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援されて〈2〉
「ごちそう様でした。すごく美味しかったです」
マスターは何一つ残っていない俺の皿を見て、ニッコリとした。
「そんな笑顔で言われると、料理人冥利に尽きるってもんだよ」
「いい食べっぷりよね。見てて気持ちがいいわ」
本当に優しい人たちだ。捨てる神あれば拾う神あり…?いや、地獄に仏だな。オレンジ色の明るい店内は、今の俺にとっては極楽浄土だ。俺は少しだけ力が湧いてきた。もう少し頑張ってみよう。働き口さえ見つかれば何とかなるんだから。どこかに俺を雇ってくれる所があるはずだ。さっきまでへこんでいた俺の心はまた前を向き始めた。トロトロ卵のオムライスのおかげだ。さぁ、支払いを済ませてファミレスに行くぞ。
「本当にありがとうございました。もう閉店されているのに、ご迷惑をおかけしました。あの…オムライスおいくらでしょうか」
「何言ってるんだい。注文も訊かずに勝手に出したんだから代金なんていらないよ。それにね、結構手抜きで作ったからね」
「どうりで、出来上がるのが早いと思ったわ」
マスターは、さすがキミちゃん、よくお分かりで、と言って笑った。
でもそう言うわけには、と言って俺はお金を出そうと紙袋の持ち手を引っ張った。すると、持ち手が袋からちぎれて、袋の中の物が床に散らばってしまった。キミちゃんはすかさずテーブルの下に屈んで、参考書やノートを拾ってくれた。
「あっ、すいません…」
「君は受験生なのかな?」
「えっと…その…まぁ、そういう感じです」
するとマスターも、転がっていった丸めた靴下とビニール袋に入れた歯ブラシを拾ってくれた。
「あの…本当においくらでしょうか。お支払いします」
俺は散乱した荷物からお金が入ったビニール袋を拾って、お札を出そうとした。
「本当に、代金はいらないんだよ」
優しい声で諭す様に、マスターは言った。何となく俺の事情を分かっているようだ。
「すいません…では、お言葉に甘えさせていただきます」
俺はその場に立ってお辞儀をした。マスターは、いいからいいから、と言って俺をまた座らそうとした。
「で、これから、どこか行こうとしてたのかな?」
何て言おう…こんなに親切にしてもらって、黙ったままというのも心苦しい。そうだ、勉強をするのは嘘じゃないよな。
「あの、勉強をしようと思ってこの先のファミレスに行こうとしてたんですが…」
キミちゃんは驚いた顔をした。マスターも優しい顔から真剣な顔になった。
「それは、よした方がいい」
「えっ?」
「そうよ。危ないわよ」
ファミレスに行くのが危ないって、どういうことだろう。
「あのね、ついこの間なんだけど…そのファミレス周辺でヤクザ同士で拳銃の撃ち合いがあって大騒ぎだったのよ。一昨日まで規制線が張られてて。一般人の怪我人は出てなかったようだけど、拳銃を撃った奴もまだ捕まってないみたいだし」
「そうだよ。だから、勉強なら今晩はここでしていけばいい」
「えっ…でも」
「そうよ、そうしなさいって。あの時も今くらいの夜遅い時間だったし。今日も本当にびっくりしたわよ。店の後片付けが終わってゴミを捨てようと裏口を開けたら人が倒れているんだもの。また何かあったのかと思ってドキッとしたんだから」
俺は申し訳なくてまた頭を下げた。この辺りがそんな物騒な場所だったなんて知らなかった。記念すべき家出最初の夜は数日違いで戦火を免れたってわけか。
「ああそうだ。キミちゃんも早く帰った方がいいね」
「うん…まぁ自転車ですぐそこだけど…じゃあ、お先に上がらせてもらいます」
「ああ、お疲れさん。明日はゆっくり休んでよ」
