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居場所〈1〉

 あれから十年が過ぎようとしている。  その間、母親とも一切連絡はしていないし、俺も捜索されずに済んでいる。ただ勉強ができただけで世の中のことは何も知らなかった中卒の家出少年は、それなりの大人になった。    レブロンで働き始めの頃は、まず店内や厨房、外回りの清掃、そして営業中の皿洗いが俺の仕事だった。しばらくして店の様子に慣れてくると出来上がった料理をテーブルに運ぶこともした。店に来るお客さんの多くが女性だったせいもあって、バイトしてるの?頑張ってね、と概ね好意的な声をかけてもらうこともしばしば。君子さんは俺のことを、将来はどんなイケメンさんになるのかしら?楽しみね、とよく揶揄った。  そして俺が十八歳になった時、マスターは俺を夜間の調理師専門学校に通わせてくれた。そこはかつてマスターと奥さんの妙子さんが通った学校だった。学費は俺が十五歳から頑張ってきたそのご褒美だとマスターは言った。一年半の修学後、国家資格の調理師免許を取得できた。マスターは、これから研一は自分の足で世の中を渡っていける、自分の腕で稼いで生活していけるんだからレブロンを卒業してもいいんだよ、と俺を拾ってくれた時のあの優しい顔で言ってくれた。  俺はまた歯を食いしばった。鼻水こそ垂らさなかったが、涙が溢れてくるのは止めようがなかった。  そして、マスターは俺の名前を諭すように呼ぶと、お前のための人生なんだから恩義とかに囚われてはいけない、キミちゃんや私も最初からそのつもりだったんだから、受けた恩というのは返すのではなく次に困っている人を助けることで、世の中は上手く回っていくんだからね、と話してくれた。  マスターの話は十分に理解はできたが、それでも俺はここに居たかった。レブロンで働き続けたかった。ここで俺の作る料理で、マスターのトロトロ卵のオムライスを食べた時のように、誰かを笑顔にしたかった。マスターと君子さんを笑顔にしたかった。  俺は泣きながらマスターに懇願した。ここに居させてくださいと。マスターも目に涙を浮かべて、わかった、と一言だけ言ってくれた。  それから俺は賄いを任された。今までも野菜の下拵えや肉や魚の下処理はしていたが、店で本格的に料理を作るのは初めてだった。マスターは、好きに作っていいよ、と言ってくれるが、出来上がった料理には辛口の感想ばかりだった。君子さんも同様だった。それでも俺は負けじと学校で習ったことを思い出し、またマスターの見様見真似で作り続けていくうちに、美味しいとまでは言ってもらえないが、二、三度首を縦に振ってもらえるくらいの物を作ることができた。  そして少しずつではあるが、レブロンの看板メニューのオムライス以外の料理を作らせてもらえるようになった。ハンバーグやミックスフライも作ることができた。ただ、ソース作りはまだ難しい。レシピはマスターの頭の中にある。結局自分で味を見つけ出せなければ人気店の料理人にはなれないんだ。  俺は店が終わった後も試行錯誤をしながらマスターや君子さんに納得してもらえるようレブロンの味を追求した。ある程度自信作が出来れば試食をしてもらっていた。それでもいつも及第点ばかりだった。ある日、君子さんから、マスターの真似ばかりしようと思わないで研ちゃんのオリジナルの何かを考えてもいいんじゃない?と言われた。それが出来ればこんなに苦労もしないんだけど、と考え込んでいたが、それなら今までレブロンになかった料理を作ろうと思いついた。店が休みの時は洋食以外の物を食べ歩いた。けど、和食に中華にエスニックと食べれば食べるほど何が作りたいのかも分からなくなってきた。美味しい物、食べてホッとする物、懐かしく感じる物、そして行き着いた先は、洋食でも日本を感じる味、つまり和風テイストってことになった。    俺は和風出汁がきいたシーフードグラタンを作った。そして定休日の今日、マスターと君子さんに試食をしてもらう。もしオーケーが出たら、店のメニューに加えてもらうことができる。メニューボードに『新作・和風仕立てのシーフードグラタン』なんて載せることができたらなぁ…絶対に実現させる。俺は、ほどよい緊張感に包まれていた。  マスターと君子さんが店に来た。 「いらっしゃいませ。ようこそレブロンへ」  俺は二人を席にエスコートした。 「なんかいいねぇ…ようこそレブロンへ、なんて言ってもらったのは初めてだよ。楽しみにしてるよ、研一」 「そりゃ自分の店だもの…ようこそ、なんて言われると思ってなかったでしょう?それよりねぇ、なんかいい匂いがしてるわね。いつののマスターの料理の匂いじゃないわね。私も楽しみ」 「それでは、少々お待ちください」  調理師学校を卒業して、ここでマスターの術を見様見真似で俺なりに数年間研鑽を積んできたんだ。試作通りに作ればいいだけだ。自信はある。  出来上がった料理をマスターと君子さんが待つテーブルに出した。 「お待たせしました。和風仕立てのシーフードグラタンです」 「ほほぉ…和風ときたか」 「へぇ〜美味しそうね」  まずは匂いに関しては良さそうだ。マスターは料理の味以外の見た目や匂いにも厳しい。  マスターはスプーンでホワイトソースを少し掬って食べた。緊張が走る。無言だ。そして君子さんと目を合わせた。軽く頷きながら帆立の貝柱やショートパスタを一口食べた。そして…スプーンを置いてしまった。  駄目か…。自信はあったんだけどな…。  俯きかけた俺にマスターは言った。 「研一。こんな美味しいグラタンは白ワインと一緒に食べたいよ」 「ああ、賛成。研ちゃん白ワインお願い」 「はいっ…かしこまりました」    そしてその数日後、幾度かブラッシュアップをして、俺の和風シーフードグラタンがレブロンのレギュラーメニューに加わることになった。

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