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『ほんとごめんねぇ、マヨちゃん』  机の上にぽつんと置かれたスマホから、ヨレヨレとした音程の声が零れた。  とってつけたような「申し訳なさ」から、本当は微塵も悪く思っていないんだろうなぁ、と予想がつく。 『一応さらっと説明したんだけどさーうちは基本女性向けなんでって。でもほら、この前サイトニューリアルでさ、りっちゃんが提案して――そうそう、ほら、書いちゃったんだよねぇ。男性のご利用も歓迎しますって。あ、勿論エッチな事は駄目だけど!』 「はぁ……あの、僕は、男性はちょっと……無理、というか、駄目という方向で申告した、と思うんですが……」 『うんうん! そうね、そうなんだけどさー! その人ねぇ、どうしてもって引かないわけよー』  畳の上で正座をした宵央は、姿勢正しく膝の上に手を添えながら、ため息を吐き出さないように気を引き締めた。  相手には自分の姿勢など見えていないと知っていても、どうしてもかしこまってしまう。これは宵央の性格であり、自分でももう少しどうにかならないものかな……と悩んでいる性質でもある。  通話は苦手だ。  電話が苦手、というよりも、人と関わること全てが宵央にとっては億劫だ。それでも生きていくには仕事をしていかねばならず、数多くの他人を避けて通るわけにはいかない。  体質的に難があり、まともな職種につけたためしがない。  今の仕事はまともではない――と言ってしまうとオーナーである夕子の機嫌を大いに損ねるだろう。  しかし、派遣型女性専門添い寝リフレは、やはり一般的な成人男性が就くものではない。性的行為は全面禁止とはいえ、売り出し文句だけを羅列してみれば、簡易的なレンタルホストのようなものだ。  ――あなたの隣で最高の夢をご提供します。  そんなキャッチコピーを掲げる《ユメトモ・獏獏-BAKUBAKU-》は、宵央が唯一長く続けている、救世主のような職場だった。  基本のコース内容は添い寝だ。  キャストは顧客の自宅、またはホテルに赴き、リラクゼーションと会話を提供する。  メインは『添い寝』と銘打っているものの、手料理やマッサージを要求したり、ひたすら愚痴を聞いてほしいと要求したりと、時間の過ごし方は様々だ。  面接の際に宵央を一目見た夕子は、すぐに姉妹グループの女性向け風俗店をおすすめしたが、宵央は慌てて断った。性行為は禁止、という文言が、宵央を面接に赴かせた大きな要因だったからだ。  料理OK、マッサージOK、ハグOK。キスと男性客はNG。  これが宵央――キャスト名『マヨ』の、ホームページに載せている情報だ。 『でもね、事務所の方に来てくれたからね、会ってみたんだけどさ、これがなかなかのイケメンなわけ! 思わずあたし、うちで働かない!? ってスカウトしちゃいそうなくらいでさぁ!』 「はぁ、その、ええと、」 『ちゃんと身分証も確認したし、見た感じ悪いヒトじゃないと思うの。百戦錬磨のあたしが言うわけよ? ぜっったいだいじょうぶ! ねえ、マヨちゃん、ちょっと挑戦してみようよ?』 「挑戦、ですか……?」 『マヨちゃんさーリピ率が低いじゃない? 勿論マヨちゃんが良い子だってのは、わかる人にはわかるんだけど……』  正座のまま、思わず背筋を正してしまう。  どくりと心臓が跳ね上がる。思わず息まで止めそうになった後、いや夕子は別に自分を叱っているわけではない――と思い直し、意識的に息を吐いた。  リピーターが少ないのは事実だし、それは宵央があまり積極的に会話を楽しむタイプではないことが原因だと、自分でもわかっている。夕子は事実を確認しているだけだ。  すぐにびくびくと肩を竦ませてしまう。宵央の悪い癖だ。 『このまえの面談でさぁ、言ってたじゃないの。もうちょっとお給料あったらありがたいと思いますって。でもただ待ってるだけじゃお仕事は増えないじゃない? マヨちゃんが引っ込み思案タイプなのはわかってるし、うちもそれでいいと思ってる。じゃあどうやってお客様増やそうかってなったらさぁ、間口広げてみるのも一つの手でしょ! マヨちゃんは身長あるけど物腰柔らかいし、お顔もぴかぴかだし!』 「ぴかぴか……」 『男性客ってね、案外中世的なイケメン求めて来んのよ、不思議なことに。きれいで優しくて可愛い子にちやほやされてきゃっきゃしたいんじゃない? 