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姫信寺〈3〉

 自分で言うのもなんだけど、殿村家の墓石と玉砂利は美しく輝いた。ブリキのバケツと柄杓を元に戻してから、俺は手と顔を洗った。また明日にでもお花とお線香をお供えしよう。住職に声をかけてここを出たらで藤澤さんに連絡をしてみよう。 「すいません…鞄、置かせてもらってありがとうございました」  俺は事務所の格子戸を開けて声をかけた。 「おう。終わったか」  すると、住職に後から声をかけられた。 「はい。終わりましたので、今日はこれで失礼します」 「玉砂利を洗うくらいだから時間はあるんだろう?いいからこっちに来い」  有無を言わさずに住職は先に行った。本堂の近くまで行くと、うちのやつが作ったから食っていけ、と言って本堂の広縁に座った。最初は鬼だなんて思ってごめんなさい。住職は口が悪いだけで、心根は思いやりのある人だ。俺もその隣に座らせてもらった。 「あの、突然来たのに…厚かましくてすいません」 「なに、こっちが勝手にやってることだ、遠慮するな」  俺はお腹も空いていたし、昔の柊二さんの話しを聞いてみたかった。すると、お待たせしましたね、と小柄な高齢の女性がお盆の上に何かを乗せて運んできてくれた。たぶん住職の奥さんだ。柊二さんのお母さんの幼馴染だっけ。 「こんな物しかないんですけど、さぁどうぞ」  それは、丼鉢に入ったうどんだった。おぼろ昆布が上にのって優しい香りがした。 「いただきます」 「さぁ、どうぞ、どうぞ。そのおうどんはね、柊二君が好きだったのよ」  えっ…そうなんだ。  俺はうどんの汁を口にした。昆布出汁だ。柊二さんの昆布好きの原点はここだったんだ。 「とても美味しいです」 「お口にあって何より。住職が昆布が好きでね、昔からお昼にこれを作っていたのよ。千恵ちゃんが…あっ、柊二君のお母さんが、仕事に行ってる時は一美ちゃんとよく遊びにきてね…それで住職と一緒にここに座ってこのおうどんを食べていたのよ」  そうだったんだ。 「あの、実は、私は…」 「おいおい。お前は普段からそんなワタクシは、なんて言ってんのか?普通に喋れ。どんな言葉を使っても、わしは、お前がどんな人間かわかっている。うわべだけ取り繕うな」  今は住職の言葉が温かく感じる。   「…はい。あの、俺は以前、料理人として洋食屋に勤めていました」 「あら、お料理のプロだったのね。こんな質素な物でお恥ずかしいわ」 「何が恥ずかしいんだ。お前の昆布出汁は美味いといつも言ってるだろうが」  奥さんは恥ずかしそうな顔をして俯いた。 「柊二さんは、俺が作ったグラタンを食べて、隠し味で入れていた昆布出汁のことを言い当てました。その時に、俺は昆布出汁を使った料理が好きなんだって言って、それがきっかけで、俺は柊二さん個人の料理人になって、一緒に暮らしていました。柊二さんの昆布出汁好きの原点がここにあったんですね」 「アイツがそんなことを言ってたのか?」 「はい。昆布出汁の味噌汁や清汁は毎日作ってました」  奥さんは優しい顔をしていた。子供の頃の柊二さんとお姉さんのことを思い出しているのかもしれない。 「で、お前自身は今も柊二のところにいるのか?」  どうして、そんなことを訊くんだろう。どこまで話せばいいのか…いい加減なことも言えないしな。 「実は、柊二さんの会社が…その…トラブルに巻き込まれて、柊二さんの行方がわからないんです。なので俺は料理人クビになったも同然で…柊二さんの家を出ました。で、柊二さんから聞いていたこちらに一度お参りしたくて、来させていただいた次第です」 「行方不明か…ったくアイツらしいというか」  住職は、深い溜息を吐いた。 「じゃあ、お前も今は定住先はないんだな」 「はい…」 「そうか。寺に来るのにあんな鞄を引っ張ってくる奴はそうそうおらんからな」  住職はお見通しってわけだ。 「もし…もしもだ。お前さえ良ければ店をやらないか」 「…えっ…お店ですか?」  俺は、突然話が舞い込んでくる星の下に生まれついたようだ。レブロンでの見習いから始まり、柊二さんの料理人、そして今、住職からの打診だ。 「わしの親戚でな、この近くで小さな食堂をしていたんだが、数ヶ月前に店をたたんでしまって、今は空き店舗になってるんだ。長年やってきて体も無理がきかなくなったって言ってな…この辺りじゃあ、夫婦がやってる定食屋とその店くらいしかなくてな」  昨日、親子丼を食べた店か。 「檀家や婦人会の会長やらこの地域の住民から、早く店を始めてくれってせっつかれてな」 「ご住職がせっつかれるんですか?」 「ああ、店が寺の所有の物件だからな。とはいえ、わしは法話はできても、料理なんてからっきしだし、うちのやつも客商売なんて天地がひっくり返っても無理だ。知り合いの中でもやってくれそうな奴もおらんし、ほとほと困ってるんだ」  住職にも困りごとがあるのか。 「少し、考えさせていただけますか」 「ああ、勿論だ。けんもほろろに断られると思ったが、考えてくれるんだな。返事は急がない。じっくり考えていい返事を頼む」  藤澤さんに連絡をして、それ次第だ。  俺は住職と奥さんに、おぼろ昆布のうどんのお礼を言って、姫信寺を後にした。  この町で暮らすのも悪くはないと思うが、一度整理して考えよう。もし、柊二さんがここにいたら、何て言うだろう。    柊二さん、会いたいよ…。  俺はキャリーケースを引っ張って、今晩の宿泊先に向かった。

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