17 / 55
新たな生活〈3〉
翌朝。目を覚ますといつの間にか俺に毛布が掛けられていた。柊二さんだ。おっかないのか優しいのか…今のところはグラタンさんが優勢か。
ソファーでぼーっと座っていたら、階段下の扉が開いた。
「起きたか。もうすぐカンジが来るから、お前も顔を洗ってこい。タオルは棚にあるから」
「わかりました。お借りします」
「お前なぁ。もうここはお前の家でもあるんだから、好きにしろって言っただろうが」
俺は、はい、と軽く頭を下げて顔を洗いに行った。
洗面を終え、所在無げにしていると柊二さんは、朝メシはカンジが買ってくるから、それまで待ってろ、とペットボトルの水を飲みながら言った。食事は外で食べるか、買ってきた物を食べるかのどちらかなんだ。するとインターフォンの音がした。リビングとキッチンの中間くらいの壁にあるモニターに誰か映っている。
柊二さんはマンションエントランスのオートロックの解錠ボタンを押し、しばらくして玄関扉の鍵を開けに行った。
カンジさんっていったけど、どんな人なんだろう。今まではそのカンジさんが柊二さんのお世話をしていたんだろうか。
「柊二さぁん…一体どういうことなんですか?俺はもう用無しってことですかぁ?」
玄関の扉が開いたと同時に声が聞こえた。不満タラタラの声だ。カンジさんか。
「カンジ、昨夜ちゃんと話しただろ」
「でも、アニキ、そんな急過ぎますよ」
新倉さんも一緒なんだ。
「朝っぱらから、うるさいんだよお前は」
柊二さんが窘めていると、新倉さんとそのカンジと呼ばれている男がリビングに入ってきた。俺は軽く会釈した。
「だ…誰だ?お前」
「バカかお前は。昨夜話しただろうが」
「えぇっ⁈もう居るんすか」
カンジさんは俺を凝視している。数秒待って俺は挨拶した。
「初めまして、須貝研一と言います。昨夜からここに来させてもらっています」
カンジさんは、まだ黙って俺を見ている。すると新倉さんが、カンジさんの頭を叩いた。
「お前も何とか言えよ」
「あっ…おお…俺は津山カンジだ。よろしく」
新倉さんは、軽く溜め息を吐くとレジ袋をテーブルに置いた。
「柊二さん、朝メシです。研一の分も適当に買ってます」
「ああ、悪い。で、エリ子は今日は大丈夫か?」
「もう、朝からご機嫌で。研ちゃんとデートだぁ、って年甲斐もなく喜んでますよ」
ヤキモチ焼きの新倉さんの手前なのか、柊二さんは声を立てずに笑った。
「カンジ。今から向こうの部屋のベッドをそこの部屋に運んでくれるか?研一もメシを食ったらすぐに手伝わす」
カンジさんは俺を忌々しそうに睨んでいる。どうやらカンジさんの仕事を俺が奪ったと思われてるみたいだ。柊二さんより厄介かもしれないな、このカンジさんは。
背格好は俺とほぼ同じくらい、年齢も近いだろう。浅黒い顔に丸坊主。テロテロの柄シャツにダボダボジーンズ。いかにもごろつきかチンピラだ。お世辞にも頭がいいとは言えない感じだ。
俺はうんざりしながら買ってきてくれたクリームパンにパクついた。
玄関横にある部屋に行くと、カンジさんはベッドのマットレスを持ち上げようとしていた。
「半分持ちます」
「当たり前だ。お前のベッドなんだからさっさと手伝え」
柊二さんが使っていたっていうベッドは結構大きな代物だ。俺一人で使うには大き過ぎるだろう。床に布団敷きで十分なのに。まぁ…どうでもいいか。早く運び込んでこのカンジさんから離れたい。俺への暗黙の視線攻撃が半端ない。カンジさんとマットレスを外して、それから枠のスチールパイプをバラして運んでまた組み立てて、作業は一時間近くかかった。その間カンジさんはほとんど喋らなかった。最後にマットレスを枠にのせて移動は終了した。俺は部屋から出ようとしたら、カンジさんが声をかけた。
