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【2】-09
「ファブリーズ! 來摩さん、ファブリーズしてください!」
珍しく声を張り上げる癸に追い立てられ、慌てて宵央は前室から消臭スプレーを持ち出した。
「そこのカウンターと椅子、あとは、ああ、お面にもシュシュっとぶちまけてくださいまし! 千里さん、ちょっと、あなた何かいただいていたでしょう謝礼的なものを。あれもお出しなさい、ファブリーズですファブリーズ」
「いやファブリーズを信じすぎでしょ……そんな気になるなら今日の深夜に一回店閉めて除霊したらいいじゃん」
「本日はこれから常連様の怪談会があるのでお店は閉められません! 霊には煙草、酒、塩そしてファブリーズと相場が決まっております!」
「ぜったい塩の方が強いぜその中だと」
わははと笑う浬は、早くもいつも通りのへらりとしたテンションに戻っていた。
西園は宵央が用意した小鉢には箸をつけず、ドリンクも頼まずに帰っていった。口付けてないですから払わなくていいですよね? と、一銭も払わずに。
「席代という概念を微塵も知らない様子でしたねぇ、いえべつに、いいんですけどね……あのまま常連ぶって居座られていても、他のお客様に迷惑ですから。お席代程度で縁が切れるならば上等です」
「そんなに、まずいものを持っていたんですか……?」
消臭剤を言われるがままにふりかけながら、宵央は癸に向かって問いかける。腕を組んだ細身のマスターは、うーんと苦々しい声を出した。
「いやわたし実はそれほど呪術に明るい方ではないので、あの方がご披露してくださったものがどれだけヤバい効果があるのかなぞ知りませんよ。ですがどう見ても、喜々として他人に見せるものじゃないですね。普通は、しない」
続いて、カウンターに肘をついた浬が半笑いを零す。
「普通じゃないんでしょうよー。西園(仮)が普通だったら、飲食店で小鉢出てきて席代払わず帰るとかしねえし、謝礼を折りたたんでファンシー封筒に入れるとかしねえし、まず飲み屋の席で自分の経血まみれのブツとか出さんでしょ」
「――えっ。あの、血、まさか、その……え、嘘ですよね……?」
「ありゃ経血だよ。普通の血と臭いが違うし、血ならあんなに肉片みたいに固まらない」
「…………なんで、そんなもの……」
「おおかた『ここに血をどばっと投入しましょう!』ってレシピをビビッて経血で済まそうとしたか、勝手に改変したかじゃねえかなぁ。つかあんなやば外見の呪法なんか知らんけど、オリジナルおまじないなのかねぇ」
「彼女はアレで、何かを呪う、つもりだったんですか?」
「ま、そういうことになるっしょ。目的が呪殺か恋愛祈願かは知らんけどな。マヨちゃんこれおいしいねぇ、オクラ何で和えてあんの?」
「醤油と砂糖とごま油……あの、あれが恋愛のおまじないだったなんてことあるんですか?」
「そらあるでしょ。元々呪術祈祷なんて人殺しのもんじゃなくて、豊作やら健康祈願が主よ。何かをお願いするときは、対価が必要だ。それは古くから贄であり、人の一部で代用することだってある――と思うたぶん、いやごめんおれまじで詳しくないから知らん。その辺はみとさんの方が……みとさんさっきから何調べてんの?」
「……宵央さん、あの方が借りた物件は川沿いのこちらの物件です?」
スマホに細い指を這わせていた癸は、とある地図画面を宵央に見せる。それは確かに、昨日あの恐怖体験に見舞われたマンスリーマンションの地図だ。
「はい。ここで間違いないですが……」
「先程見たくもないのに見えてしまったんですよね、スマホケースに挟まっていた社員証がちらりと。おそらくあの方、《株式会社イーリスプロモーション》というイベント設営会社にお勤めですね。こちらの会社の立地ですが、件のマンスリーマンションからきっちり南に二キロの位置にございます」
「え」
「……あー。まじか。まじだ。見てよコレ、会社のホームページ」
すらすらと自分のスマホを弄っていた浬が、カウンターの上にそれを置く。
覗き込んだ画面には、先ほど血と髪の毛にまみれていた男性の写真と同じものが表示されていた。
写真の下には細かい文字で、このように記載されている。
――やりがいを求める方、コミュニケーション能力に自信がある方、積極採用中です(人事担当・西園)
「………………」
「………………」
