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別離〈2〉

 店の戸が静かに開いた。夜明け前の冷たい空気が入ってきた。 「研一。柊二さんは逝ったんだな」 「はい…看取らせていただきました」 「柊二さんも本望よね」  新倉さんとエリ子さんは、柊二さんを見て驚いている。 「研一。柊二さんはやっぱりイケてる男だな。カッコ良すぎるじゃないか」 「本当ね…研ちゃんに支度をしてもらって、柊二さんも幸せね」 「このスーツ…あの時のだろ?…お前、大切に持ってたんだな」  俺はしっかり頷いた。  やっぱり新倉さんだ。ちゃんと覚えてくれていた。 「本当は野崎先生に診断してもらってからでないと支度とかはしちゃいけないんですけど…無理を聞いてもらいました」 「さっき、先生から連絡があったよ。先生がここに来てから葬儀屋に連絡するから心配すんな」 「はい…」  新倉さんは、柊二さんの傍に座って柊二さんの顔を見た。 「なぁ、エリ子…柊二さん幸せそうな顔してるよな。俺たちのしたこと、間違ってないよな。柊二さんの命を縮めたわけじゃないよな」 「もう、何言ってんのよ…」  エリ子さんは、新倉さんを抱きしめた。  新倉さんは声を立てずに泣いた。エリ子さんも、バカね、と言って泣いた。  俺は台所で湯を沸かして、棒茶を淹れた。そして、唐子人形が付いた湯呑みに入れて、柊二さんの枕元に置いた。 「柊二さんの日課だったんだよな…そのお茶」 「はい。まだこの部屋のどこかにいるような気がして…新倉さんもエリ子さんも、どうぞ」  俺たちは、しばらく無言で棒茶を啜った。 「なぁ、研一。これからのことなんだが…俺は寝台車で柊二さんをイーストに運ぶつもりだった。イーストで葬儀屋に支度と棺桶に入れるのをしてもらおうと思ってた。お前がここまできちんと支度をしてくれるなんて思ってなかった。だからな、ここで柊二さんを棺桶に入れて…」 「もう、棺に納めるのを納棺っていうのよ」 「ああ…だからその納棺はここですればいいんじゃないかって…思ってる」 「そうですね。俺もここから柊二さんを送り出したいです…実は昨夜、柊二さんから体を拭いてほしいと言われて、柊二さんもわかっていたのかもしれません。体を拭いて、手足の爪も切りました」  新倉さんは、そうか、と頷いた。   「じゃあ、先生に来てもらって、書類を受け取って、葬儀屋に棺桶を持ってきてもらって、ここで入ってもらう。で、山東会が使ってる葬祭場に行く…これでいいな」 「はい。それでお願いします」  新倉さんは、店に行って各所に連絡をし始めた。 「研ちゃん、昨夜から寝てないでしょ?私たちがいるから、しばらく横になったら」 「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。柊二さんの姿を最後までこの目で見ていたいです」  空が白み始めた頃、野崎先生はタクシーで来てくれた。柊二さんを見ると、いい顔してるじゃないか、と言って形式的に触診をした。新倉さんに書類を渡すとまたすぐに帰って行った。  それから葬儀会社の人がやってきて、棺や祭壇をどれにするか新倉さんと話していた。  人が亡くなるって、こんなに周りの人を動かすんだ。俺はこの状況を俯瞰してしまう。  棺が届くのを待っている間、新倉さんとエリ子さんに朝ごはんを食べてもらった。柊二さんにも昆布だしのお味噌汁とおにぎりを用意した。それから一時間後に柊二さんの棺が届いた。  いよいよお別れだ。柊二さんの肉体がこの世から無くなってしまうんだ。抱きしめてくれたその腕や逞しい胸、何度もキスをしたその唇も、もう全て無くなる。そして、灰だけになる。  葬儀会社の人が、棺に入れる故人の縁の物はありませんかと訊いた。そうだ…靴も預かっていたんだった。  俺は紙袋に靴を入れて渡した。そして最後に柊二さんの頬に二回キスをした。本当は唇にしたかったけど、送り出す時は頬に二回するって、柊二さんと決めたからな。  新倉さんはエリ子さんに、お前はもうしばらくここに居てやれ、と言って寝台車に同乗した。  棺を乗せた寝台車は静かに『須貝』を発った。   「研ちゃん…柊二さんと出逢えてよかったわね」 「はい。一緒に過ごした時間は俺の宝物です」 「うん。いいわね宝物。私も新倉にそんな風に言ってもらえるかしら」 「どうでしょう…」 「えっ…言ってくれないかな」 「たぶん、エリ子さんが言うことになると思いますよ」 「…そうね。新倉はヤクザだもんね」  その後で、エリ子さんと一緒にお昼ごはんを食べた。こうしているとさっき送り出したのに、まだどこかで柊二さんがいるような気がする。イーストとか、エリーゼとか、藤澤さんの農場とか、それに刑務所とか?…なんてね。そしていつの日か、柊二さんは俺の心の中にいるって思えるようになるんだろうな。 「エリ子さん。俺、大丈夫ですよ」 「自分で大丈夫っていう方が危ういのよ」 「本当に大丈夫です。今日中に姫信寺に行って住職に柊二さんのことも伝えようと思ってます。あのクソ馬鹿野郎が死んだのか、って言われたら、淋しさも吹っ飛びますよ」    エリ子さんは、おっかない、と言って笑った。 「じゃあ、研ちゃん、本当に大丈夫ね」 「はい。ありがとうございました」  エリ子さんは、何度も振り返りながら車を停めているパーキングに歩いていった。    さぁ、姫信寺へ行くか。    姫信寺の山門をくぐると、住職は鐘楼の近くにいた。 「おお、研一。お前、昨日も今日も店を休んでどうしたんだ?どこか具合でも悪いのか?」  まぁ、今の俺は具合が悪そうに見えるかもな。   「いえ…あのう、柊二さんが昨夜亡くなりました…店はそれで…」  住職は俺をギロっと睨むと奥歯を噛み締めて拳を握った。 「あの、クソ馬鹿野郎がっ。一度もお参りに来ないまま、何を一人で先に死んでやがるっ!」  俺は、病死でした、と伝えた。 「で、今はどこにいるんだ?」 「はい。生前にお世話になった方々が手配をされて、葬祭場に」 「遺骨はどうする」 「そうですね…諸般の事情もありまして、まだはっきりとは」  住職は、はぁ、と溜息を吐くと、少し表情が戻った。 「まぁいい…もし遺骨が届いたら連絡をくれ」 「はい、わかりました。宜しくお願いします」  俺は一礼して寺を出ようとした時、住職が声をかけた。 「研一。この世において人間は必ず死ぬんだ。だが、あんなクソ馬鹿野郎でも、お前の心の中で今も生きておるだろう?わしのここにもいやがるんだから」  住職はそう言って自分の胸を叩いた。  さっき俺が思ったことを言われた。   「いいか柊二はいつもお前を見ているからな」  住職の口の悪さに呆れることは多々あるが、今は俺の心に沁みた。まだ涙は枯れることを知らないみたいだ。  俺はもう一度を頭を下げ、寺を後にした。

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