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【2】-08

「びっくりしました……! 除霊できるって、本当だったんですね!」  殊更弾んだ声が、開店直後の《八ツ辻》に響く。  カウンター席のど真ん中に陣取った西園は、今日も店が用意した縁日用のクマの仮面をつけていた。  コの字形カウンターの端、西園の斜め前に座ったサングラスの男は今日もへらへらと口の端を上げる。 「いやーほんとに出来ちゃうんですよー。ま、別に極楽浄土に送ったわけじゃないんで、しばらくしたらまた復活しちまう可能性高いんですけどね?」 「全然大丈夫です! どうせあと一か月の契約だし……あ、これお金です。本当にありがとうございます!」 「いーえー。お力になれて良かったでーす」  浬はまったく親身になる様子もなくへらりと笑うが、西園はあまり気にした様子もない。ピンクの封筒を受け取った浬は、中身も確かめずに胸ポケットに仕舞った。  ……ほとんど寝ていない筈だというのに、どうして浬はあんなにいつも通りなのだろう。寝不足で顔色の悪い宵央は、黒いマスクの下でげんなりと息を吐く。  西園が借りたマンスリーマンションの一室は、聞いていた『怪談』とは違い、とんでもない心霊スポット状態だった。  確かに黒い服の女はいた。  南側の窓の前で、背の高い女はぬっとそこに立っていた。だが、他の心霊現象の数々のインパクトが強く、今でも思い出すだけで震えそうになる。  足の踏み場もないほどの『人ではないもの』の群れ。  口をホチキスで閉じられた喪服の女。  押入れの中の仏壇と、さらにその中に詰め込まれた卒塔婆の残骸。  ひふ、ひふ、と女が口の端から零す息の音と、どこが発生源かもわからない壁を殴りつけるような轟音。  霊感があるのかないのかわからないが、よくもあんな場所で寝泊まりできていたな、と感心どころか若干引いてしまいそうになる。  自分と浬が霊感を持っていたから、ひどく干渉されたのだろうか。それとも、あの心霊現象の中で唯一飛びぬけて『南の窓の前の女』だけが普通の人間にも干渉できたのだろうか。  考えても宵央には結論を出せないことだ。そう思っていても、つい無駄に思考を費やしてしまう。  ――考えたってどうしようもねえんだから、忘れなよ。  そう囁いたのは、寝具の上の浬だった。  怖さを誤魔化すように、誘われるまま口づけをした。しかし真夜中の『食事』と言う名の除霊が終わった後も、二人の身体の熱は収まらなかった。  ここは嫌だ無理だ人様の家では上着一枚も脱ぎたくない、と主張した宵央に折れた浬は、じゃあマヨさんの家でいいや、などと言いだした為、彼がこの言葉を撤回する前に手を引いてタクシーに詰め込んだのだ。  宵央の家は賃貸の古いアパートだ。  築年数という概念があるのかどうかも怪しい程寂れていて、いつのまにか大家の女性と宵央以外の住人は居なくなっていた。  風呂は追い炊きできないし、シャワーもついていないし、コンロは一口しかなく、勿論部屋は畳だ。それでも安すぎる家賃は、定職に就きにくい宵央にとってありがたい。  絵にかいたようなボロアパートを興味深そうに観察した浬は、風呂にも入らず宵央を布団の上に誘った。お互いなんの準備もしていなかったし、勿論道具も揃えていない。  うきうきゴムくらい買っとけよ童貞! と笑う浬と肌をまさぐり合い、うっかり徹夜してしまった。《八ツ辻》のバイトは夕方からとはいえ、そのまま居座った浬の存在が気になりすぎて結局一睡もしていない。  浬は宵央の家から直接《八ツ辻》に来たので、服も宵央のものだ。ちらりと目の端に浬が映るだけでも『彼シャツ』という概念が過り、ぐっと息を飲んでしまう。  宵央は昨晩から、怖いのかエロいのかわからない気持ちでいっぱいで、情緒をどう落ち着かせたらいいのかもわからない。  浮ついた気持ちのまま、任されているお通しの準備をして二人の客の前に置く。  里芋とベーコンのマヨサラダと、オクラの胡麻和え。見目も美しい小鉢だったが、褒めてくれたのは浬だけで、西園はとにかく浮足立った様子で浬の除霊を絶賛していた。 「すごいんですよ、千里さんて。ほんとにほんとに、全部綺麗になっちゃってたんです! 