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【2】-02
そのこぢんまりとした店は、寂れた飲み屋街から更に一本、奥に入った小道にあった。
一見ではとても見つけられないような場所だというのに、店構えは拍子抜けする程普通で不気味だ。隠れ家のような排他的な雰囲気もなければ、常連ばかりを歓迎する古めかしい色合いもない。
怪談カフェ居酒屋《八ツ辻》は、さも当たり前のようにすべての客を歓迎する、といった佇まいで扉を解放していた。
添い寝の仕事で出かけたらラブホで心霊現象に巻き込まれた上に、人生で初めて同性と性行為をしてしまった――そんな衝撃的な日から、はやくも一週間が経っていた。
必死に逃げようとするチリに泣きつき、最終的には力業でベッドに縫い付け更に泣き落としをして連絡先を手に入れた。自分でもさすがに必死すぎて引くが、彼にもう会えない未来を想像したくない。
どシンプルに恋をした、という感情的な理由もあるが、なによりチリは宵央と同じく『奇妙なものを視る人間』だった。
いままで、霊感がある人間に出会った事がなかった。
そもそも宵央の行動範囲が狭く人間とのエンカウント数が圧倒的に少ないせいもある。なにせ《獏獏》の客を除けば、友人や知人など片手で数える程しかいない。
家族には縁がない。
学生時代は視線を上げることもできず、とにかく俯いて日々をやりすごしていた。成績が良かったのは勉強が好きだったわけではなく、他にすることが無かっただけだ。
その狭い行動範囲に時々現れる自称霊感持ちの人々は、皆宵央と同じものを視てはいなかった。
彼らは本当に幽霊を視ていたかもしれない。しかし、それは宵央の視界と被ることはなく、いつも期待した分だけ落胆した。
それなのに、あの日の彼は、確実に宵央と同じものを視ていた。聴いていた。感じていた。
彼がそれにしてもくせえなぁと苦笑した時、耳を疑った。
なぁにあれ腕多くね? と自らの二の腕を摩った時、怖さと同時に歓喜で震えた。
彼は――千同浬はアレが視えている。聴こえている。同じ苦痛を共有している。
これは強すぎる親近効果かもしれない。
そんな理性的な思考も、結局は更に付加された『恋』などという盲目的な感情にねじ伏せられる。
理由はともあれ、宵央は千同浬をみすみす逃すわけにはいかなかったのだ。
(浬さんが、ちょっと押しに弱くて、良かった……)
死ぬほど悩みながら返信したメッセージ画面を眺めながら、スマホを握りしめ息を吐く。
連絡先を手に入れたものの、自分からどうアプローチしたらいいかもわからずただひたすら携帯を眺めて通知音にびくつく日々だった。
当然、そのまま無視され逃げられる可能性は大いにあったが、千同浬という少し変わった男は、思いのほか律儀だった。
浬は宵央に『ツボと宗教とマルチに気をつけろ』と言っていたが、押しに弱いのはお互い様だし、なんなら浬の方が人間に甘そうだ。
水曜日、暇?
という簡素なメッセージに、宵央が忙しいですと答えるはずもない。ありがたい事に《獏獏》の仕事も入っていない。
浬が待ち合わせに指定してきた場所は、前途のかなり不思議な喫茶店のような店だった。
BARというほど洒落ていない。カフェというほどメニューもない。では居酒屋かと言われると首をひねる。《八ツ辻》は、そんな何とも言い難い店だ。
地図通りに歩き、目的の看板を見つけ、『本日休業』の札に首を傾げたがすぐに中から明るい髪の男が顔を出した。
「時間ぴったり五分前じゃん。さすが几帳面な男はちげえわ、久しぶりマヨさん」
へらりと笑う軽薄な顔が心臓にダイレクトに刺さる。
かわいい。まずい。ぐっとくる。成程これが『顔がイイ』というやつか――。
などと動揺している宵央の心中は全て顔に出ていたらしく、苦笑した浬が『相変わらず目ぇ曇ってんのねぇ』と手を招く。
「まあ、片思いなんてやつァ最初がいっちばん盛り上がるわな……マヨさんほら、入って入って」
こうして宵央は、《八ツ辻》に初めて足を踏み入れた。
小さな前室を抜けると、すぐにカウンターが目に入る。
店はそこまで狭くないが、カウンター席がコの字型になっているのが少し特徴的だ。客側のスペースよりも、カウンター内のようがゆったりしているようにも見える。
