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新たな生活〈5〉

 柊二さんは毎日何時頃に帰ってくるんだろう。今夜はまだ夕飯を作れる状況じゃないから、外で食事をしてきてくれたらいいんだけど。  あれこれ考えていると、インターフォンが鳴った。モニターを見ると柊二さんが映っている。鍵を持ってるはずなのに。俺は解錠ボタンを押して、おかえりなさい、と言った。それから、柊二さんがしていたように玄関扉の鍵を開けた。俺は玄関で柊二さんを待った。  ドアノブが動いて、扉が開いた。 「おかえりなさい。柊二さん」  柊二さんは俺の顔を見ても、表情一つ変えずに、ああ、とだけ言ってリビングに行った。俺は何か気に障ったことをしたんだろうか。研一、ただいまぁ、って笑顔で言ってもらえるとは思ってなかったが… そうだよな、グラタンさんはここにはいないんだ。 「柊二さん、今日、調理器具とか食器を買いました。明日から朝ご飯作ります。何時頃に食べますか?」 「七時」 「わかりました」 「カンジから聞いてるか知らねぇけど、シャツは毎日クリーニングに出してくれ。それと、スーツはスチームをかける。靴も磨く。いいな?」 「…わかりました」  柊二さんは、それから、と言って白いレジ袋をテーブルに置いた。   「俺は外で食ってきた。これはお前の弁当だ。これから風呂に入るから、用意してくれ」 「はい…」  俺は料理人だぞ。身の回りの世話もして欲しいなら、最初にきちんと言うべきだろう。でも、俺の夕飯は気に掛けて買ってきてくれたんだ。 「それと、後でこれにサインしてくれ。昨日言ってた契約書だ」 「わかりました。後で新しい通帳とエリ子さんから預かったカードをお渡しします。それとスマホも見てください」  柊二さんは、ああ、わかった、と言ってダイニングテーブルに書類を何枚か置いた。  雇用契約書か…隅々までしっかりと読まないとな。契約内容に家政婦なんて言葉があったら、問い詰めてやる。  すると、柊二さんはとっ散らかったキッチンを見た。文句でも言われるのかなと思っていたら笑っている。シンクに近寄ると置いてあるコーヒーカップを手に取って飲む振りみたいなことをしている。よくわからない人だ。俺は風呂場に行った。  風呂の用意って言われてもな、とりあえず浴槽にお湯を入れるんだよな。俺は蛇口を最大に捻った。浴槽内に適度に溜まるまで俺は風呂場で待った。 「研一、お前何してるんだ」  少しイラついた柊二さんの声がした。 「…お湯を溜めています」  柊二さんは、俺に聞こえるくらいの大きな溜め息を吐いた。 「蛇口を捻ると予めセットしてある量が出たら勝手に止まるんだ」 「すいません…知らなかったもので…キッチンを片付けてきます」  心のアップダウンがしんどい。早くこの生活に慣れないと。これくらいのことで、いちいち凹んでたら十五歳の俺に笑われる。   「研一…」  風呂上がりの柊二さんが後ろに立っていた。 「…はい?…あっ、お水ですね」 「いや、そうじゃなくて。さっきはすまなかった」 「えっ?」 「俺も慣れてなくてな…家に帰ったら誰かが笑顔で出迎えるなんて今までなかったから…俺も、少し戸惑っただけだ…で、朝メシは何を作ってくれるんだ?」  もう、本当にしんどい。でも少し嬉しかったりして。 「炊飯器も買ったので、和食です。ご飯と厚焼き卵と昆布出汁のお味噌汁です」  柊二さんは、やっと俺に笑顔を向けてくれた。昆布出汁は最強だな。    翌朝。ご飯は七時と言ってたのに、柊二さんは六時過ぎに起きてきた。まだ、ご飯も炊き上がってないのに。 