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真実〈1〉
ある木曜日の朝。グラタンさんは何時頃に来てくれるかな、と思いながら、俺は仕込みに取り掛かった。
この間、新メニューを試食をしてもらう約束もした。楽しみにしてくれているようだし、いつまでも待たせるわけにもいかない。とは思うが、頭に浮かぶメニューは和風テイストの物ばかりだった。知らず知らずにグラタンさん寄りになっている。俺はグラタンさんに喜んでもらいたがってる。別に悪いことではないが、レブロンのシェフとしてはここは一旦、和風や昆布はリセットすることにしよう。グラタンさんには他の俺も見て欲しいしな。
ディナータイムのピークも過ぎ、もうそろそろ来る頃だろうな、と俺はオーブンを温め始めた。するとドアチャイムが鳴った。君子さんの声で、グラタンさんか他のお客さんかすぐに分かる。俺は冷蔵庫から帆立の貝柱を出した。
いつものですね、と君子さんが訊くと、ああ、頼むよ、とグラタンさんの声が聞こえた。君子さんは分かっていることだからと厨房にオーダーも通さずに、ワインの用意をしている。受け渡しカウンターから覗き込んで店内を見ているマスターは軽く頭を下げた。グラタンさんに挨拶をしたようだ。
そして焼き上がったグラタンは、今日も俺が運ぶ。いつもと同じだ。
「お待たせしました」
「ああ、待ってたよ。一週間に一度の俺のご褒美タイムだ。ワインのおかわりも頼むよ」
「はい。すぐにお持ちします」
ご褒美だなんて、グラタンさんはいつも俺を喜ばせてくれる。早く、新メニューだ。
グラタンさんは最後の一口を食べ終わると、美味しかった、と客席にいた俺に向かって言った。俺は仕事をしている振りをしながら、グラタンさんが食べ終わるのを待っていた。すると、グラタンさんは厨房にいるマスターに声をかけた。
「マスター。近々一度、店が終わったら皆さんと一緒に飲みに行きたいんだけど、どうだろうか」
えっ…俺を酔わそうとしているの?…なんてね。その声を聞いたマスターは、カウンターから顔を見せた。
「ありがとうございます、お誘いいただけるなんて。そうですね、近いうちに是非」
マスターはただの社交辞令なのか、本当に誘いを受けるつもりなのか、判断がつかないような返事をした。
すると、テーブルに置いてあるグラタンさんのスマホが振動した。画面を見たグラタンさんの顔は急に険しくなった。そして、ちょっと失礼、と言って席を立った。外に出ようとドアを開け、ドアチャイムが鳴ったと同時にグラタンさんのドスの効いた声がした。
「…俺だ。どうしたんだ……」
マスターや君子さんにはその声は届かなかったようだ。いつもと全く違う声に俺は驚いた。いつもは優しいグラタンさんも厳しいところもある大人の男なんだと改めて気付く。電話の相手は仕事関係なんだろうか。俺は厨房に戻りかけると、またすぐにカランカランと音がして、俺はグラタンさんに呼び止められた。
「須貝君…」
「えっ?…あっ、はい」
グラタンさんはいつもの穏やかな顔になっていた。
「トラブル発生だ。悪いけど今日の分はこれで」
そう言って、着ている上着の胸ポケットの財布から一万円札を出すと、レジ横のカルトンに置いた。
「じゃあまた。マスターに飲みに行く話しは次の機会に、と伝えておいて」
グラタンさんは、そう言い残すと店を出て行った。俺はすぐに表に出たが、グラタンさんの姿はどこにもなく、一台の黒っぽい車が走り去って行くのが見えた。
「マスター…グラタンさん、一万円札を置いて行きましたよ」
「よほど急ぎの用事ができたんだろうね。たぶん来週も来てくださるだろうから…キミちゃん、悪いけど計算してお釣を封筒の中にでも入れておいてよ」
君子さんは、少し面倒くさそうに、はぁい、と言って俺から一万円札を受け取った。
◇◇◇
いつもの忙しい週末が過ぎ、週明けの月曜日。その日は朝から小雨模様だった。普段よりも少し客足が少なかったランチタイムを終えて、三人で賄いを食べている時、店のドアが開いた。
「やだ。私、準備中のプレート、出し忘れた?」
君子さんはそう言って、椅子から立ち上がった。
ドア付近で大柄な男が二人、閉じた傘をどうしようかと傘立てを探している。すると、マスターも立ち上がり、キミちゃん、いいよ、と言って、その男たちのところへ行った。
「お疲れ様です、権藤さん。珍しいですね、こんな時間に。何かありましたか?」
「ああ、休憩中のところ申し訳ない。ちょっと気になることがあってね」
マスターは、一旦店の中に仕舞った傘立てを二人の男の前に引っ張った。
君子さんは、すぐにその男たちが誰かわかった。俺は見覚えのあるような、ないような、首を傾げていると、君子さんは、所轄の警察よ、と言った。
「研ちゃん、権藤さんは見かけたことあるでしょう?生活安全課の…ほらたまに、夜間のパトロール中に店を覗いてくれたり、地域の防犯教室の講師をしてくれたり…わからない?」
「俺、防犯教室も行ったこともないし、それに、パトロールの時も、厨房に入ったままだから」
「それも、そうね。でも、隣にいるもう一人の人は誰だかわからないわ」
マスターは、出入り口から一番近い席に二人を案内した。警察が来るなんて、何があったんだろう。神妙な顔でマスターに話し始めている。マスターの驚いた声しか聞こえない。
「何話してるのかしら?気になるからちょっと見てくるわ」
君子さんは、トレーにお茶の入ったコップを乗せてそのテーブルに近づいた。そして、マスターは俺の方を見ると手招きをした。
「研一も一緒に話しを聞いてくれるか?」
「…はい」
俺は、君子さんの横に座った。何だろう。話しって…。
マスターは君子さんと俺に二人の男が誰なのか話した。
「こちらは、生活安全課の権藤さん。そして、こちらは刑事課の前原さん」
俺は、二人に会釈した。
「休憩中のところ申し訳ないね。今、高田さんに話してて…私は刑事なんだけど暴力団関係の方が専門でね。先日、うちの若いのが、この辺りで厄介な奴を見かけたって言ってきたんだ。そこで権藤にこの地域の情報を聞きに行こうとしてたら、先週、このレブロンさんにその厄介者が入ったのを見たって、また若いのが言ってきてね。で、確認の為に話しを聞きに来たんだ」
暴力団関係の刑事さんが言うんだったら、その厄介な奴は当然、ヤクザだよな。そんな警察にも顔が知られてるヤクザが来たなら、すぐに分かるはずだ。うちの店のお客さんはほとんどが女性なんだし。君子さんも、俺と同意見のようだ。しきりに首を傾げている。
前原さんは、ポケットからスマホを出すと、スワイプして何かを探している。
「ああ、あった。結構前に写した写真なんだけど…この、右側の男、どうだろう…見てないかな」
そう言って前原さんはテーブルの上にスマホを置いて、俺たちが見やすいように向きを変えた。その写真は、どこかの店の前で撮られた、まさしく隠し撮り写真だ。そこに二人の男が写っている。
「ちょっと…この人、グラタンさんじゃない」
君子さんが最初に声を上げた。写真のその男は少し若いが、グラタンさんに間違いない。それに、その横には猫舌さんも写っていた。
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