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【1】-03
彼は驚く程雑踏の中に馴染んでいた。
チリと名乗った男性は、とても四つ上には見えない軽やかさでへらりと笑った。
「いやー、オーナーさんに一応写真全部見せてもらったんだけど、マヨさんて実物の方が五倍くらいイケメンなんすねー。すげえ。まつ毛なげえ。もしかしてマッチ乗っちゃいます?」
「マッチ、は、試したことないのでわからないです……あの、楽な喋り方で大丈夫ですよ」
「あ、そう? 馴れ馴れしくない? だいじょうぶ? おれほら結構顔がきつめだからさぁ、タメ語だとちょっとヤンキーっぽくて怖いっしょ」
「いえ、そんなことは――」
ない。
確かに明るくウェーブがついた髪は目立つし、両耳に山ほど開いたピアスも一瞬ぎょっとしたが、どちらも彼の雰囲気にさらりと似合っていて違和感などない。
三白眼気味の釣り目も、瞳自体が大きいせいで気にならない。
もう少し身長が高ければチンピラめいた印象をうけるかもしれないが、彼は長身の宵央よりも十センチ程度低いように見えた。
まじまじと観察してしまったせいで、うっかり会話を忘れてしまう。
自分は今仕事中で、彼は客だ、という事を定期的に忘れ、その度に慌てて己を叱咤する。とはいえ、今回の仕事は宵央にとって本当にすべてが想定外だった。
無理やり押し付けれたソフレの男性客に、一瞬で目を奪われた。
今までこんなことはなかった。どうして、何故と考えたところで、人生経験があまりにもなさすぎる宵央には理由などわかるわけもない。
ただ、非常に不味い状態であることだけは確かだ。
――コースは何だった? Dコースだった?
――つまり朝までこの人と一緒に過ごさなければならないってこと?
來摩宵央は恋愛初心者で童貞で、今までもこれからも恋愛なんてものとは距離を置いた人生になるはずだった。どう考えたって、上手くいく筈がない。それは不器用すぎる己の性格と、如何ともしがたい体質のせいだ。
「いやー、最近のラブホって結構ファッショナブルって話だったんだけど……ここはなんつーか、古き良きって感じね」
待ち合わせ場所から歩いて五分。
軽く雑談をしながら(その間宵央はひたすら彼の顔面を眺めつつ絶望しながら)辿り着いた目的地は、少し寂れた駅裏のホテル街だ。
ラブホテルでだらだら遊びたい、という客もたまにいるため、さすがに初めて入るわけではない。ただ普段呼び出される池袋近辺のホテルはどこもセンスが良くお洒落で、性行為を行う場所だと思えない程だった。
緊張していた受付も、問題なくあっさりと通過できた。
部屋を選ぶパネルもなく、顔の見えない受付窓口からさっと鍵だけ渡される。当たり前のようにさらりと鍵を受け取ったチリは、ゲームセンターを歩くかのように堂々と宵央をエスコートした。
なるべく顔を下げたまま廊下を歩く。
この時だけは、宵央はチリの顔面から視線を外した。
「……わぁ」
部屋に入って一言、まずはチリが軽い声を上げた。抑えた好奇心の中に失笑が混じるような、軽薄な感嘆だ。
室内の様子は、寂れた外見から推して知るべし、という感じだ。ネタになる程汚れているわけではない。きれいな所ですねとコメント出来る程目立った特徴もない。
部屋のど真ん中には大きなベッド、枕元にはこれ見よがしにティッシュボックスとローションとコンドームの袋が置いてある。机の上にはアダルトチャンネルの番組表が乱雑に投げ出され、壁際のテレビの横にはアダルトグッズが入った透明な箱があった。
「うーん、なんつーか……昭和ー! って笑るわけでもねえし、令和ー! って感動する何かもねえなぁって感じねぇ。平成スタンダードラブホ? って感じ?」
「ええと、あー……僕はあまり、こういうところに来ないので……っ」
