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援されて〈4〉

 人の声が聞こえる。ここはどこだったっけ?目を覚ました俺はすぐに思い出した。洋食屋レブロンの店内だ。ソファーに椅子を引っ付けたにわか仕立てのベッドからゆっくりと起き上がった。    昨夜、レブロンの仲間にならないか?って言われた俺は返事をすることもできないくらい泣き続けた。マスターは俺が泣き止むまでずっと背中を摩ってくれた。顔中が大洪水の俺を見て、脱水症状を起こしそうだな、と笑っておしぼりを俺に手渡すと、明日の朝、これからのことを相談しよう、と言った。  それからマスターは、俺が床に転がり落ちないようにテーブルを移動させて椅子を並べてくれた。俺はクッションを枕にして毛布に包まった。  俺の身体は疲れているはずなのに、感情は全く落ち着こうとはせず眠気は一向にやってこない。この数時間で地獄と天国を経験した脳内は興奮状態だった。  店の外から酔っ払いの声や、パトカーのサイレンらしい音も遠くで聞こえる。ここでは安心して寝ることができるんだと自分に言い聞かせて目を閉じた。そしてゆっくりと心の中で数を数えた。   「ねぇマスター。起きたみたいよ」 「もっとゆっくりと寝かせてやりたかったんだが、私たちの声がうるさかったかな」  俺はソファーの上で正座をした、そして、微笑みながら俺を見ているマスターとキミちゃんに、おはようございます、と挨拶をした。 「はい、おはよう」  マスターの声は穏やかだったが、キミちゃんはそうではなかった。   「ちょっと、その顔どうしたの?瞼がえらく腫んでるじゃない」 「オレンジジュースを飲み過ぎたんだよな?」  マスターの言葉にキミちゃんは納得した様子で、そういうこともあるわね、と肩をすくめた。そして俺の傍にやって来ると右手を出した。 「須貝君…森江君子です。これからよろしくね」 「はっ…はい。こちらこそよろしくお願いします。須貝研一といいます。先月中学を卒業した十五歳です」 「やっぱりねぇ…十五歳かぁ…若いわよねぇ」 「何言ってんだい。キミちゃんも十分若いよ」 「あらそう?…まぁ、私もいい人見つけてもうひと花咲かせないとねぇ」  それを聞いて俺は不覚にもクスッと笑ってしまった。マスターに離婚の話はここだけと言われたのに。 「うん…?今笑ったわね?」 「い…いえ…笑うなんてそんな」  俺は慌てて手を振った。 「もう、マスターって本当おしゃべりなんだから…そうですよ、私がバツイチのキミちゃんでぇす」  キミちゃんは陽気に笑った。 「でも、こうなると思ってたわよ。だから今日はお休みだけど気になって店に来たんだから…マスターは昨夜は家に帰らずにパントリーで寝たんでしょう?…まぁでも、きっとお姉ちゃんも絶対に同じことしてたわよね」    マスターは、ああ、そうだね、と俺を見て頷いた。  そうなんだ。俺は、このレブロンで働くことができるんだ。   「さぁ、須貝君。キミちゃんが美味しいパンを買ってきてくれたから、朝ごはんにしようか。そこのお客さん用の洗面室で顔を洗っておいで」  そう言いながら、マスターはタオルを持ってきてくれた。 「歯ブラシは…持ってたよね?」 「はい、あります…あの…あの俺のこと、須貝君じゃなくて、研一って呼んでもらっていいですか?その…マ、スター」  俯きながら頑張ってお願いをした俺の頭を、マスターはクシャとした。 「そうだな、研一。さぁ行った行った。今日は忙しいぞ」 「はいっ!」  するとキミちゃんは、紙袋からパンを出してテーブルに並べながら、ああ、二人だけで、ズルい、と拗ねた振りをした。そして、こっちよ、と洗面室の場所を案内してくれた。 「じゃあ、私は、研ちゃんって呼ぶからね」 「はい。君子さん」 「やぁだあ。君子さんだってぇ…なんか新鮮」  君子さんは、洗面室の前に行った俺の背中を、パシッと叩いた。    洗面室から出ると、コーヒーのいい香りがした。にわかベッドも片付けられていた。 