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再び逃行〈2〉

 俺は喫茶店の赤煉瓦の前で、藤澤さんを待った。駅前といっても人通りも疎らだ。ここは長閑な田舎町だ。  しばらくすると、少し離れた所に軽トラが停まった。運転席から中年の男性が降りて、こっちを見ている。手を振って藤澤さんですか?なんて言えないし、俺は様子を見た。  その中年男性は少し足を引き摺るような歩き方で、真っ直ぐ俺に向かって歩いて来る。  やっぱり、あの人が藤澤さん…?  すぐ傍までやって来ると、和かに、やぁ、って言いそうな顔で片手を上げた。 「今日は定休日だったんだ…悪かったね、レブロンの研一君」  えっ?…どうして俺が研一って知ってるんだろう。 「安心しろ。俺は、エリ子の実の兄だ。それに元、山東会の組員だ」 「そう…なんですね…初めまして、須貝研一です」 「こちらこそ初めまして、柊二さんの想われ人の研一君」  ここに来てまで、そんなことを言われるなんて…実はヤクザって色恋の話が好きなのか? 「想われ人だなんて…柊二さんの料理人ですよ」 「いいから、いいから。航が嬉しそうに話してくれるんだよ」 「航さん?」 「ああ…新倉のことだ。アイツとは山東会に入ったのが同じ時期でな、すぐに意気投合して航と鉄の仲だ。男気もあっていい奴だし、で、妹のエリ子を紹介してやったら、すぐに相思相愛になってな…あんなに手が早い男だとは思わなかった」  藤澤さんの笑った顔がエリ子さんとよく似ている。 「で、研一君から電話をもらった後にエリ子に電話したんだ。エリ子はえらく驚いていた。わざわざ遠い所までありがとうって、航にも伝えておくって言ってたよ」  俺は鞄から箱を取り出して、藤澤さんに渡した。後、郵便局に行って速達を出さないと。 「あの、この近くに郵便局ってありますか?」 「ひょっとして他にもあるのか?航から預かってる物が」 「はい…速達で出すように言われているのがあって」  藤澤さんは、鞄の中を覗き込んだ。 「あ〜それな…俺が預かった方がいいな…」 「えっ…でも」 「研一君も薄々分かっていると思うけど…これは脱税の証拠品だ。俺のはノートパソコンでそっちは帳簿だ。中身は同じなんだ。両方ともイーストの財務記録。オヤジさんはデジタルデータは毛嫌いするもんだから紙ベースで帳簿を作ってるんだ。俺は当時、組の財務管理をしていた。謂わば金庫番だ。組にいる時にデータ管理のためにパソコンを導入した。元々IT関連の仕事をしていたから、組事務所の仕事なんて簡単なものだったよ。で、今回、俺の所にパソコンを送ろうとしたのは、復元ができないように完全に処分するためなんだ。でも、研一君が直接運んでくれたから、時間に余裕ができた。ちゃんとした形でデータを抜き取るとこもできるし、完璧に本体も跡形なく処分できる。それに俺なら帳簿の中身をカメラで写して後は焼却処分することできるんだよ。膨大なデータも小さなUSBメモリの中に隠しておけるってわけだ」  そんなことだろうと思っていたけど…ヤクザも脱税か。民間人からみかじめ料を取るより、国から巻き上げる方にシフトチェンジしたか。それを指南している人もどこかにいるんだろうな。でも速達はどうしよう、俺が勝手に決められない。 「すいません。やっぱり帳簿は俺が勝手にできませんし」  藤澤さんは、だよな、と言うとスピーカーフォンにして電話をかけた。 (もしもし?) 「エリ子、俺だ」    エリ子さんだ。 (お兄ちゃん、そこに研ちゃんもいるの?) 「ああ、いるよ」 (お兄ちゃん、研ちゃんは何も知らないんだから余計なこと言わないでよね) 「そうだったのか…悪いな…もう喋った」 (もうっ!お喋りなんだから…で、どうしたの?) 「ああ、おじきに送るオヤジさんの帳簿だけど、あれ、俺が処分してもいいか?研一君がまだ持ってるんだ」 (お兄ちゃんができるなら、その方がいいと思うわ。新倉にも言っておく。ねぇ、研ちゃんは柊二さんのためだと思って頑張ってくれてるんだからね。これ以上心配かけるようなことは言わないでよ。いい?わかった?)   藤澤さんは、エリ子さんが了解したことを俺に聞かせようとスピーカーフォンにしてくれたんだけど、それを知らないエリ子さんは俺を心配して藤澤さんに釘を刺した。  皆んなが思う柊二さんと俺の関係は、もう、料理人とその雇用主ではないみたいだ。事実そうなんだけど…。  俺は封筒も藤澤さんに渡した。  藤澤さんは、時間があるんだったら俺の農場を見に来ないか、と言った。 「農場ですか?」 「ああ、ヤクザを引退して今は農場の経営者だ」  少しくらいなら、十五時には間に合うだろう。俺は軽トラの助手席に乗った。 「農場の経営者になられても、山東会のお手伝いはされているんですね」 「まぁな…すぐにパソコンが壊れたとか言ってくるからな、定期的にメンテに行ってるよ。俺の農場はスマート農業だから少しくらいの時間は作れるんだよ」 「スマート農業ですか…スキルを活かされてすごいですね…農業されてもう長いんですか?」 「そうだなぁ、もうすぐ十年…だな。山東会にいた頃、組同士の大きな抗争があってな、で俺は腹と脚に弾を喰らって死にかけた…まぁ、それは大袈裟だけどな」  そうか、それで足を引き摺るような歩き方なんだ。 「三日間ほど意識不明だったらしい。それから脚のリハビリをしても完全には治らなかった。それで足を洗うことにしたんだ。もう、のんびりしたかった。航にもエリ子と所帯を持つつもりならお前もヤクザは辞めてくれって言ったんだけどな…でも航は不義理なことができない奴だった。その時の抗争で航は敵対する奴らに殺られそうになってな、柊二さんが体を張って航を庇ったんだ。で、柊二さんは大きな創を負った」  背中の創のことだ。そんなことがあったんだ。  あ…もしかしてその抗争って、レブロンの路地裏で俺が行き倒れた、あの時の抗争だろうか。 「で、山東会はシマからの撤退を余儀無くされた。それから柊二さんは一念発起して今のコンサル会社を立ち上げたんだよ」  そうだ。確か所轄の警察の人も同じようなことを言っていた。名前は忘れてしまったけど、レブロンのマスターと一緒に話しを聞いたんだ。…俺は因縁を感じた。 「俺、その創見ました…」  えぇ⁈…何、口走ってんだ俺は。 「知ってる。航から聞いてたよ。柊二さんが創を見せるなんてただ事じゃないぞってな」  新倉さんと藤澤さんは、柊二さんのことを興味津々で話していたんだ。あんな強面なのに、笑える。  軽トラが少し走った先に、大きなビニールハウスが何棟も並び立っていた。規模の割には人がほとんど見当たらない。そうか、スマート農業だもんな。 「藤澤さんは、二刀流なんだ。本当凄いですね」 「まぁな…たまたま上手くいっただけだよ。そうだ、事が落ち着いたらゆっくり遊びにおいで。俺の野菜で何か作ってくれよ」 「ダメですよ。俺の料理は柊二さんだけのものですから」  俺は、初めて人前で惚気た。心の中が桃色になった。 「はいはい、ご馳走様」  藤澤さんはまたエリ子さんそっくりの笑い顔を俺に向けた。

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