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居場所〈2〉

 俺の和風シーフードグラタンがレブロンで提供される前に壁のメニューボードやテーブルメニューの書き換えをした。俺は字が上手いこともあって、数年前からレブロンのメニューは俺が手書きをしている。 「研一。目立つようにしっかり書けよ」 「そうよ。メニューの見開き全部に書いちゃえば?」 「そうだな。しばらくは写真も載せるのもありだな」 「そんな…いいんですか?」 「もちろんだ。まぁ、写真を載せても私のオムライスには敵わないだろうけどね」  マスターは、ははは、と笑って厨房に入っていった。  俺は心の中で、そりゃそうだよ、と呟きながらマスターを横目で見た。でもいつかマスターのオムライスと肩を並べられるくらいの料理を作ってみせるんだ。    ついに、和風シーフードグラタンの発売の日がやってきた。帆立の下拵えやホワイトソース作りも完璧なはずなのに、何か忘れているような気がしてずっと浮き足立っていた。 「研一、大丈だよ。そんな不安そうな顔をしないで」 「…はい。でも…でも、もし一つも注文されなかったら」 「ああ、その時は、研一とキミちゃんと私の晩ご飯になるだけだよ」  マスターは笑ってそう言うと『OPEN』と書かれたプレートを持って店の外に出た。  ランチタイムになると、俺の不安はどこへやらで、オーブンはずっと火が入っている状態だった。何とかして俺のグラタンを食べている人の顔を見たかったが、キミちゃんからは、研ちゃんほら早く、と急かされっぱなしで、それどころじゃなかった。  そして、ランチタイム最後のお客さんが店を出ると、ようやく一息つくことができた。 「はい、お疲れさん」 「本当、お疲れ様。グラタン結構出たわよね」  マスターが客席に座ると、君子さんはコップにお茶を入れた。   「研一もこっちでゆっくりしなさい」 「あっ…はい。でも夜の仕込みをしたいし」 「もう。それはあとあと。ほら冷たいお茶でも飲んで」 「賄いもすぐ作りますから」  マスターは立ち上がると、少しリラックスしなさい、と厨房に入ってきた。 「よく頑張ったね。グラタン好評じゃないか。今日の賄いは、研一の労をねぎらって私がオムライスを作るよ」 「マスター、そんなこと言って。本当は研ちゃんからオムライスでマウント取ろうと思ってるんでしょう」 「キミちゃん、鋭いっ!」  君子さんの冗談にマスターも乗っかって、昼下がりのレブロンは笑い声で満たされた。    マスターの賄いオムライスを食べながら君子さんは、しみじみと言った。 「グラタンの新発売の日が週の半ばの今日でよかったわよね。もしこれが週末だったらてんてこ舞いだったわ。週末に向けて、もう少し効率アップのオペレーションを考えないと」 「そうですね。でも今日は俺の手際が悪かったせいもあります。明日はもう少し落ち着いてできると思います」 「まぁ、ぼちぼちやっていけばいいさ」    マスターは俺を見ると、優しく頷いた。   「そうね。研ちゃんに余計なプレッシャーかけちゃった…ごめんね。でも、グラタン食べてるお客さん、皆んな笑顔だったわよ。ふぅふぅしながら、熱っウマっ、っていう声をたくさん聞いたわ」 「へへっ…嬉しいです」    その日、和風シーフードグラタンはディナータイムの方が売れ行きがよかった。いつもより白ワインもよく出ていた。  閉店後、オペレーションの見直しよりも、白ワインの発注数を増やすことになった。  心配していた週末も、無事に乗り切った。俺も何とか慌てずに動けるようになり、ピーク時以外はマスターの計らいで、和風グラタンを俺が直接お客さんへ運ばせてくれた。お待たせしました、とテーブルに置くと、お客さんは器の中でチーズやホワイトソースがグツグツしているのを見て、歓声を上げてくれる。そして、熱っウマっ、て声が俺にも聞こえた。  俺は、つくづく料理人になれてよかったと思った。一生の仕事にしていこうと決心した。そしてマスターがこっそり話してくれた、この先絶対にやりたいこと、それを俺も手伝いたい。    和風シーフードグラタンを店で出して一週間が過ぎたある日、ディナータイムでのラストオーダーの時間に差し掛かった。君子さんは、客席へオーダーの確認をしていたら、カランカランとドアチャイムが鳴った。そして、まだ、いいかな?と男の声がした。扉を半分開けたまま男が店内を窺っている。君子さんが、どうぞ、と声を掛けると男が店の中に入った。店内の照明は電球色だが、男が立っているその場所だけ色が違ってるように見えた。君子さんもそう感じていたのか、その男を席に案内するまで数秒、間があった。 「助かったよ。昼過ぎから何も食べていなくてね」  笑顔で言う、その男は、背が高く引き締まった体つきで、黒っぽいスリーピースのスーツにノーネクタイで、開けたシャツの襟元からは色気が漂う。   「そうでしたか。ただもうラストオーダーの時間でして、それでもよろしければ」 「ああ、いいよ。急いで食べるから。申し訳ないね」  何も話さなければ、その男の精悍な顔立ちは怖ささえ感じさせるが、破顔したその顔は人を魅了する。  男は君子さんの案内で、窓際のテーブルに着席した。君子さんはメニューとおしぼりと水を、その男のテーブルに置くと、ソワソワした様子で厨房に戻ってきた。 「ちょっとぉ…あのお客さん、なんて言うのかな普通の人じゃないわよね」 「俺もそう思います。芸能人とかですかね」 「そうよね。オーラがあるっていうのかな?めちゃくちゃカッコいいんだけど」  その男の斜め横に座っている客も、男をチラチラと見ている。男は人差し指で自分の頬辺りを突きながらメニューを見ている。なんてことはない仕草でも、その男がすると人の目を引いてしまう。   「こらこら。二人してなんだい。お客さんに失礼だよ」  見兼ねたマスターに小言を言われ、君子さんと俺は顔を合わせて肩をすくめた。  少しすると、その男は君子さんの方を見て片手を上げた。そして、注文したのは、俺のグラタンだった。

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