キミちゃんは、はぁい、と返事をして裏口から出て行った。マスターも裏口の方に行くと、すぐにガチャンと鍵を閉める音が聞こえた。そして戻ってきたマスターの手には小瓶のビールとグラスに入ったオレンジジュースがあった。
「無理に勉強はしなくてもいいんだよ。はい、これでも飲んで」
マスターは俺にジュースを勧めると、ビールを瓶口飲んだ。
「あの、本当に今晩はここに居させてもらってもいいんでしょうか」
「もちろんだよ。それにしても仕事終わりのビールは、いつ飲んでも美味いんだよな」
マスターはビールをほとんど飲み干すと、満足そうな顔をした。
「私はこの洋食屋レブロンのオーナー兼マスターで高田薫というんだ。さっき帰ったのは義理の妹、女房の妹なんだ」
マスターは静かに話し始めた。
「この店を出して、もう十年近くなるかな…私たち夫婦は子供を授かることができなくてね。何年も不妊治療をしたんだが、それでも無理だった。それでね女房が言ったんだよ。私が四十歳になったらもう子供は諦めましょう、って。女性が高齢になれば妊娠の可能性も低くなるからって」
世の中には、こんなにも子供ができるのを切望していた人もいるんだ。こんな話しを俺が聞くなんて皮肉なことだ。
「で、二人でずっと不妊治療をしてきたけど、これからは何か違う新しいことを二人で始めよう、って飲食店をすることにしたんだよ。とは言えそれまで私はサラリーマンで、包丁なんて握ったこともなかったもんだから、女房と二人で学校に通ったんだ」
「学校…ですか?」
「ああ、調理師のね。私は西洋料理で、女房はパンやケーキのコースにしたんだ」
マスターは空の瓶を傾けて中身を確認した。
「開店当初は友人知人が来てくれたけど、それからはさっぱりでね。で、女房が焼きたてパンの食べ放題をしようと言い出して、それから客足が増えたんだ。店は忙しくなっていって毎日がてんてこ舞いだったよ。ちょうどその頃キミちゃんは離婚したばっかりで、あっ、これはここだけの話しだよ」
マスターは人差し指を立てて口元に当てた。
「キミちゃんは落ち込んで、誰とも会いたくなかったみたいなんだが、女房が無理矢理、店を手伝わせたんだ」
「そうだったんですか…」
「まぁ、彼女の天性の明るさもあって、すぐに店の仕事も覚えてくれてね…三人で仲良くやってたんだが」
マスターはビール瓶をじっと見ていた。
「三年前に、女房が交通事故で亡くなってね。もう店を閉めようと思ったんだ。するとね、キミちゃんが、そんなことをしたらお姉ちゃんが悲しむでしょっ、てえらく怒ってね…でも、私はパンは焼けないんだよ、って言ったら、じゃあ、ご飯で何とかすればいいでしょっ、て言われてさ…一念発起して始めたのが、オムライスなんだよ」
俺は言葉が出なかった。
「倒れている君を最初に見た時にね、もし結婚して直ぐに子供ができていたら、君くらいなのかなぁと思ったんだ。何か放っとけなくてね…妙子も、あ、女房ね、妙子も助けてあげて、って言ってるようでね…放っとけなかったんだよ」
マスターは本当に優しい顔をしていた。人はこんなにも優しい表情ができるんだ。
「長々と話してしまったね。毛布を持ってくるから、そのソファーで横になりなさい」
そう言って立ち上がると、マスターは厨房の方に行った。俺のことなど一切詮索もしない。けど、マスターは俺の家出を分かっている。迷惑になるかもしれないけど、俺はマスターに話しを聞いてほしいと思った。誰かに頼ってみたいと初めて思った。
マスターはクッションと毛布を持ってフロアーに戻ってきた。
「あの…ご迷惑だとは思うのですが、俺の話しを聞いてもらえませんか」
マスターは毛布を近くのテーブルに置くと、じゃあ、ビールをもう一本持ってこよう、と言って微笑んだ。
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