知らんけど。その点マヨちゃんは完璧! どう、この辺で男NG解禁してさ、もっと稼げるマヨちゃんになってみようよ? うちはそもそもエッチ行為駄目絶対、なんだし、ヤバそうな客は勿論あたしが出禁にすっからさ! これは新しい一歩。なんでもかんでも挑戦しないうちに駄目です嫌ですって言ってたら、なんもできなくなっちゃうよー?』  言っていることの大半はまともだ。  しかし事後承諾で男性客を宛がうオーナーの懇願として、夕子の態度は正解なのか、宵央には判断しかねる。  男は苦手だ。  女性も別に好きではないが、男性客は殊更困る。  性差別をするつもりはない。ただ宵央の恋愛対象はおそらく男性だったので、万が一にも仕事中に間違いがないようにしたいと思っただけだ。  どんなに薄着の女性に誘われても、微塵もその気にならない自信はある。けれど男性が相手となると、話は別だ。  自分の性欲が強いのかどうか、そんなことすらわからない。  宵央は二十三年間恋人などいたこともなく、性行為の経験もない。ぴかぴかの童貞だ。  故に、己の我慢できる限界も、己の嗜好も何もかもがわからず怖い。いっそ男性には近づきたくない。 「あの、確かに僕はもう少しお給料があれば、と、ご相談しましたけど……やっぱり男性は、ちょっと、無理――」 『ほんっとーーーーにヤバかったらそん時はこっちからキャンセルぶっかましていいからさ! ていうかそれでいいってお客さんも言ってきたから、問題なし! 一回試してみなさいって、ね? 駄目でも怒んないから、当たり前だけど!』 「でも、夕子さん――あっ」  じゃあよろしく! と軽やかに言い捨てて、やかましい彼女の声を届けていた機械は沈黙してしまう。勝手に通話を切られてしまった。  しん、と静けさが戻る部屋の中央で、正座を崩さないまま宵央は息を吐く。  誰と会話していても、いい加減慣れたと思っている夕子が相手でも、どうしても胸の奥が重くなるような感覚がある。  人間は苦手だ。人間は怖い。  それでも宵央は人と関わり、働かなくてはいけない。彼には庇護してくれる家族などおらず、頼れる友人や知人もいないからだ。  ゆっくりと息を吐く。肺の中にたまった重い息を吐き切ると、大きく息を吸って肩の力を抜いた。  夕子は少々利己的な所があるが、彼女の主張も間違っているわけではない。  何事も挑戦してみないと、結局何も成せないままだ。  気持ちを入れ替えるように意識して、よし、と小さく呟く。勢いつけて立ち上がった宵央は、暗くなったスマホを手に取り夕子のLINEを表示した。  そこには《獏獏》から入った仕事の詳細が並ぶ。  お客様名:チリ(ニックネーム)  年齢:二十七歳  性別:男  コース:D(八時間)  利用目的:気になるラブホの偵察がしたいので同行してほしい 「……ラブホの偵察……?」  なんだそれ、と思ったものの、宵央にはよくわからない理由で不思議なリクエストをする客もいる。ただ猫をかわいがる姿が見たいだとか、積んでいるゲームをクリアしてほしいだとか。チリという彼もきっと、宵央には理解できない行動原理の人間なのだろう。  ラブホに行くなら、女性を呼べばいいのに。  その方がスムーズに入店できる筈だ。  ほとんどのラブホテルは男性同士での入店を嫌がる傾向にある。男性同士のセックスは汚れるからという理由らしい。これは数少ない同僚との会話で得た無駄な情報だ。  彼の目的はどうあれ、受けると決めたならばきちんとこなしたい。  宵央は気弱で軟弱な自覚はあるが、せめて真面目でありたいと思う。なにより、リアルに今月の生活費がカツカツだ。 「……仕事、増やさないと駄目かな……」  面接や求人のチェックを思うだけで胃が痛くなるが、とりあえずは目の前の仕事である。  変な人じゃありませんように。  あと、僕の好みでもありませんように。  二つ目の願いについては実のところあまり心配していなかったのだが――まさか、この後者の『お願い』の方が見事に外れてしまうとは、本当に心の底から思ってもみなかった。  午後十時、待ち合わせのコーヒーショップ前で手持ち無沙汰に佇んでいたその人は、どう解釈しても『変人』で、そしてまさに一目で宵央を釘付けにしたのだから。

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