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【2】-03
水曜定休、夜八時から営業、翌深夜一時まで。
これが《八ツ辻》の基本運営となる、らしい。
「來摩さんにお願いしたいお仕事は、主に飲み物と軽食の提供です。といってもグルメが集まるお店じゃありませんから、あまり気負わずとも結構ですよ。お客さん方の目的は食事ではなく『怪談』です。ああ、勿論こちらが怖い話を披露する必要はありません。みなさん、怪談を話しにいらっしゃるんですから」
癸の説明は、怪異から一歩でも距離をとりたい宵央にとって、理解しがたいものだった。
怪談カフェ居酒屋《八ツ辻》のメインは、その名の通り『怪談』だ。
しかし《八ツ辻》はエンタメとして怪談を提供する店ではなく、あくまで『怪談を話しに行く場所』なのだという。
「当店は完全著作権フリーの怪談カフェです。この場でお話された怪談、耳にした怪談の著作権は放棄されているとみなされますので、好きな場所で好きなように『この前聞いた話なんだけど、』と風潮することも、またご自身の創作等に生かすことも可能です。勿論著作権フリーですので、ご自身以外の創作怪談などは駄目ですよ。友達から聞いた話……も推奨はしません。あくまでもご自分の責任の範囲内の怪談をご提供いただくこと。これが当店のルールです」
「ええと……つまり、作り話でもいい、ってことなんですか?」
「そうですねぇ、怖けりゃ別に、なんでもよろしいと思いますよ。なにより心霊体験なんぞ大抵が勘違い、見間違い、思い違いの産物ですから。己の認識違いで出来上がった恐怖と、意図的に作り上げた創作物と、なんの違いがありましょう? というのが、わたしのスタンスですねー。まあ、どんなお話も大概の方は『本当に体験したことなんだけど、』と仰いますけどね。そちらの方が怖いでしょうから」
「……みなさん、怖い話が、お好きなんですね……」
「そういう好事家の集まる場所ですからねぇ。來摩さんは、怖い話はお嫌い?」
グラスを並べながら、癸は緩やかに首を傾げた。
きっとほほ笑んだのだろう……と思いながら、宵央は刻んだトマトとオリーブをひたすら混ぜる。
「怖いものは、全般、苦手です……だから正直、僕にこのお仕事が務まるのか、不安で」
「大丈夫ですよ~。怪談といってもね、お話したがりの素人さんが大半ですから、まあまあそのうち慣れてきますよ。大抵は白いワンピースの女と飛んでくる生首と病院に搬送されてそのまま精神科に入ってしまった友人Cくんって感じです」
「あの……」
「はい、なんでしょう?」
「…………本物の霊障が起こる、とか、そういうことはないんですか?」
怖い話をすると、幽霊が寄って来る。
そんな話を聞いたことがある。
特別怖い話をしていなくても、宵央は何故か霊障に会う確率が高い。心霊スポットに飛び込んだわけでもないのに、次から次へと不気味なものにエンカウントする。
そんな自分が、怪談が集う場所に飛び込んでしまっても、大丈夫なのだろうか――。
気弱すぎる宵央の不安に対して、癸は嘲笑することなくいつもどおりのさらりとした声で答えた。
「ご安心ください。本当にまずい話なんてね、百話にひとつ、あるかないかですよ。それに万が一怖いモノが現れたとしても、うちには優秀な清掃員がおります故に――あら、お客様かしら。來摩さん、マスクマスク」
「あ、は、はいっ」
指摘されて、慌てて黒い布マスクを装着する。
これも、《八ツ辻》のルールだ。この店に立ち入る者は、半顔を隠す。
とにかく目か口のどちらかを隠せるものなら、何でもいい。
自宅から面を用意してくる者、簡単にサングラスをつける者、仮装用のベネチアンマスクなど。何も用意してこなかった者は、店に入る前の前室で仮面やサングラスの貸し出しもしている。
