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キス〈2〉
毎月の恒例になったエリ子さんとのランチの席で、柊二さんの誕生日の話しになった。
「来週、柊二さんの誕生日だけど…」
「えっ、そうなんですか?」
「やっぱり、知らなかったわよね…まぁ、柊二さんが自分から言うわけないものね」
誕生日なんて考えたこともなかった。柊二さんは何歳になるんだろう。
「毎年、エリーゼでお祝いしてるのよ。柊二さんは、いいって言うんだけど、新倉とカンジ君が店に引っ張ってきて、店の皆んなと一緒に乾杯するのよ」
柊二さんの仕方なさそうな照れ顔が想像できる。
「柊二さんって、何歳なんですか?」
「う〜んとねぇ…三十五?六?どっちだったかしら」
そうか、俺と十歳は離れてるんだ。
「でね、新倉とも話してたんだけど…今年は研ちゃんに柊二さんのお祝いの権利を譲ろうってことになったの」
エリ子さんは、自分のことのように嬉しそうに話す。
「今年は、研ちゃんの手料理で、二人っきりで家でお祝いするのが、柊二さんは一番嬉しいだろうなって」
えっ…まさかの話しだ。二人っきりでお祝いなんて…新倉さんの頭には、やっぱり『男色』の二文字があるんだ。今では毎日キスしてるなんて聞いたら、あの強面はどんな顔をするだろう。
でも誕生日祝いってどうしたらいいんだろう。誕生日のお祝いです、ってケーキとロウソクを用意しても柊二さんはどんな反応をするのか全く読めない。素直に喜ぶとは考えにくい。
それなら柊二さんノートに書き記した料理をいつもよりたくさん作って、何となく気付いてもらおうかな…うん、それがいい。さて、何を作ろうかな?まぁ、グラタンとキンメの煮付けはテッパンだけどな。俺は浮き立っていた。
◇◇◇
誕生日当日の朝。いつものように切り火キスをして、柊二さんを送り出した。さぁ、今からお誕生日ディナーの下拵えだ。
昼過ぎ、俺は鼻歌まじりにキンメの煮付けの味加減を確認した。上々の出来上がりだ。
するとインターフォンが鳴った。まさかもう帰って来たってことはないよな…モニターにはカンジさんと後もう一人、若い女の人が映っている。誰だろう。
「研一、悪い。ちょっと柊二さんから頼まれものがあって…なぁ、開けてくれるか」
頼まれ物って何だろう。それにカンジさんの声が焦っている。トイレにでも行きたいんだろうか…。
「わかりました。どうぞ」
解除ボタンを押す少し前に、もう、早くしなさいよっ、て女の人の声も聞こえた。何だか嫌な予感がする。
鍵を開けて玄関で待っていると、廊下からカンジさんの、待って下さいよ、って声が聞こえた。益々嫌な予感。
すると、勢いよく玄関扉が開いた。さっきの女の人だ。
香水の匂いをぷんぷんさせ、真っ赤な口紅を塗った口で、あんたが柊二のっ⁈って俺に向かって吠えた。
「麗蘭さん、そいつは違いますって」
「じゃあ、コイツは何なのよ」
「柊二さんの料理人の研一ですってば」
「はぁ?アンタ男?料理人?…まさか、アンタが柊二の色ってことはないわよね」
このやり取りで何となく状況は分かる。
「ちょっと、黙ってないで、なんとか言いなさいよっ」
本当に今にも噛みつきそうなブルドッグみたいだ。
「俺は、ここで柊二さんの料理人をしてる須貝といいます」
「研一、この人はオヤジさんの娘さんで、麗蘭さんだ」
焦りながら言うカンジさんを、俺は冷ややかな目で見た。
「で、今日はどういったご用件ですか?柊二さんからは何も聞いていませんが」
麗蘭さんは、ふん、って鼻息を荒げて、ズカズカとリビングに入っていった。
「カンジさん、説明して下さいよ」
「ああ〜だから…」
カンジさんが口篭っていると、リビングで扉を荒々しく開け閉めしている音が聞こえた。カンジさんは慌ててリビングに行った。
「麗蘭さん、ここには麗蘭さんが思っているような人はいませんって」
「じゃあ、アンタは何で今日は家でお祝いをするみたいですよ、なんて言ったのよっ」
「そ…それはアニキから聞いたんですよ」
「新倉が?」
「そうですよ」
「怪しい…絶対にどこか隠れてるんでしょう」
麗蘭さんは、階段の先の扉を見た。あそこね、と言って階段を上がろうとした。
「あっ待って。そこは柊二さんの部屋で、入るなって言われてるんです」
「はぁ?私はね、柊二のフィアンセなの。フィアンセ」
カンジさんは泣きそうな顔をしている。やっぱりカンジさんはバカだ。
しばらくして麗蘭さんは部屋から出てきた。
「カンジっ!どこにいるのよ柊二のメス猫は」
