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【1】-07

「ほんとうに……申し訳ありません……」  堅いベッドの上で、來摩宵央は正座を崩さず両手で顔を覆っていた。  バスローブ姿の男は頭を雑にタオルドライしながら、「は?」と大きく口を開ける。 「……え、なんでマヨさんが謝ってんの? ――あっ、朝までぐっちゃぐちゃにえっちなことした件について?」 「ひっ……! う、あーーーー」 「いや謝んなくていいでしょ……一応こちとら成人男性二十七年目よ、嫌なら全力で抵抗するしむしろ誘ったのおれだし、あと尻につっこんだわけでもあるまいし……まあ尻に突っ込む以外の事は大概やったのでは? って感じだけど」 「う、うあー……」  昨晩、宵央は心霊現象に襲われた。  おそらく首謀者は目の前の男で、あの恐ろしい体験は彼の予測の内だったに違いない。宵央は巻き込まれた被害者だ。  怖くて怖くて本当にどうにかなりそうだった。説明もせずにへらへら笑うチリは、怖いならキスをしようと宵央をけしかけた。  こんなところで何を馬鹿な、とはねつける余裕はなかった。なんでもいい、誰かに縋って現実逃避がしたかった。  そしてそのまま、宵央の理性は綺麗さっぱり吹き飛び、恐怖から必死に逃れたくて目の前の男の肌に徐々に自身を擦り付けた。そこからはなし崩しだ。  恐怖がいつのまにか興奮に支配され、気が付いた時には部屋に漂っていた悪臭も肌寒さも、綺麗さっぱりなくなっていた。 「つかマヨさん童貞っしょ? ムッツリスケベなの? なんか色々すごかったし上手かったけど」  ベッドに正座する宵央の目の前に腰かけたチリが、さらりとした口調でとんでもない事を言う。  この人は本当に、驚く程感情が渇いている。宵央はまるで、自分の情緒の方がおかしいような気がしてくる。 「む、むっつり、というか、耳年増的というか、興味だけはそのー……」 「まあ、今はネットでわんさか知識入ってきますわね。そら色々想像してもんもんとしちゃいますわな。おれなんかで大事な初回経験潰して良かったのか知らんけど」 「よ、良かっ……ええと、違……その、……僕は、嬉しかった、です……」 「………………」 「……あの、チリさん……? やっぱり、実は怒って……」 「怒ってない。……おれァ結構変人な自覚あんだけど、マヨさんも結構変な人だなぁって思ってただけだよ。てーか怒った方が良いのはマヨさんの方でしょ」 「はぁ。……でも、たぶん、助けてくださったのは、チリさんですよね?」 「まあ、おれっつーか、おれに由来するモンっつーかぁ……えええ、なんか普通に心配になるなぁ、ツボとか買わされないようにしてよ? 宗教とマルチには近寄っちゃだめだからな?」  不思議な心配をされてしまった。  人に流されやすい自覚はあるので、勿論ツボとマルチと宗教には気を付けているつもりだ。だが、宵央はやはり怒る気にはなれない。  彼は軽薄で、おそらく無責任だ。たぶん、本当は怒るべきなのだろう。  それでも言葉の端々に伺える人格の柔らかさを、宵央は無視できない。  はーぁ。とため息のようなものを吐きだしたチリは、タオルを放り投げて足を組む。ちらりと見えた太腿には、昨日宵央がつけた歯形が並んでいて思わず目を逸らした。 「ええと、あー……待って、まとめる。おれそういやあんまり自分の事情話さねえからなぁ……」  しばらくジッと壁を見ていたチリは、よし、と声を上げるとようやく事情を話し始めた。  曰く――。 「おれが心霊スポットに行くのは、おれに憑いてるヤツに餌を与えるためなんよ」 「……えさ、ですか?」 「そう、まあ、わかりやすく言うと餌。ちゃんと言うと死饌だかなんだか色々名前あんだけど、話が面倒になるから適当にわかりやすく噛み砕いて言うからな。超簡単に言うと、おれには面倒なヤバいモンが憑いてて、そいつは毎晩深夜零時に食事をする。この時に喰うものは、普通の飯とか動物とか野菜じゃない。死んだやつの魂とか生霊とかそういうスピリチュアールオカルトーなやつだ」 「…………幽霊を主食にしている妖怪が憑いている、ってことですか?」 