カウンターの中には、すらりとした人物が立っていて、宵央を見止めると丁寧に腰を折った。
「來摩宵央さん、ですね? ようこそいらっしゃいました。《八ツ辻》の管理人、癸と申します」
「は、はい! ええと、はじめまして……っ」
「ふふ、千里さんのお友達とは思えない程真っ当ですねぇー見目もよろしい、大合格」
「ご、合格、ですか……?」
「ああ、いえ、別にね、顔がよけりゃすべてよしとは思っていませんがこちとら接客業ですんで、ある程度客寄せ出来るとそれはそれで結構ですねというお話なんですよ」
「は、はあ……客寄せ……?」
「……千里さん、あなた彼を呼び出した理由、何も仰ってないの?」
「え、仰ってないよ? おれ文章とか書くの面倒くさいタイプなんよねー。直接喋ったほうが早いじゃん?」
「その行き当たりばったりな性質、少しばかりでも矯正したほうがよろしいんじゃないかしらと思いますけどね……來摩さんびっくりなさってるじゃないの。お可哀そうに」
「マヨさんは大体どんなことがあっても鳩マメみたいなツラしてるよ。マヨさんそんなカチコチにならんでいいから。マヨさんさ、そんだけ視えてて、その上ビビりなら日々の生活大変なんじゃね? だからおあつらえ向きの素敵バイトをご紹介しようと思ってさ」
「いやぁ、丁度ねぇ、一人辞めちゃったところだったんですよぅ。べつにわたしひとりでも……とイキがりたいところですが、なにせわたし、少々不器用なもので。というわけで來摩さん、うちのお店でバイトしませんか?」
「…………えっ!?」
唐突すぎる提案に、宵央は珍しく大声を出してしまった。
本当に唐突だ。確かに仕事を探さなくては、と思っていたがしかし、自分に接客業が向いているとは到底思えない。
チェーン店のバイトならまだしも、このカウンターの作りでは、客と対話することも求められるに違いない。
そもそも、カフェや居酒屋に馴染みがない。宵央は友人がいないし、一人で飲み歩く趣味など勿論ない。どう考えても自分には不向きだし、自分とは縁のない世界すぎる。
戸惑いながらも己の技量の無さを振り返り、言葉を探してまた戸惑う。
……いや、無理だ。自分がカウンターの中に立っている想像ができない。いざ仕事を始めたとしても、酒の入ったグラスを割って平謝りしている場面しか浮かばない。
しかしさらりと笑う浬は、なんでもないようにあの軽い声で宵央を惑わす。
「別に嫌なら断ってもいいよ、誰も怒らねえから。でももし、ちょっとでも興味あったらさ、挑戦してもいいんじゃない? って思うわけよ。おれはさぁ、マヨさんがコミュ障なわけないでしょって思ってんだよねーそもそもガチコミュ障なら添い寝リフレキャストなんてつとまんないはずだし。立ち振る舞い上品だし。基本性格が善良だし」
「あの、でも、僕は――に、人間があまり得意では、無く、」
「あと基本おれ毎日ここで飲んでるよ」
「やります!」
食い気味に即答してしまった。
引かれるかと思いきや、浬はからからと笑い、「即答こわぁ」と茶化しただけだった。彼の感情はやはり、驚くほど軽い。
「いやぁ~愛ですねぇー……お相手が千里さんってところが本当に最悪と言いますか可哀そうと言いますかおやめになったほうがいいのにと思いますがぁー」
カウンターの中の癸は、細い腕を綺麗に組んで首を傾げて憂いでいたが、その声は機嫌よく響いた。
「しかしながら良質な従業員をゲットできたのは千里さんのおかげですからねぇ、お世話になっておりますし。うん、そうですね、一抹の望みをかけてわたしはあえて応援する所存ですよ、一緒に頑張ってこのぼんくらを愛の道に落としましょう!」
「は、はい! よろしくお願いします……!」
「返事が良い。百点」
「みとさん、採点甘くね? 面食いなの?」
「あらぁーわたしはいつでも人間には激甘ですよー」
「おれには結構きびしいじゃん……」
「千里さんはご自分が慈しまれるべき人間だとお思いで?」
「あ、思わねえわ。じゃあしゃーないか」
わはは、と笑う。不思議な会話に口を挟めずにただ見守るしかない宵央だったが、彼らの間の気安い愛情のようなものに少々うらやましさを感じた。
こうして宵央は、怪談カフェ居酒屋《八ツ辻》の臨時バイトとして働くことになったのだ。
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