「…………あの、これ、さっきの人……ですよね……?」
「さっきの人だねぇ~さて名前もドンピシャだ。あの西園(仮)は、やっぱ会社の方向に向かってなにかしらの呪術を試すつもり、ってわけだ。だから、南の窓の前の女が邪魔だった」
「その……その儀式? 呪術? は、あの部屋じゃないとできないんでしょうか」
「え、知らん。知らんけども、魔法陣とか呪文とか踊りとかそういうのが必要なんじゃねえの? そんなもん外でおっぱじめたら間違いなく通報されっだろ」
「はぁ。そうですね……でも、じゃあ、この西園さんて男性、あぶないんじゃ……」
「何かしら仕掛けられる可能性はあるだろうけど、まさか会社に乗り込んで『あんた呪われるかもよ!』なんて言ったところでどうにもならんでしょ。最悪こっちが警察呼ばれて終わりだ。本人たちにどういう事情があるのか、おれにはわっかんないしなぁ」
もしかしたら、西園は酷い男で、西園(仮)をレイプしたのかもしれない。
もしかしたら、西園(仮)は本当に心から彼に懸想しているだけで、危害を加えるつもりなど毛頭ないのかもしれない。
もしかしたら、印象と偏見で想像した通り、西園はストーカーである西園(仮)に呪われる直前なのかもしれない。
それは、彼女を追い返した《八ツ辻》の面々には、わからないし関係のない事だった。
「まぁ、うん、この西園さんてメンズが何した人かどういう人かは知らんけど、さっきの西園(仮)の呪術はうまくいかねえんじゃねえかな、とは思うよ」
オクラをもくもくと口に運びながら、いつもの調子で浬は言う。
「うまくいかない……え、なんでですか? あのおまじないみたいなもの、僕が見ても、その、随分と悪いもののように見えましたが……」
「でもあの女はさ、まだ何もしてなかったと思うんだよね。よっしゃやるぜーって思ったら、南の窓に女が立ってて呪い実行できなかった、っつーのがおれたちの推測じゃん?」
「そう、ですね……」
「でもあの喪服の女の所以は、たぶん押入れの中のものだ」
「あ」
――仏壇と、卒塔婆。
いろいろな事が重なりすぎていて、存在を忘れかけていた。
確かに、女は押入れを指差した。仏壇、卒塔婆というキーワードと、喪服は同じカテゴリーに思える。
「じゃあ、浬さんは、あの仏壇は彼女が持ち込んだものじゃなくて、元からあの部屋にあったもの、だと仰るんですか?」
「その可能性高いでしょ。あんだけ部屋が綺麗だったってことはさ、マジで一回も寝泊まりしてないんじゃない? って思う。借りた理由が『おまじないに使いたいから』なら、ベッドで寝る必要も押入れを開く必要もない」
「西園さんは……ええと、確か、」
「あの物件を、トモダチにオススメされた」
「…………その、友達はもしかして」
「いや知らんけどね? 友達さんが西園(仮)に恨みもっててわざわざあそこに仏壇仕込んだのか、元々曰くつきの変な部屋だったのか、他の誰かが関与してるのか――わっかんねぇよ、だっておれ、喰うことしかできねえもん」
あとは何も知らないと結論づけて、胸ポケットからピンクの封筒を出した浬は、札だけ抜いて封筒はちぎってゴミ箱に捨てた。
「うーん一万円 ……まあ、おれも腹いっぱい食ったし、損はしてねえか……してねえか? やっぱ言い値じゃなくて上乗せ請求したほうが良かったか?」
「欲張ると評判を落としますよ千里さん。あなたただでさえ怪しい霊能者まがいなんですから」
「ひでえな、除霊は比較的真面目にこなせますよ、別におれはなんもしないけど。ねえマヨさんこのオクラうまい、あるだけ食いたい」
「お通しを食いつくす客は帰ってください。來摩さんもお皿に盛らない!」
「あ、でも、いっぱいありますし……」
「そうやって甘やかすと調子にのりますよコレは。感情なんて知らないみたいな顔してますけど、生きてりゃ凪ぐことなんかそうそうないんですからね」
ぷんすかと腰に手を当てる癸の目を盗み、浬はオクラに手を伸ばす。それを制止できず、宵央は苦笑いでファブリーズを置いた。
後日、二人の男女が死んだ。
一人は某賃貸物件の中で、一人は会社のトイレで。どちらも自殺と結論づけられたが、そのニュースは誰に見とがめられることも無く新しいニュースに押し出されるように流れて消えた。
勿論、《八ツ辻》の面々もこれを知らない。
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