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嫉妬と男色〈1〉
カンジさんは、数日経ったせいか少しトーンダウンしていた。フレンドリーではないが普通だ。エリ子さんの言った通りだった。カンジさんは、色々物が増えたキッチンを見た。
「お前がいた洋食屋って…レブロンだったよな」
「はい。そうですが…」
まさか、行ったことがあるなんて言わないよな。
「なぁ、確かトイレットペーパーが少なくなってると思うんだ。柊二さんのお気に入りのヤツを買っておいた方がいいぞ」
ヤクザがそんな物に拘るのか?でもここはカンジさんの言うことを聞いておこう。そのトイレットペーパーは、マンションから結構離れたドラッグストアーにしか売ってないらしい。
「俺が留守番しといてやるから、行ってこいよ」
どうせクリーニング店やスーパーにも行くつもりだったし、俺はカンジさんに留守を任せて買い物に出ることにした。カンジさんは荷物を持って帰ったらもうここに立ち寄ることもないだろう。俺は少し気が楽になった。今日の夕飯は何にしようか考えながら、買ってもらった自転車を漕いだ。
買い物は一時間ほどかかった。自分でオートロックを開けて部屋に入ると、荷物があちこちで散乱していた。カンジさんの着替えではなく、ほとんどが俺の物だった。
「カンジさん、何をしてるんですか」
カンジさんは、勝ち誇ったように俺を見た。
「研一、これは何だっ!」
カンジさんは、茶色い小さな瓶を持って俺に向けた。
…しまった…見つかった。
「何だって訊いてんだよっ」
正直に答えられない。それは青酸カリが入った瓶だ。
俺が家出をする少し前に、母親の客の鉄工所の社長に買春を家族にバラされたくなかったらと脅して、ほんの少しだけもらったものだ。家出が失敗に終わったら…と思ってお守り代わりに持っていた。が、幸運にもレブロンのマスターや君子さんに助けられた。それからは処分できずにずっと隠し持っていた。ここに越す時もまさか君子さんに処分をお願いするわけにもいかず、タオルに包んでベッドのマットレスの下に隠していた。そのうちに処分するつもりだったのだが、カンジさんは見つけ出したのだ。恐らく今日ここに来て、俺をわざわざ外に出したのも、俺の何かを探るつもりだったんだろう。そして、お宝でも掘り当てたように、にんまりとしている。
俺はわざとわかりにくい名前を言った。
「それは、シアン化カリウムです」
カンジさんの顔が一瞬曇った。よく聞く青酸カリと俺が言うと思っていたようだ。
「…っ…はぁ?お前正直に言えよ。これは毒だろうがっ」
だから、言ってるのに。
カンジさんは俺の胸ぐらを掴んだ。
「お前、俺をバカにしてんだろっ!」
言うが早いか、俺は顔面を殴られた。そして続けざまにカンジさんは後にひっくり返った俺の胸元を蹴っ飛ばした。胸元で嫌な音がした。瞬間息を吸うのが苦しかった。
「お前、柊二さんをどうするつもりだったんだ!正直に言えっ!」
また、一発二発と顔面を殴られた。口の中が血の味がする。喧嘩慣れしている相手に防戦すらできない。俺はやられるばかりだった。自分の仕事を俺に取られた憂さ晴らしもしているんだろう。
クソッ、吐かねえつもりか、とカンジさんは言うと、俺を引きずるようにして外に連れ出し、車に乗せた。
どこに連れて行くつもりなんだ。ヤクザの溜まり場にでも行ってまたそこで殴られるのか。
着いた先は溜まり場ではなく、一階が駐車場になっているビルだった。入り口のガラス扉には『株式会社イースト』とあった。イースト…東…。そうか、山東会の会社、柊二さんの会社だ。
カンジさんは俺の腕を掴んで、扉を開けてすぐの階段を上がっていった。そして事務所の扉を音を立てて開けると、俺を床に投げ飛ばした。事務所にいる人たちは、ほとんどがヤクザだろうけど、突然の来客に騒ついた。
「カンジ。お前何してんだ。ここは会社だぞ」
新倉さんの声だ。
「…研一か?」
「はいっ、アニキ。コイツはとんでもないものを隠し持ってたんで」
カンジさんは手柄を差し出すように、その瓶を新倉さんに渡した。新倉さんは、ボロ雑巾のような俺の傍で屈んだ。
「研一、お前、何をしたんだ」
新倉さんは信じられない様な顔をしている。
「新倉さん…俺…」
