5 / 7
【1】-05
チリは笑う。
やれやれと、なんでもない雑談をしているかのように。
組み敷いた宵央の全身に走る緊張など、まるで気がつかない様子で。
「マヨさん誤魔化すのへったくそなんだものー。ちょっと笑いそうになっちゃったよ。確かに入口横にえげつねえ奴居たけどさ、あんなぶるぶる震えて下ばっか見てたら、おれが騙してレイプするみたいじゃん、やめてよね? いやたしかにね? えげつねーもんいるなぁわはは、とは思ったけどね?」
「……み……視えてたんですか……?」
「視えてましたとも。だっておれ霊感バチバチ野郎だもん」
ドヤ顔で目を細める、チリは一層楽しそうだ。カツカツと、廊下を歩く音は七往復目に入ったというのに。
チリが指摘した通り、ホテルの入り口で不気味なものを見た。思わず不自然に視線を下げてしまったが、とても直視していられなかった。
白くて、ぶよぶよとした肉塊のように見えた。最初はゴミ袋かと思った。うっかり目を凝らしてしまい、それが人間のようなものの寄せ集めだと気が付いてすぐに顔を下げた。
アレは、靴を履いていたいただろうか?
ヒールを履いていただろうか?
すぐに目を逸らしてしまったので、思い出せない。
「ね、帰んない方がいいっしょ? 今出てったら廊下のアレと見事ご対面しちゃうじゃない。おれとここでイチャイチャしてた方が安全でしょ?」
「……とても安全とは、思えないんですが……」
「お、野生の勘? マヨさん鈍くさそうなのにちょっと勘がいいのは霊感のせいなのかね。だーいじょうぶだってぇー別にレイプしようとか思ってねーし。つか男とのやり方知らんし。知らんしどうせならケツの穴の具合ってやつ体感してみたいから、ヤるよかヤられたい」
「チリ、さんは……デリカシーないって言われませんか……」
「うふふ、言われる」
「何が……」
「うん?」
「――何が、目的なんですか」
宵央にしてははっきりとした問いかけだった。
怖い。チリが怖い。廊下の音が怖い。これだから人間は嫌いだし、夜は嫌だ。本当は今すぐにでも逃げ出してしまいたい。
それなのに相変わらず宵央は目の前の男の顔から目が離せないし、この出会いをなかった事にする勇気がない。
逃げることができないのならば、少しでも、向き合う他ない。
來摩宵央は夜が怖く、真夜中が怖く、そして人間が怖く、まともな職につけたためしがない。
それは宵央に所謂『霊感』というものがあったからだ。
生まれて初めて、同じものを視る人間に出会った。学生時代には自称霊感持ちの同級生などもいたが、同じものが視ている人間は一人もいなかった。
チリには、アレが視えていたと言う。本当かどうかは宵央には判断はつかない。しかし、現に今、不気味な音を同時に聞いている。
ラブホの偵察がしたい――チリが獏獏に提示した内容は勿論嘘だろう。では、一体何が目的なのか?
悪寒と鳥肌とわけのわからない興奮が相まって吐きそうだ。それでもなんとか視線を上げてチリと目線を合わせるように必死になっていたというのに、当のチリは目をぱちぱちと瞬かせて首を傾げる。
「……え。おれ説明しなかったっけ?」
悪びれもしない、その態度が冗談や揶揄いだった方がマシだと思う。目の前の男は、人を脅迫し拘束しておいて、その理由を話したかどうかも覚えていない。
「…………聞いてません。あなたはただ、ここを出るな、と僕を脅迫しただけで、何も説明していません」
「……あ、ほんとだ。ふふ、そりゃマヨさんもご立腹になるわな。おれが悪いね? でもさぁーいきなり『ちょっといい? 実はおれ霊感あるんだけどー』とか言っても普通のヒトは逃げちゃうでしょ」
「初対面の人間に馬乗りになって初手脅迫よりは、マシじゃないかと思いますけど……」
「思ってたより言うじゃん? いいね、うん、マヨさんて怖いと口数増える人かな? 指先震えてんのにね、虚勢張ってんのいいね、正しく人間って感じだ」
「チリさん、あなたは、何者なんですか」
「――何者でもねえよ? ただの霊感持ちのニート。ちょっと怪談集めが趣味で、ライフワークで肝試しと除霊を兼ねてるだけのくそやろうだよ」
「除霊……えっ、霊能者なんですか!?」
「いや違う」
「えええ……?」
チリの言葉は確かにきちんとした日本語なのに、何故かひとつも理解できず、宵央と会話がかみ合わない。
恐怖は変わらず、興奮は漸く落ち着き始め、代わりにじわじわと困惑が広がる。
「おれは霊能者じゃねーし、幽霊視えるけど別にお祓いとか除霊が出来るわけじゃねーよ。ただ、まあ、結果的に幽霊的なもんをちょっと消すことはできる。つってもこれは、おれが肝試しスポットご常連の理由じゃない」
「幽霊を、退治しに来たわけじゃない、ってことですか?」
「そう。俺は霊能者じゃないし、除霊屋でもねーからね。ま、たまに他人に恩売って小銭稼ぐこともあるけども、言ってみりゃもののついでだ」
「じゃあ……チリさんは、なんで、このホテルに、来たんですか」
「ゆーれいがでるってきいたから」
「……怖いのが、好きなんですか?」
「んー。半分正解、かな? 怖がるのはおれじゃない。誰かが怖い思いをするのが、大好物なんだよね」
「そ――」
それは一体、どういうことだ。
更に問いかけようとした宵央の声は、言葉にならずに喉を震わせる前に消える。唇に、チリの人差し指が当たっていた。
「しー」
悪戯好きな少女のように、目を細めて笑う。
「……聞こえる?」
ぐう、と顔を近づけたチリは、宵央の耳のすぐ横で声を潜めて囁いた。その瞬間――。
がちゃり。
部屋のドアノブが回される音がした。
ともだちにシェアしよう!