「妖怪ってわけでもねーんだけど、まーその理解であってるかな」  昨日のアレ――ラブホテルの廊下を徘徊していたあの白い肉塊のようなものは、チリに憑いているモノに喰われたのだ。  ギイ、ギイ、という虫のような悲鳴を思い出す。あれは、あの異形の断末魔だったのだろう。  昨日チリが『霊能者じゃないが幽霊を消すことができる』と言ったのは、本当にそのままの意味だった。  チリは幽霊が視えるが、霊能者ではない。除霊はできないし、霊視ができるわけでもない。ただ、彼に憑いているモノが、幽霊を根こそぎ喰う――これにより、幽霊を一時的に消すことができるのだ、という。 「一時的? 食べられたら、それで終わりじゃないんですか?」  素直な疑問をぶつける宵央に、足をぶらぶらと遊ばせるチリは律儀に答えてくれる。 「それで終わりの場合もあるけど、大概は一月もしたらもとに戻ってんなぁ。幽霊の発生源なんておれにはわっかんねーから、理屈もわかんないけども」 「昨日のあの、白い塊のようなヒトたちも、また、時間が経てば戻るんでしょうか……というかアレは、一体なんだったんですか? この部屋はもしかして、その、自殺や他殺があった場所、だとか……」 「いや瑕疵物件じゃねえよ。一応公開されてる情報や噂じゃ、誰かが死んだとかそういう話は微塵もない。巷の怪談じゃ、『あのラブホテルの突き当りの部屋はやばい』『廊下を誰かが行き来してノックしてくる』『何かが走ってきて急に部屋に入ってきて夜中に顔を覗き込んでくる』とかそういう奴だった。それに悲しい由来も意味真な真相も付随してなかったなぁ」 「じゃあ、なんで、あのヒトはずっとあの廊下を往復しているんでしょう……」 「わからん。だっておれ霊能者じゃないもの」  そういうものなのだろうか。  そういうものかもしれない。  現に宵央はオバケと呼ばれるものを視ることができるが、ただ視るだけであって因果や彼らの訴えなどは微塵もわからない。目に映るものは、ただ奇怪な現象だけだ。 「ただ」  一拍置いて、チリは付け加える。 「ちょっとこの辺の人間に話聞いてみたんだけどさー。ラブホ建てる前に祠みたいなやつ、潰しちまったらしいのよね」 「え」 「まあ元々、誰が持ち主かもわっかんないような古い土地だったらしいんだけどさぁ」 「じゃあ、アレは、祠の神様の祟り、のような……?」 「ん~……いやぁ、そういうのとも、ちょっと違う気がすんのよね」  チリは歯切れ悪く首を傾げる。 「祠があった場所、今はラブホのゴミ捨て場になっちまってんだって。ふふ、考えうる限り最悪の場所だろ? 普通の店や家ならともかく、ここは人間がお戯れにセックスするだけの場所だ。そんな場所のゴミをさぁ、不浄を嫌う神様の住処にバンバン捨ててたら、そら神様も歪んでくだろうなぁって、ちょっと思ったけどね。まあ、実際アレが何だったのか、おれは知らんけど」  歪んだ神のなれの果て。  それを想像すると、あの歪な人の塊のようなものの禍々しさが、より一層増した気がした。  アレが何か、結局二人で話し合ったところで答えは出ない。宵央は霊を視ることしかできず、チリの言葉を信じるならば彼は『喰うことしかできない』のだから。  ここまではなんとなく納得した。話の内容を信じるかはともかく、理屈はわかる。  他に質問は? と首を傾げるチリに、宵央は小さく手を上げて疑問を投げつけた。 「その、餌がなくなる、というか、餌を準備できない日は、どうなるんですか?」 「え。おれが食われる」 「――え?」 「あ、肉体じゃなくてね? ええとおれの生霊? オーラ? 恐怖とかそういう感情? そういうモンがね、餌に代わりになっちまうの。まあ死ぬわけじゃねえからいいんだけどさ」 「……よくない、ですよね……?」 「いやでも死なないし。ちょっと怖いとか悲しいとかそういう感情がうっすらするだけだし」  まったく良くないし、ただ事ではない。  呆れる宵央の目の前で、へらへらと笑うことしかできない男は何でもないように『以上、巻き込んでごめんね?』と悪びれも無く首を傾げた。 「あの、僕が呼び出された理由を、まだ伺っていないんですが……」 「え、そっちも聞きたいの?」 「はぁ。一応……。僕は、なんでここに呼ばれたんですか」 「うーん、あー……ええとね、……腹がすくのよ」  ぽつり、とチリが口にする。