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【2】-07

 はじめそれは、箪笥に見えた。  暗い闇の中でもわかる、真っ黒で艶やかな、小さな箪笥だ。しかし新品というわけではなく、ところどころ擦り切れたように塗装が剥げて、擦れたような跡も目立つ。  一抱え程度の箪笥が、押入れの下段にぴったりと納まっていた。  なんでこんなところに箪笥が?  衣装ケースならまだしも、観音開きタイプの箪笥など――。 (……観音開き?)  箪笥に、観音開きのものなどあるのだろうか?  食器棚なら、まだしも。  そう思った宵央は緊張しつつも、首をひねる。そしてよくよく観察した結果、その黒い木箱のようなものが箪笥ではないことに気が付いてしまった。 「――仏壇」  そしてそれは、言葉を飲み込んだ宵央の代わりに、浬が口に出してしまう。  押入れの下段にみっちりと押し込められていたものは、箪笥ではない。薄汚れた仏壇だった。 「か、いりさん、これ……ちょ、何してるんです!?」 「え、何って、開けないと中わかんないじゃん?」  信じられない事に、浬は何食わぬ顔で観音開きの取っ手に手を掛けた。  感情がない。恐怖が薄い。それは別に、悪い事ではないのではないかと思っていた宵央だが、思い違いだったと痛感する。恐怖という感情を持てない浬は、本当に普通の人間では絶対にしないような選択肢を易々と取る。 「中!? ナカとか、確認する必要ないですよね!? だって浬さんに憑いている方って、別に相手がどんなものであろうと食べてくださるんでしょう!?」 「まあそりゃそうなんだけど、気になるじゃん?」 「なりません……!」 「まぁまぁ、そんなにビビらなくても大丈夫っしょ。何があっても、別に死にゃしねえよたぶん。心霊現象でそんな簡単に人が死んでたらそれこそお国をあげて対策する筈だ。なんかあったとしても、どうせ」  どうせ、怖いだけ。  宵央としては十分な理由だが、浬にとっては考慮する必要もないものなのだろう。  しかし、彼の隣に立つと決めたのは宵央自身だ。ここまで来てしまったのだから、逆に一人で逃げる方が怖い。  今日何度目かの覚悟を決めて、浬を引き留めていた腕の力を緩める。  後ろから、ひふ、ひふ、ひふ、と、漏れ出す悲鳴のような息遣いが聞こえる。笑っているようには、宵央には聞こえない。西園と見えているものが違うのだろうか?  ぎし、と木が軋む音がする。  立て付けの悪い扉のような、ぎいぃぃぃぃぃ……という音の後に、仏壇の中から何かが一気に零れ落ちた。 「おわっ!?」  さすがに驚いた様子の浬が、慌てて後ろに下がる。  足元にバタバタバタ……と落ちたそれを、すぐに浬の持つライトが照らした。  それは大量の折れた木の札に見えた。  位牌やお札が詰まっていたら……などと勝手に怖い想像をしていた宵央は、一瞬呆気にとられる。宵央にはそれが、本当にただの割れた木の破片にしか見えなかったからだ。  だが、それが間違いだと気が付いた。  手を繋いだままの浬が、珍しく少し緊張した気配がしたから。 「…………………マヨさん、これ、なんだかわかる?」  宵央の方を見ずに、まっすぐ視線を落としたまま、浬は呟く。宵央は素直に首を振り、わかりません、と答えた。 「ええと……何か、呪術? とかに使う木、とかなんですか?」 「呪術じゃないね。でも、まあ、この状態でここにぶち込んであるべきもんでもない。これはだ」 「……そとば?」 「ああ、まあ、墓参りとかに縁がないと、わからんか。マヨさん怖い話も苦手だしな。卒塔婆ってのは、先祖供養のためのものだ。板塔婆とも呼ばれる。百五十センチ程度の薄い白木板で、見た目的にはでっかくなったアイスの棒みたいな感じだな。そこに梵字で――まあ、要するに墓に書くような事が書いてあるわけだ。命日とか、故人の戒名とかね。……ほら、そこの板見ろよ、なんか書いてあんだろ?」  