「研一は、お子ちゃまだから、甘いカフェラテにしたよ」  マスターはテーブルの上にカップを置いた。カフェラテ…か。知らない名前ばっかりだ。それに俺はお子ちゃまなんだ。なんか笑える。それに見たこともないパンもたくさん並べられている。これから俺はどれだけ新しいことを覚えていくんだろう。もう、ウキウキしている。  二人に勧められるままに俺は朝から目一杯食べた。カフェラテもおかわりした。 「そういえばさ、昨夜もパトカー走ってたみたいね。結構遅い時間だったけど、遠くの方でサイレンの音が聞こえてたわ…」 「撃った犯人はまだ捕まってないんだろう」 「お店の客足に影響がでないうちに早く何とかしほしいわ」 「この間だったかな、店の常連さんが、この地域の管轄の警察署がこの近くに建てられるって云ってたよ。何でも現行の警察署は老朽化して耐震性にも問題があるとかで、ほら、ファミレスの少し先に空き地があるだろ?」 「ああ、あるある。ずっと空き地だしマンションでも建つのかなと思ってたんだけど…だったら、街の安全のためにさっさと建てて欲しいわよね」  君子さんは溜め息を吐きながら皆んなのカップを片付け始めた。 「あっ…片付け俺します」 「ありがとう…でもそんなに張り切らなくていいのよ」 「そうだよ。気楽に気楽にだ。じゃあ、雇用契約ではないけど研一のことを簡単に書面にしてもいいかな」 「はい。もちろんです」  俺はコピー用紙に、名前と生年月日と最終学歴、それとレブロンで住み込みの見習いをすることに同意します、と書いた。 「ちょっと研ちゃん。字めちゃくちゃ上手いわね」 「ああ。丁寧な綺麗な字だ。学校では勉強も出来たんじゃないか?」 「え…っと。はい、テストはほとんどが満点でした」  マスターと君子さんは一瞬真顔になったが、すぐに、もうマウント取られた、と笑った。それから、マスターは、じゃあ今日の予定は、と言って立ち上がると、天井の照明器具を指差した。 「午前中、研一にはライトと窓ガラスの拭き掃除をしてもらいたいんだ。で、午後からは買い物に行って、帰ったら研一の寝床作りだ」 「マスターそれだと、気楽になんてできないわよ。でもライトの掃除は助かるかな…ずっと気になってたけど、手が行き届かなくてね」 「気楽になんてとんでもないです。俺、このご恩に報いることができるよう一生懸命頑張ります」  すると君子さんは、目を丸くして俺を見た。 「研ちゃんって、中身は三十過ぎのオッサンだったりして…普通の子供は、ご恩に報いる、なんて言わないわよ」 「俺、時代小説とかよく読んでいたんで、つい…」 「研ちゃんって、見た目と中身のギャップがあって面白いわ」  君子さんがケラケラ笑っていると、マスターは、さぁ取り掛かるよ、と言って、掃除用具を取りに行った。  その日は俺はずっと笑顔だった。掃除も片付けも全てが楽しかった。君子さんの冗談も掃除の仕上がりを褒めてくれるマスターの優しい言葉も全てが嬉しかった。  午後から出掛けた買い物で、俺の衣料品や日用品そして寝具を買ってもらった。  厨房の横には小部屋があって、そこにスチールのロッカーとマスターの仮眠用の簡易ベッドと店で使う食材が置いてあった。そこを整理して、その部屋の半分のスペースを俺の寝場所にしてくれた。マスターの簡易ベッドを俺が占領することになった。なんだか秘密基地みたいだ。 「とりあえず今日はこれくらいにして、夕飯を食べに行こうか。ここは研一が好きなようにしていいからね。必要な物は紙にでも書き出しておいてくれたらいいよ。また一緒に買い物に行こう」 「はい。ありがとうございます」 「私、お腹ペコペコだわ」    夕飯は、回転寿司に連れて行ってくれた。皿に乗った寿司がベルトの上で次々と移動しているのは見るだけで可笑しかった。そしてマスターと一緒に銭湯にも行った。  つい昨日までのことが、もう遥か遠くのことのように思えた。  俺は、須貝研一はこれから始まるんだ。

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