「おはようございます、柊二さん」 「ああ、おはよう」    朝起きたら誰かがいるのは慣れていない、とか言って昨日みたいに仏頂面かと思ったら、普通に笑顔だ。 「まだ、ご飯が炊けてないんですが、お茶かコーヒーでも淹れましょうか」 「そうだな、お茶にしようか」  俺が飲みたくて昨日買った棒茶を淹れた。湯呑みに注ぐと芳ばしい香りが広がる。湯呑みも、俺の好きな、豆粒くらいの唐子の人形が縁にしがみついている物だ。  どうぞ、と言って柊二さんの前に出すと、なんだコイツは、と言って豆粒の唐子人形を見て笑っている。 「可愛いでしょ?俺、好きなんです、その人形。お茶を飲む度にクスッと笑えるから…柊二さんにもどうかなと思って」  柊二さんは何も言わずに唐子人形の頭を指先で撫でた。そして、タブレットでニュースを読み始めた。  ご飯が炊き上がり、昨日伝えた通りの朝食をお盆に並べて出した。 「お待たせしました、どうぞ。お味噌汁の具は、柊二さんの好みがわからなかったので、今日は油揚げとワカメにしました」 「お前は食べないのか?」 「えっ…ああ、そうですね。後でいただきます」 「後で食べるんだったら、今でもいいだろうが」  俺と一緒に食べたいのか?回りくどい言い方をする。 「はい。では一緒にいただきます」 「これからは、食事は毎回…だ…いいな」  何だか笑える。食事は一緒に食べよう、って普通に言ってくれたらいいのに。  朝食を食べ終えた後にコーヒーを飲んで、スーツに着替えて、柊二さんは出掛けた。  さぁ、掃除でもするか。俺の部屋も整理しないといけないしな。夕飯の支度は何時頃にしよう。  新しい俺の毎日が始まる。レブロンとは違う時間の流れ方だ。    昨日と同じくらいの時間。柊二さんは、今日もインターフォンを鳴らして俺に解錠ボタンを押させた。俺は玄関扉の鍵を開けて、笑顔で出迎える。柊二さんは少し疲れた顔で、ただいま、と言った。 「お風呂にしますか?ご飯にしますか?」  俺が尋ねると、柊二さんは笑い出した。 「なんだか嫁さんをもらったみたいだ。先に飯にするよ」  はい、あなた…なんてふざけられる日がくるのかな?  柊二さんが部屋へ着替えに行っている間に、俺は夕飯の支度をした。 「今日は、キンメ鯛の煮付けとほうれん草のお浸しを作りました」 「お前はやっぱりシェフなんだな。洋食屋でも和食も作れるんだから…今朝のも美味しかったよ」 「ありがとうございます。明日のお味噌は何にしましょうか」 「お前に任せるよ」  柊二さんは、煮付けを一口食べる毎に、うん、と頷く。料理人とその雇用主だけど、一緒に食事をするのはやっぱりいいな。  俺は、柊二さんが気に入った料理を、ノートに書き留めることにした。最初のページに『キンメの煮付け』と書いた。  この間の買い物でエリ子さんから、スマホを買ったんだから後はネットで購入したら、と言われた。柊二さんに相談すると、だったらこれからはお前がこれを持っておけ、とこの間エリ子さんが支払っていたカードを渡された。  それからは調理器具や家電、俺好みの食器が毎日のように届いた。それと同時に、食事のレパートリーも増えていき、柊二さんノートにも料理名が増えていった。  ◇◇◇  ある日、柊二さんを送り出して洗濯が終わった時、インターフォンが鳴った。誰だろう…。柊二さんからは、不用意に鍵を開けるんじゃないぞ、とまるで留守番の子供に注意するように言われたことがあった。モニターを見ると、カンジさんだった。今一番会いたくない人だ。居留守をするわけにもいかないし、通話ボタンを押した。 「研一。俺の荷物を取りに来た」 「わかりました」  そして俺は解錠ボタンを押した。

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