浬がライトで指し示した先。そこには確かに、のたうち回ったような古い行書体のようなものが辛うじて見えた。 「……卒塔婆、っていうものは、最終的に、こうやって粉砕して、供養するものなんです……?」  干からびそうな喉を震わせ、無理やりに言葉を噤む。対する浬は笑顔こそ絶やさないものの、口調は少しだけ真面目になった。 「するわけねえでしょうよ。こいつぁ位牌やら墓やらと似たようなもんだ。故人の供養のためのものなんだから、基本はお焚き上げだろ。まあ、それがむりなら丁寧に折って可燃ごみだ。こんな風に見るからにバキバキに粉砕してごっそり保管しておくなんざきいたことない。しかも、中身がない古い仏壇の中に、ぎっしりと」 「……こ、これは、一体、どういう意味が……」 「わっかんねえけど、普通じゃない――」  浬が言い終わる前だった。  ドン!  とひときわ大きな音が響き、思わず宵央は飛び上った。  その音は更に三回、ドン、ドン、ドン! と続く。 「……上かぁ? いやどこだこれ、床、いや窓?」  浬が首をひねるように、宵央にもその音の発生源がわからない。ただ耳の奥に直接叩きつけられるようなドン! という音が、二人を追い立てるように連打される。  ドン、ドン、ドン、ドン! 「…………そんなにせっつかれても、おれァアンタたちを成仏させられる器量はねえんだけどなぁ」  苦笑のようなものを一瞬浮かべた浬は、ちらりと時計を見上げてから目を細めた。 「ま、そろそろお食事のお時間でしょ。なに訴えたいのかわからんけど、すくなくとも息もままならねえままそんなとこに突っ立ってるよか、バケモンの胃の中の方がマシかもな」 「か、浬さん、お、音が……っ」 「これ近所迷惑とかで怒られたりしねえのかな? まあ、おれァ関係なんだけども……マヨさん怖い? 耳塞いどく?」  浬は笑い、カチリとライトを消してしまう。  驚いて非難しようとした宵央の顔を両手で挟み込み、少し身長の低い浬は自分の顔の前に無理やり屈みこませるように近づけた。 「キスしやすい身長差って何センチだっけ? 十二センチ? マヨさんタッパどのくらい?」 「何、言って――」 「おら、ゴリラ、抱きしめてちゅーしていいぞ? つかなんかこの前もそうだったんだけど、マヨさんと一緒にいる時に『食事』が始まると、やったらえろい気分になんだよなぁー……マヨさんの恐怖って、媚薬入り? ほら、そっち見んな。アレの食事中は、目を逸らして無関心を貫くのがこちらのマナーだ」  キスしていいよと笑う浬の後ろで、何か黒いものが蠢いた。  宵央の位置からは、よく見えない。それでもそれが、いままでこの部屋に存在しなかった怪異であることは肌でわかる。  鳥肌が足元から這い上がる。  前回は気が付かなかった。ラブホテルで遭遇した怪異――肉塊のような首の長い女は、特に気持ち悪くひどい悪寒をもたらした。浬の話では、おそらく神様のようなものがなれ果てたものだ、という。だから、気が付かなかったのかもしれない。  浬の背後からは、夜の神社のような気配がする。 「……見ちゃ駄目だよ、マヨさん。おれはともかく、マヨさんまで引きずられちゃ面倒だ。見ない、聞かない、関わらない。それがから身を守る最低限の自衛だよ」  うっすらと目が慣れてきた暗闇の中で、明確に微笑んだ男の顔が見えて、宵央の鳥肌は一気にうなじまで駆け上がった。  怖い。みっしりと部屋に立つ人々が怖い。口を封じられひふひふと声を漏らす喪服の女が怖い。浬の背後から滲み出てくる黒いものが怖い。笑う浬が怖い。  それなのに、馬鹿な自分の身体は恐怖に震えながら興奮している。  怖い、怖い、ああ、どうしてこんなに興奮するのだろう。 「ちゅーしよ、マヨさん」  誘われるままに好奇心を押し込めた宵央は、震える唇で愛しい男の口を塞ぎ貪った。

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