48 / 55
再会〈5〉
「おおい。誰かいないか」
店の扉が開いて、声が聞こえた。
「えっ…野崎先生だ。もう来てくれたのか?誰が連絡を…」
新倉さんがその声に驚いて立ち上がった。
「野崎先生。ありがとうございます」
「おお、新倉。柊二は無事か?」
「はい。今、眠っています」
「しかし、無茶しやがって。ホスピスに紹介した俺の立場も少しは考えろ。院長からお叱りの電話がかかってきた」
「本当、申し訳ないです」
店での野崎先生と新倉さんのやり取りが、居室に聞こえてきた。野崎先生は暖簾を捲るとすぐに声をかけた。
「おう、研一か。なんか以前より男らしくなったか?」
いきなりそれか。俺は笑った。
「野崎先生、ご無沙汰しています。来てくださってありがとうございます。たまに畑仕事もしてますし、以前のモヤシに比べたら少しは逞しくなったでしょう」
先生は上着を脱ぎながら、布団で寝ている柊二さんを見た。
「先生、こんなに早く来てくださるなんて、本当にありがとうございます」
エリ子さんは先生の上着を受け取ると、俺に、ハンガーを、と目配せした。
「ああ、お前たちに電話をかけたあの後にカンジが診療所に来てな…まだ患者もいるのに待合室で土下座して、早く柊二さんの所に行って診て下さい、ってな」
「アイツ…そんなことを」
新倉さんは少し驚いた顔をして、そして何度か頷いた。
「カンジ君、やるわね」
「診察が終わるまで少し待たせて、カンジの車でそこまで送ってもらった」
「えっ…先生。カンジ君は?」
「俺は邪魔しちゃ悪いから、これで帰ります、って帰っていったぞ」
「アイツも少しは成長したな」
「少しどころじゃないわよ。後でいっぱい褒めてあげてね」
新倉さんは、そうだな、と笑顔で言った。その目は少し潤んでいるように見えた。
先生は、柊二さんの傍に腰を下ろすと、首筋や手首を触診した。そして鞄から聴診器を出すと、胸の音を聞いた。
「柊二はもう長くはない…と言いうよりいつ逝ってもおかしくない状態だ」
そう言って、新倉さんやエリ子さん、そして特に俺の顔をじっと見た。
「研一。柊二を看取る覚悟はあるか」
「はい。あります」
「そうか…なら、いよいよという時に人はどうなるか話しておこう」
俺は居住いを正した。
「先生!…ようやく柊二さんは研一と会えたんです。もう少しの間だけでもなんとかなりませんか。栄養のある注射とか点滴とか…」
先生は、静かに頷いた。
「新倉…できるなら俺もそうしてやりたいが、点滴をしたところで柊二にはもう栄養を摂り込む力は残ってないんだ。だから点滴の水分を入れると心臓に無駄な負担をかけてしまう。それは柊二にとって辛いことなんだよ」
「…そんな…」
「もう、何もしてやれることはないんだ。寄り添ってやるのが一番なんだよ」
先生は柊二さんの顔を見ながら言った。ああ、でも、と今度は俺の顔を見た。
「口を湿らす程度の水分を与えるのは大丈夫だ。食べ物は絶対ダメだぞ。誤嚥してしまうからな。ガーゼか何かで唇を湿らせてやれ。それとディープキスはするなよ」
先生はニヤッとして、人差し指を立てて俺に向けた。
「もう!先生ったら」
エリ子さんは、隣の新倉さんの背中を叩いた。
それから先生は俺に臨終前の呼吸の様子などを伝えた。
「じゃあ、俺はこれで失礼する。研一、もし不安になったら連絡してこい。時間は気にせずいつでもいいからな」
「はい。ありがとうございます」
先生は上着をハンガーから外した。
「それじゃあ、俺たちももう出るんで、先生、駅まで送ります」
「お前たちはまだ…」
「二人っきりにさせてあげたいんですよ、先生」
「そういうことなら、頼むとしよう」
エリ子さんは俺を見てウインクをした。柊二さんとの残された時間にお邪魔はしませんよ、と言ってくれてるようだ。
「研一。俺たちは今晩、隣街で泊まるから…いつでも連絡してくれ」
「わかりました。本当にありがとうございました」
俺は店の外で三人を見送ると、店の戸に、『本日臨時休業』と書いた紙を貼った。昼営業は暖簾を出さずに支度中の札を掛けていたせいで、誰も来なかったのは助かった。俺は内鍵を閉めて、居室に戻った。
ここに柊二さんが来てくれたなんて俺はまだ信じられなかった。バツイチの柊二さんか…。柊二さんと俺を会わせようとしたみんなの優しい思いがここにある。目を覚ましたら、お帰りなさい、って言うのが一番かな。
俺は柊二さんの手を握っていた。ビジホで最後に切り火キスをしてよかったと思った。こうして帰って来てくれたんだから。でも次の切り火キスはもう…。
その時、柊二さんは目を覚ました。
「柊二さん…お帰りなさい」
柊二さんは目だけを動かして周りを見ている。
「柊二さん、ここは俺の店ですよ。『小料理屋須貝』です」
「ああ…新倉に写真を見せてもらった…頑張ったな」
「柊二さんが、俺のために用意してくれたものを使わせてもらいました」
「そうか…」
「柊二さん。この店、姫信寺の住職の従兄弟がしていたお店なんですよ。居抜きで貸してもらってます」
「ああ…あの店なのか」
柊二さんは、その当時のことを思い出したのか、少し声に張りが戻った。
「研一。会えてよかった。本当に会いたかった。顔をよく見せてくれて」
柊二さんは手を上げて俺の頬に触れた。俺はその手掴んで自分の頬に押し当てた。
「柊二さん!…柊二さん…柊二さん」
感情が先走って言葉が出なかった。俺は柊二さんの顔の上に涙を溢していた。
ともだちにシェアしよう!