「だから、そんな人はいませんって」
「じゃあ、何で私の食事を断るのよ。おかしいでしょ。私はフィアンセなのよっ!」
いつまで続くんだ、この不毛なやり取りは。俺は仕方なく助け舟を出した。
「あの…柊二さんは野崎先生から食生活を改めるように言われたみたいで」
「だから、何よ」
「それで、毎日俺が柊二さんの食事を作ってます。俺は調理師の免許も持っていますし、長年レストランで働いていました。で、新倉さんから、今年はお酒は抜きで体に優しい料理を食べてほしいからって言われて」
「そっ…そう…そうなんですよ」
麗蘭さんはまだ納得していない。
「じゃあ、アンタの作った料理を見せてみなさいよ。アンタが本当に料理人だって言うんなら」
こんな香水ぷんぷん女に、昆布出汁がきいた煮付けなんて出したくない。柊二さんの煮付けなんだから。
「でも、ここの食材は柊二さんのお金で購入していますから、俺の一存で勝手に出すことはできません」
もう、諦めて帰ってくれ。カンジさんはこの場を完全に俺任せにしている。
「カンジさん。どうしたらいいですか」
「えっ…ああ…じゃあアニキに聞いてみるよ」
新倉さんじゃなくて、柊二さんに聞けよ。直接柊二さんに聞くのは恐ろしいんだな。
カンジさんが電話をしている間、麗蘭さんはキッチンに入って、キンメが入った鍋の蓋を開けた。
ふぅん、って言いながらあちこち探っている。
「研一…アニキがいいって」
カンジさんはホッとした顔をしている。
「では、用意をしますので、あちらに座って待っててください」
俺は、仕方なく煮付けを温めた。それと冷蔵庫からキンメの昆布締めを出した。蓴菜 の清汁をお椀に入れた。
「お待たせしました。キンメ鯛の煮付けと同じくキンメ鯛の昆布締めと清汁です」
麗蘭さんは、ジロッと俺を見ると、煮付けを箸で突いた。一口だけ食べて、清汁の椀を箸でかき混ぜた。
「なに?このヌメっとした気色悪いの」
「それは、蓴菜といって水草の一種です」
麗蘭さんは、気色悪っ、と言って箸を置いた。そしておもむろにバッグからタバコを出した。
柊二さんはタバコは吸わないから、ここには灰皿がない。俺は何か代用できる物を探そうとキッチンに行った。そして、ガラスの空き瓶に水を入れて持っていくと、麗蘭さんは、手を付けていない昆布締めの上にタバコの灰を落としていた。傍にいたカンジさんも困った顔をしているが何も言わない。
「これを使ってください」
俺がガラス瓶をテーブルに置くと、麗蘭さんは、遅い、もういい、と言って、煮付けのキンメ鯛の大きな目にタバコを押し付けた。そしてその吸い殻を清汁の椀の中に入れた。
俺は無惨に汚された食事を見た。怒りを通り越して呆れ果てた。柊二さんのお祝いの食事なのに…。
「ちょっと、コーヒーちょうだい」
「麗蘭さん、もういいでしょう。行きましょう」
さすがにカンジさんが口を出した。
「カンジっ!誰に向かって言ってんのよ。さっさとコーヒーを出しなさい」
俺は黙って、キッチンに行って湯を沸かした。するとインターフォンが鳴った。カンジさんは急いでモニターを見ると、直ぐに解錠ボタンを押した。たぶん新倉さんが来たのだろう。
玄関で、アニキすいません、と泣きそうな声を出している。新倉さんはリビングに入ってくると、太々しくテーブルに座っている麗蘭さんに向かって、帰ってください、と言った。何か言い返そうとした麗蘭さんを無視して、カンジさんに、麗蘭さんをお送りしろ、と低い声で指図した。
麗蘭さんも、新倉さんのヤクザの本気に近い怒りを感じ取ったのか、黙って立ち上がり、出て行った。その後をカンジさんが追いかけていった。
新倉さんは、テーブルのタバコの灰で汚された料理を見て、深い溜め息を吐いた。
湯がせっかく沸いたから、俺は新倉さんにコーヒーを淹れようと思ってカップを出した。そしてフィルターにコーヒー豆を入れていると、涙が出てきた。俺が一度鼻を啜ると、新倉さんは俺を見た。どう声をかけようか思いあぐねているみたいだ。
「わざわざ来てもらって助かりました」
俺はどうぞと言って、新倉さんにコーヒーを勧めた。
「研一。すまなかったな…バカな奴だとは思っていたが…柊二さんには俺からも謝る」
「でも、料理がこんなことになってしまって…」
俺は唇を噛み締めた。
「それも、柊二さんに伝えておく」
新倉さんは、本当にすまなかった、と言ってコーヒーを一口飲んで、出て行った。
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