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姫信寺〈1〉

 逃亡、二ヶ月目。  本当に警察が俺を追っているのか定かではないが、俺は逃亡という目的を持ちたかったのかもしれない。  柊二さんはどうしているんだろう。恋しい。  寝る前にホテルで柊二さんのスーツに鼻を寄せる。もう今は俺の匂いに変わってしまってるんだろうな。それでも柊二さんに抱きしめてもらったことを思い出させてくれる。  新倉さんから渡されたスマホはあの日以来、電源は落としたままだ。もう連絡をしても大丈夫かなと思いつつも、もし俺の居場所がわかったら…なんて思うと、またキャリーケースの奥底にしまってしまう。  各地を色々と巡るのは、食に関しても新たな発見がある。俺は柊二さんが好きそうだなと思う料理やその地域を、柊二さんノートに記した。いつか柊二さんと一緒にその地域や店に行きたい。それは俺の今のモチベだ。    逃亡三ヶ月を目前にして、俺は迷った。  海を渡って最南端まで行くか、それとも一足飛びに最北端に行ってみるとか、いずれにしても、それなりの足跡は残すことになる。それならルートを変えて、また鈍行で一度戻ってみようか。  柊二さんが最後の夜に話してくれた殿村家のお墓があっておっかない住職がいて、姫という漢字が付いた寺…俺はその寺を探しにいくことにした。  ◇◇◇  その寺は、柊二さんと居たマンションからそれほ遠くない所、と柊二さんは言っていた。  俺はスマホで検索した。すぐにいくつかの寺の名前が出てきた。姫に縁がある寺が数ヵ所と、実際に名前に姫の字が付いている寺が一ヵ所……ここだ。  俺はネット社会のありがたみを痛感した。  その寺は『姫信寺』という名前だった。漢字の横に『ひめのぶでら』と書いてある。  殿と姫か…字だけを見ると相性がよさそうにも思えるが、あの柊二さんを顰めっ面にさせる住職はどんな人なんだろう。もう十年以上は経つんだから、それなりに穏やかになっているといいんだけど。  二日ほどかけて、俺はその姫信寺の近くまでやって来た。藤澤さんの農場とまではいかなくても、ここも忙しくなくのんびりとしたところだ。その当時の柊二さんは、ここでどんな悪さをしていたんだろう。そんなこと誰かに訊けるわけもないし、とりあえず、俺は姫信寺に向かった。  途中の定食屋さんで食事をしようと思って入った。そこで姫信寺のことを聞くことができれば好都合だ。  人の良さそうな女将さんが注文を聞きに来てくれた。俺は親子丼を頼んだ。店の中は昼過ぎのせいもあって、空いていた。 「あの、すいません。少しお伺いしたいのですが」 「はいはい。何でしょう?お兄さんは旅行中?大きなカバンを持って」 「ええ…まぁ。実は、今から姫信寺に行きたくて。地図で見るとここから近いようなんですが」 「ひめのぶ?…」  えっ…ここじゃないのか?  すると厨房から年配の男性の声がした。 「ああ…キシンさんのことだ」 「ああ、そういえば確か、ひめのぶって名前だったわね」  女将さんは、そう言い残すと厨房に行った。そして俺の親子丼を持ってまた戻ってきた。 「この辺りじゃ、キシンさんっていってるのよ。ひめのぶでら、なんて舌噛みそうでしょう?」  訓読みを音読みにするのはよくある話しだ。女将さんは、お待たせしました、とテーブルに親子丼を置くと、それにね、と訳ありな顔で言った。 「あの、住職も悪い人では無いんだけど、仏の道に入ってる人なんだからもう少しねぇ…」  やっぱり柊二さんの言う通りの住職のようだ。厨房のオヤジさんも出てきて笑いながら言った。 「とにかく、口が悪いんだよ。間違ったことは言ってないんだけどね。それでここら辺の人は寺の名前に付いてる姫の字は、鬼の方がピッタリだって言ってね…それに姫も鬼も両方『き』って読めるから、いつの間にか『キシンさん』って呼ばれるようになったんだよ」  鬼か…柊二さんも敵わないわけだ。 「でもどういうわけか、その住職の法話会が人気でね。いつもその日は、参加者が店の前をゾロゾロと歩いて行ってるよ。世の中の人はそんなに誰かに叱ってもらいたいのかねぇ…」  オヤジさんは首を傾げながらまた厨房に戻った。   「まぁ、お陰様で月に一度はうちの店も忙しくさせてもらってるんだけどね」  女将さんは俺の湯呑みにお茶を注いでくれた。      やっぱり鬼に会うにも第一印象は絶対大切だよな。俺は伸びた金髪を一つに括っている今の髪型は、鬼にとって印象は良くないと判断した。とりあえず今日はそのキシンさんの近くまで行ってまた明日出直そう。  親子丼を食べ終えた俺は、スマホでこの近くに散髪屋がないか検索した。  アスファルトの道をゴロゴロとキャリーケースを引っ張って歩いた。柊二さんは十八歳までこの町で暮らしていたんだ。この道も自転車かバイクで通って…というより喧嘩とかして警察に追い回されてたのかもな。  ◇◇◇  あれから、結局、宿泊先の近くまで戻った。検索した散髪屋で髪をバッサリと切った。耳を全部出して、襟足も刈り上げた。そして疎らの金髪も黒くなった。  散髪屋のオヤジさんに、就職活動かい?と訊かれた。俺は、明日面接なんです、と笑った。    俺はキャリーケースを引きながら、少し重い足取りで姫信寺にやって来た。山門を前にして一礼をした。境内に入るとすぐに鐘楼があった。石畳を奥に歩いていくと本堂や住まいのような建物があった。静かで人の気配を感じない。誰もいないのかなと思っていたら、急に後から声をかけられた。驚いて思わず肩が上がった。 「何か、ご用かな」  作務衣姿の高齢の男性が、ジロリと俺を見ていた。  ああ!絶対この人だ。立っているだけで威圧感がある。それに声も低くて張りがある。この声で法話を聞くとご利益があるように思える。 「勝手に入ってしまってすいません…お世話になった方のお墓がこちらにあると聞いたもので」 「どなたの墓かな」  一言一句に緊張してしまう。 「あの…殿村さんです」  言った瞬間、ある程度は予想はしていたけど、まさに鬼のような顔になった。俺は何も悪いことはしてません。 「殿村さんだと?…千恵子さんの知り合いか」 「…あ、いえ」 「じゃあ、一美か?」  千恵子さんは柊二さんのお母さんだ、で一美さんはお姉さんだろう。 「そうではなくて、柊二…」  俺は、柊二さんです、と最後まで言えなかった。 「柊二だと?あのクソ馬鹿野郎の柊二のことか⁈」  定食屋のオヤジさんの言った通りだった。 

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