先ほどとは打って変わり、非常に言いにくそうに、バツの悪そうな声だ。 「はらがすく?」 「そう、腹がすく。たぶん、おれに憑いてるヤツのせいなんだよ。要するに寄生してるんだよね、たぶん。だからアイツは、おれに餌を要求するように働きかける。怖いものをもっと寄こせってさ。で、怖いものが欲しいなら、寄生先のおれも、それを欲しがるようになればいい」 「ほしがる、というのは……」 「腹がすくの。なに食っても、どんだけ食っても、食欲とは別にずーっと飢餓感がちらつくの。この空腹感は、。おれはそういう身体になっちゃんてんのよ」  ――誰かが怖い思いをするのが、大好物なんだよね。  そう言ったチリの言葉を思い出し、宵央は息を飲みこんだ。  チリはさらりと告白したが、おそらくその体質は宵央が想像するよりも辛いものだ。強い喉の渇きを思い出すだけで、その辛さは誰でも共感できるだろう。  誰かの恐怖を喰わないと満たされない。  その体質を癒すために、チリは宵央をこの部屋に呼び入れたのだ。 「あー……悪いとは思ってるよ。まさかマヨさんがあんなに泣くほど幽霊嫌いだなんて予想外だった。すげー視えてるっぽかったから、多少慣れてんのかなって思ってたからさー。でもこれで全部おしまい、解散! お金は倍払うし、もう一生コンタクト取らないから安心しろ。あ、幽霊喰ってほしいって時は連絡してくれてもいい。おれ大概《八ツ辻》って居酒屋にいるから――」 「チリさん」 「うん? なに? え、なに?」  ガッと彼の手を掴む。両手で両手を握り込み、しっかり視線をそらさずに宵央は腹に力を入れる。  宵央は人間が怖い。所謂コミュ障に近い性質だという自覚もある。けれどこの時だけはそんな生ぬるい事を言っている場合ではなかった。 「僕は、その……僕は、夜が怖くて、一人だとうまく眠ることもできないんです。一人だと、いつも、怖いものが寄って来るから」 「へぇ。マヨさんそんなに怖がりなのに、幽霊ホイホイ体質なの? なにそれ可哀そうの塊じゃん?」 「そう、なんです、怖がりなんです。だからきっと、チリさんの空腹を満たすことができるんじゃないかなって、思います」 「…………うん?」 「あ、いや、僕如きの『恐怖』じゃご満足いただけないかもしれませんが……」 「え、いや、マヨさんは相当おいしかったし、おれは久しぶりに満足でつやつやよ? そうじゃなきゃご機嫌にエッチなんかしねえよ別にゲイじゃねえしおれ」 「本当ですか? 良かったです!」 「いや良くねえでしょ。マヨさんはもっとちゃんとおれに対して怒ったほうがいいからな……?」 「説明してほしいなとは思っていましたが、チリさんはきちんと教えてくれたので僕は怒ってないです」  そんな事より、今はもっと重要な言葉を伝えなければいけない。そうでなければ、この人は『もう一生会わない』と明言してしまっているのだ。 「僕は昨日、チリさんと会ったばかりで、本名も知りません。でも、たぶんもう一生あなたのような人と出会うことはないんじゃないかなって、思うんです。ええとだから……す、好きです! よろしければ、どうぞぜひ、僕を食べてください!」 「…………………ん!?」  この後宵央の意を決した告白は見事に玉砕するのだが、へらへらでもない、にやにやでもない甘い苦笑を浮かべた男に、『しょうがねえなー』と言わせ譲歩させ、連絡先を交換する事に成功した。 「いやわかった。わかったって。泣くなって。別にマヨさんのこと嫌いとかキモイとか思ってないって。ただおれはやめとけよって思ってるだけ――泣くなって! ほら、LINE交換してやっから! これね、この千同浬っての、おれね! せんどうかいり! はい、スマホ出して! いい? おっけー?」  來摩宵央は夜が怖い。  特に真夜中は最悪で、一人では震えて目を閉じることもままならない。  けれどこの日、宵央は一生手を握っていたいと思える人に出会ってしまった。  彼はへらりと笑い、からりと躱す、少しだけずるい年上の人で、そしてかなり怖いものを飼っている、不憫で強くて可愛い人だった。

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