「お前、どっから来たんだよ」
「洋食屋からです」
「はぁ⁈ケンカ売ってんのか?おいコラ」
「どう、答えれば納得するんですか?」
やっぱり、カンジさんは頭が悪い。口も悪い。最悪だ。
「柊二さんと、どこで知り合ったんだよ」
「俺がシェフとして勤めていた洋食屋に柊二さんがお客さんで来られて、で、柊二さんから専属の料理人になってくれって言われたんです」
「はぁ⁈お前その顔でシェフだと?いい加減なこと言うな。本当はどこかの風俗店で拾ってもらったんだろう?上手いこと言って柊二さんの色にでもなるつもりなんだろうが」
また、顔の話しか。慣れたとはいえ、蔑まされるのはごめんだ。
「じゃあ、柊二さんに訊いてみてください」
カンジさんは、チッ、と舌打ちをすると部屋を出た。柊二さんや新倉さんに泣きついたところで、何もしてくれないだろうし。少しの間は我慢するか。
部屋を出るとソファーから、研ちゃん、おはよう、って声がした。エリ子さんだ。昨夜の着物姿と打って変わって白のスウェットにジーンズ、髪は後で括っている。薄化粧で肌がとても綺麗だ。そうだ、買い物に付き合ってくれるんだった。もう来てくれてたんだ。
さっきにも増してカンジさんは俺を睨んでいる。俺を恨むのはお門違いだ。
「カンジ君も汗いっぱいかいて、お疲れ様でした。オジサン二人は何にも手伝ってくれないのね。まぁオジサンだから仕方がないか…腰でも痛めたら大変だものね」
エリ子さんの言葉掛けで、カンジさんの表情は途端に和らいだ。エリ子さんは空気を察してくれた。
「終わったか?じゃあそろそろ事務所に戻るぞ、カンジ」
「アニキ…でも俺、事務所って」
「山ほど仕事が待ってるんだ。さっさと行くぞ」
新倉さんは、カンジさんの背中を押した。
「あっ…柊二さん。俺の着替えとかまだ置いてるんですけど」
「そうか…それよりカンジ、ここの鍵は置いていってくれ。着替えは好きな時に取りに来ればいい。これからは研一がいつでもここにいる」
「わ…わかりました。失礼します」
柊二さんは、お疲れ、と手を上げた。
「ああ、エリ子。お前、調子に乗んなよ」
振り返った新倉さんが言うと、エリ子さんは、ベェーっと舌を出した。
「新倉のヤキモチは相変わらずだな」
「でしょう?もうやんなっちゃう…」
「それだけ、エリ子に惚れ込んでるんだよ」
エリ子さんは、うふっ、と嬉しそうな顔をした。
「じゃあ、研ちゃん私たちも行きましょうか」
「はい。よろしくお願いします」
「エリ子、支払いはコレを使ってくれ。それと、研一、これからはお前が持っておけ」
柊二さんは、エリ子さんにカードを、俺にはさっきまでカンジさんが持っていた鍵を手渡した。
「最初に、研ちゃんの口座の開設をして、スマホを購入して、それから研ちゃんの衣料品を買って、柊二さん家の調理家電や食器を買うと…」
エリ子さんは、急に笑い出した。
「柊二さん。今日中に全部は、絶対無理ですよ」
「そうか…?じゃあ、口座とスマホは絶対に頼む。後は任せるから」
エリ子さんは、了解です、と言って、俺に耳打ちした。
「男って、本当何にもわかってないのよね。とりあえず口座とスマホを済ませたら、後は楽しみましょうね」
新倉さんには悪いが、俺はこれからもエリ子さんに色々と頼りそうだ。
ともだちにシェアしよう!