女も立ってないし、笑い声も聞こえないし、蛇口から黒い液体も出てこないし、トイレの電気は勝手に消えないし――」 「ん、え? ちょ、待って待って。後半なんか知らねえ話ですけど?」 「あ、別に、必要ないかなって思って……だってトイレも蛇口も、使わなきゃいいだけですから」 「……そう、かぁ?」  さすがの浬も、訝し気に眉を寄せる。  確かに、トイレもキッチンも使わないのならば霊障があっても無視できるだろう。  だが、それを言うならば、窓辺に立つ女などその筆頭ではないだろうか?  浬は昨晩、宵央にこう言った。  ――なんかあったとしても、どうせ怖いだけだ。  その恐怖を無視できるのならば、部屋の中の女など、気にしなければいいだけだ。  そういえば西園は、怖いから、とは一言も零していない、という事実に宵央は思い当たる。彼女は怖いから除霊してほしい、とは言っていない。  あの女が、。  そう言っていた。  怖いから除霊したいのではなく、邪魔だから消したい、と言ったのだ。 「南の窓に女が立ってたらさ、なんか、困る事あったの?」  浬も同じ疑問を抱いた様子だった。いつものようにへらりと笑ってはいるが、どことなく緊張した面持ちに見える。  嬉しそうに携帯を弄り始めた西園は、行儀悪く肘を付きながら答える。 「え、困りますよ? もうほんと困ってたんです。千里さんはすごく安いお金で手伝ってくれたんで、言っちゃいますけど……実は会社の都合であのマンスリーを借りた、っていうのはぁ、嘘、なんです」 「……嘘?」 「実際あの辺でお仕事あったんですけどー私バイトだし、わざわざ部屋なんか借りないですよ。お金ないし。でも、あの場所は本当にすごくいい位置で、最高だったから、それで、」 「待、って、待って待てほんと一回止まって? えーと……いい位置? え、何の話?」 「だから! あの部屋の話ですよ! 私が引っ越したいな~って適当に言ったら、友達がじゃあここはどうかなって紹介してくれて、それがすごく都合がよかったから借りたのに、南側にあんなのが居てすごく邪魔で困ってて……でも、千里さんのおかげでやっとやっと、私の挑戦が始められます!」 「挑戦……?」  宵央の勘違いではなく、確実に浬は引いていた。まだ出会って数日とはいえ、彼がこんな表情を見せるのは初めてだ。  勿論その表情の変化は微々たるもので、やたらとテンションの上がっている西園は気が付いてもいないだろう。元々、周りの人間の顔色など、伺うタイプではないのかもしれない。 「あ、そうだ、丁度いいから見てもらおうと思って持ってきたんです……千里さんっておまじないとかそういうの得意です? 癸さんでもいいんですけど……あ、真夜中さんは知らなそうだからいいです見なくて。これなんですけど……」  そう言って鞄をごそごそと漁った西園は、お菓子の箱のようなものをカウンターに乗せた。  白段ボールの、よれよれの菓子箱だ。  その蓋を彼女が取ると、覗き込んだ癸はすぐに一歩身を引き、浬はあからさまに眉を寄せた。 「げ。……ちょっとこれ、飲食店で出すもんじゃねえでしょ……」  宵央は見なくていい、と言われていたし見たくもなかったが、珍しい浬の表情につられ、ついその中身をちらりと見てしまった。  瞬間、心の底から後悔する。 「え、でも蛇のお酒とか、虫の佃煮とかもありますよね……ここ、そんなにちゃんとしたお店なんですか? だったらすいません。でも怖い話とか、気持ち悪い話とか、皆さんお好きなんですよね?」 「――お客様はね、そうですねぇ、こういうものがお好きな方も勿論いらっしゃいますが。申し訳ありません、わたしの説明不足ですね。呪物などの店内への持ち込みは基本的にお断りしているんですよ」 「え、そういうのは、書いておいてください……知らなかったのに、私が悪いみたいになっちゃうんで……」 「そうですね、申し訳ありません」  どうぞ一度箱を仕舞って、と促す癸に対し、西園は心底傷ついたように渋々と言った雰囲気を醸し出す。  宵央は、何も言えなかった。思考が停止して、上手く理解できない。  彼女が出した箱の中。  そこにあったものは、ぼさぼさの髪の毛で編まれた藁人形と、干からびた肉片のようなものにまみれた男性の写真だった。

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