「コイツはシアンカ何とかってのを自分のベッドの下に隠してたんですよ」
すると誰かが、それはシアン化カリウムでしょう、青酸カリのことですよ、と言った。一瞬にして事務所内が更に騒めき立った。
「研一。訳を話せ」
「それは、ずっと前に知人の鉄工所の社長に無理を言って分けてもらったものです。俺、家出をした時、もうどうにもならなかったら使おうと思って…持ってたものです」
「アニキ、騙されたらいけませんよ。コイツが前に働いていた洋食屋は、瀧野連合のシマにある店ですよ」
新倉さんの足元が動いた。
「カンジ…お前わかっているのか、自分が何を言ってるのか」
その時、事務所の扉が開いた。
「何を騒いでるんだ」
柊二さんだ。その場の空気が張り詰めたのが、俺にも分かる。俺は柊二さんと目があった。
「新倉。何だそいつは」
柊二さんは、俺だと分かっていて訊く。するとカンジさんは、ここぞとばかりに得意げな顔をした。
「柊二さん。コイツ、自分の部屋のベッドの下に青酸カリを隠してたんですよ。コイツ、瀧野の奴らと繋がってるんですよ。だから柊二さんを、それで…」
「カンジっ!お前は黙ってろ」
「アニキ、本当のことじゃないですか。俺、ダチに聞いたんすよ。コイツが柊二さんとこに来る前くらいから、コイツの洋食屋の周辺で瀧野の奴らが変な動きをしてるって」
柊二さんが俺に近寄ると、新倉さんは離れた。
「ふぅん…おいっ、誰かコップに水を入れて持ってこい」
はいっ、と勢いよくカンジさんが事務所の奥に走って行った。そして、なみなみと水が入ったガラスコップを柊二さんに手渡した。
「バカかお前は、こんなにいらねえんだよ」
柊二さんはその場で殆どの水を捨てた。新倉さんから瓶を受け取ると、蓋を開けて中身をコップの中に入れた。そして机の上のペンでカラカラとかき混ぜた。
柊二さんは俺の傍に屈むと、無表情で、飲んでみろ、とコップを俺の顔に近づけた。
もうどうでもよかった。十年先送りになっただけのことだ。俺はコップを受け取ろうとしたが、右腕が動かなかった。カンジさんにここで投げ飛ばされた時に肩が外れてしまったようだ。俺は左手で、柊二さんのコップを持っている手の甲を掴んだ。そして口を近づけて柊二さんの手ごとコップを傾けた。もう少しで口に入るところで、柊二さんは手首を返して、コップの中の液体をその場に溢した。
どうして…後、もう少しだったのに。
溢した液体はカーペットに染み込まずに玉になっていた。それに気付いた俺は、カーペットに顔を近づけて、その玉を吸い込もうとした。が、物凄い力で後ろ衿を掴まれて、そのまま後ろにぶん投げられた。そのせいで机の脚に嫌と言うほど頭をぶつけた。書類がバラバラと俺の体の上に落ちてきた。
「おい。誰の許可を得て、俺の料理人をここに連れて来たんだ…新倉、お前か?」
新倉さんは黙っている。
「あっ…あの、でも柊二さん…」
「カンジ…お前は黙ってろって言ってるだろうが」
「ああ?…カンジ、お前が勝手にやったってのか?瀧野がどうしたってんだ?」
誰一人、物音すら立てない。
「で…で…ですから、その、た…瀧野の奴らが、その…研一に…しゅ…柊二さんを」
柊二さんは、傍のデスクチェアーを蹴っ飛ばした。
「おいっ!カンジてめえは、俺が瀧野の奴らにおめおめと毒殺されるような腑抜け野郎と思ってんのかっ!おいコラッ」
カンジさんの引き攣ったような息を吸う音が聞こえる。
「おい、コイツを連れて行け。わかってるな」
柊二さんの声は冷酷だった。このままカンジさんはどうなるんだろう。騒ぎを起こした制裁を受けるんだろうか。勝手に俺を暗殺者と勘違いしたカンジさんもバカだが、隠し持っていた俺も悪い。
「柊二さん、待ってください。俺が…俺がそれを処分をしなかったばっかりにこんなことになって…ごめんなさい。本当にごめんなさい。俺は…自分のためにだけそれを持っていたんです。カンジさんは柊二さんの身を守りたかったんです…だから、どうか…カンジさんは…カンジさん…は…」
俺は力を振り絞って片腕で柊二さんの足元に縋りついた。首筋が生暖かく感じ、目の前が赤くなっていった。そこで俺は力尽きてしまった。
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