「あ、そっかぁ、マヨさんとこってエッチ禁止だっけね。なんか、女向けってそういうのあっていいよなー。結構調べたんだけど、男向けってとにかく抜きアリ! って感じでレンタルおねえさん(エロナシ)みたいなのぜんっぜんねえのよ。ご飯食べておしゃべりしましょ☆ ってプランがあってもいいと思うけどねぇおれはー」
「チリさんは、ご飯たべておしゃべりしたくて、僕を指名してくださったんですか……?」
「うん? うーん……ま、そうね、ご飯とおしゃべりで間違ってはねえかな?」
ふふふ、と目を細めて笑う。
その顔を直視して、宵央は少し不思議な気分になった。
チリは思いのほかよく喋る。よく笑う。表情は比較的くるくると変わり目まぐるしいのに、声のトーンはあまり上下しない。なんとなく上ずったまま固定したような、ずっとへらへらと軽薄に笑っているような、そんなトーンだ。
堅そうなベッドに「よいしょ!」と勢いよく腰かけたチリは、ぽんぽんと隣を叩いて宵央を誘う。
あまり気乗りしないが、客の要望ならば無視するわけにはいかない。
NG行為でなければ顧客の要望に従い、その欲求を満たす。それがオーナーである夕子から日々刷り込まれるように言いつけられているモットーだ。
「お隣失礼します」
丁寧に一礼してから、いそいそとチリの隣に腰かける。
やっと比較的スマートに仕事をこなせるようになったというのに、今日の宵央は新人レベルでポンコツだ。跳ね上がる心臓の音が気になって、次に何をするべきか思い出せない。
Dコース用のタイマーはまだ作動していない。部屋に落ち着いた後、キャストに何を求めているのか、何をしてほしいのか、何をされたら嫌かなど、軽い聞き取りと相談の時間がある。
――カウンセリングシート!
やっとその存在を思い出した宵央は、慌てて店から支給されているタブレットを取り出した。
「ええと……改めまして、この度は獏獏をご利用いただきありがとうございます。ユメトモキャストのマヨです。ご利用の前に、ちょっとご説明させてもらいますね」
「うん。はいどうぞ」
「ありがとうございます。えーと……まずはコースの確認です。本日チリ様がご利用のコースは八時間コースです。カウンセリングが終わり次第、タイマーをセットさせていただきます。いま十時半なので……だいたい十一時から朝の七時まで、くらいのつもりで大丈夫だと思います。五分過ぎたから延長料金、とか、そういう厳しい感じじゃないので、目安くらいに思っていただけたらと思います」
「へぇ。結構ゆるい感じなのねぇ。ま、なかなかブルジョワ向けの料金表だったもんなァ」
「……大切なお金でご利用いただいていますので、お客様が満足いただけるように誠心誠意尽力いたします」
「それ、『金高いんですけどぉ~』って言われた時のテンプレ?」
「えっ、あ、いえ――」
「ああ、別に責めてねえから。なんかマヨさん、ずっとちゃんと自然体だったのに今だけ棒読みだったからさぁー」
「……す、すいません……」
「責めてねーってば。やっぱそういう文句言う客もいんだなぁって思っただけだってば。なに、マヨさんメンタル豆腐なの? そんなバチバチのイケメンツラしてんのに?」
「顔と、性格は、その……別に関係ないのでは……」
「あるでしょうよー。そんだけ身長あってスタイルよくて顔も良いならガキんときから一軍っしょ? 周りからちやほやされりゃ、おのずと性格も図太くなるもんよ」
「子供の頃、は――背が、低かった、ので」
「ふぅん? そう? でも今はちゃんとモテんでしょ。客と良い感じになったりしねえの?」
「しませんよ……仕事中は恋人役をやったりもしますけど、お店は個人間の連絡交換を禁止していますから」
「へー……じゃあおれが口説いてもだめ?」
「は――」
何を言っているのか。
とっさに言葉が出てこないまま固まった宵央の手の上に、チリの骨ばった手が重なった。
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