった。楓の言う通り、数日後の仕事復帰に備えて、今日は昼過ぎに疾風と面談する予定を控えていた。楓だって明日からの本格的な指導に向けての準備があるだろう。それでも、雪兎の身体を知り尽くした楓の指には敵わない。その気にさせるように撫でられるだけで、触れられたところから生まれた熱が肌に染み出して、身体の熱を上げていくのだ。 「楓くん、ほんとにだめ、」 「ちょっと触るだけ。ね?」 「そういって最後までするくせに」 「だって、やめてほしくないって顔してる」  甘やかで、いとおし気な笑みを浮かべたその顔で見下ろされていると、顔から火が出そうだった。だめだとわかっていながらも、身体が楓に抱かれることを期待している。そういう身体にしたくせに、と詰るように睨んでも、この男にはちっとも響かないことを知っている。 「かわいい顔しても無駄だよ。せっかく雪兎さんの身体が俺に慣れてくれたんだから、戻らないようにしないと。ね?」  楓の指が薄い腹をなぞって腰のあたりを擽ってきた。思わずその手を掴むと、揶揄するように口元を歪めるのがこれまた魅力的過ぎる。 「もしかして、毎日するつもり?」 「雪兎さんは俺としたくないの?」 「それは……ずるいよ、俺がきみに敵うわけないってわかってるくせに」 「そうなの?」  唇を尖らせて俯いた顔を、わざとらしく覗き込んでくるのが憎たらしい。楓に好意的に迫られて拒絶できる人間がこの世にいたとしたら逢ってみたい。すくなくとも雪兎には無理だし、いまだってもう、流されてしまいたくなっている。 「雪兎さんに無理させないように、やさしくするね?」 「お手柔らかにお願いします……」  はーい! とにこやかに返事した唇に唇を啄まれた。強請るように下唇を食まれるのに応えてやりながら、楓の指に身体を翻弄されるに任せた。

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