怪談は著作権フリー。そして、語り手の顔も名も伏せて過ごすのが《八ツ辻》のマナーだった。
例外は癸のみで、バイトの宵央も顔を隠さねばならない。
客の大半は飲食をするので目の方を隠すが、まだ仕事に慣れていない宵央は視線を遮りたくない。よってマスクで許してもらうことにした。
からんからん、と、甲高い音が響く。
重いドアを押し開けて入ってきたのは一組の男女だ。
いらっしゃいませ――と、声を掛けようとした宵央は、不器用に固まってしまった。先に声を上げたのは癸だ。
「おや――今日はお早いですねぇ、千里さん」
男性客の方は、薄いサングラスをかけた洒落た格好の千同浬だった。本名の浬を伏せて、彼はこの店では『千里』という名を使っている。
「マヨさんの初出勤日だからさー頑張って早く起きたのよ。いや本当はさ、開店前に顔出すつもりだったんだけどね?」
「昼夜逆転改善しないと死にますよ?」
「それギリ罵倒じゃね?」
「怒られているうちが華でしょうに。……ところで千里さん、そちらの女性は?」
「ん、ああ、なんか店の前ウロッウロしてたから、お困りっすかぁー? って声をかけたら《八ツ辻》に入る勇気を奮い立たせてるオキャクサンだったからさ、背中ぐいぐい押しただけ」
「それはまた、怪しい男に目をつけられて災難でしたねぇ……どうぞこちらへ、当店は初めてですね?」
「あ、……はい……」
おずおずと店内へ進んできた女性は、店が貸し出している縁日のお面を被っていた。姿勢が悪く、少し歩き方がぎこちない。
カウンターの正面に腰を下ろした彼女に向かい、癸は優し気に声をかける。
「そう緊張なさらずとも大丈夫ですよ。怪談カフェ、などと銘打っておりますが、ごく普通に食事をしてお帰りになる方も多いですから。まずはお見知りおきを。当店は皆々様、あざなでご交流いただいております。さて、なんとお呼びいたしましょう?」
「あざな、ですか? えっと……」
「まあ要するにニックネームですね。お好きな名前を名乗っていただいて結構ですよ。わたしは癸、こちらは真夜中さん、あなたの隣のその怪しい男は千里と名乗っております」
「みずのとさん……ちりさん……まよなか、さん……」
真夜中、と呼ばれた時、思わず宵央は小さくお辞儀を返した。何かあだ名を、と言われた時に、浬が『真夜中にしようぜかっこいいから』と勝手に決めてしまった。
くるまよなか、の、真ん中を取って『真夜中』。
源氏名であるマヨも、同じ法則でつけた名だ。宵央的には別にどんな名でも構わなかったので、浬がつけてくれた名であればむしろ嬉しい。
背中を丸めた女性は落ち着かない様子で、小さな声で話す。
「じゃあ、私は、西園、で……」
「西園様、ですね。東西南北の西に、庭園の園でお間違いないですね?」
女性客に確認を取った癸は、手のひらに収まるサイズの札に、マジックで『西園』と書きつけた。
「うちは会員制とかじゃないんですがね、会員カードみたいなものだと思ってください。こちら、机の上に置いてお過ごしください。お客様の自己紹介の手間を省いてくれることでしょう」
西園の隣に座った浬も、胸のポケットから似たような札を出し、机の上に開示する。西園の札よりもしっかりとした木札には、達筆な字で『千里』と記してあった。
「さて西園さま、ご注文はお決まりですか?」
「あの…………この、店は、怖い話を、聞いてくれるときいて、」
「はい。当店は怪談カフェ居酒屋でございます。お客様の恐怖を、おすそ分けいただく場ですので、どうぞ心行くままお聞かせください」
にこやかな癸の声の後、西園は息を整えるような間を作り、そして震える声でつづけた。
「――――窓辺の女が、笑うんです」
それは、宵央が《八ツ辻》で初めて聞く記念すべき一つ目の恐怖体験だった。
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