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【3】-09
さて、ここからは『怪談』的な蛇足である。
「女性のいざこざって、ほんと拗れると怖いですねぇー」
行儀悪くカウンターに肘をついた癸が、呆れたような声を上げた。
開店休業状態の《八ツ辻》は客もおらず、最近はほぼ一緒に通勤する浬も『ちょっと用事こなしてから行くから』と手を振ってどこかに行ってしまった。
開店時間が遅い店なので、二次会代わりになだれ込んでくる客が来るまでおそらくは暇だろう。暇だ暇だと喚く癸は、何か怖い話はありませんか、とついに宵央をつつき始めた。
ここは著作権フリーの怪談カフェ居酒屋だ。
この場で話した内容は、いつどこで誰に二次利用されても文句は言えないものになる。だから個人情報やばそうな話とか、許可取ってない話は避けろよ、と、浬に念を押されていた。
以上の事から自分の話はほとんどしない宵央だったが、『今は他のお客様もいらっしゃらないので特別ルール適用いたします』と癸が譲歩しだした。曰く、暇すぎてつまらないので絶対に誰にも言わないから怖い話をしろ、とのことだ。
常連客の相手をするたびに、世の中には変な人がたくさんいるのだなと思っていたが、この店主も勿論変人の仲間らしい。むしろ筆頭なのかもしれない。
仕方なく先週体験した『こっくりさんにまつわる話』を披露するはめになった。
語り終えた宵央に対し、あきれとねぎらいを混ぜた口調で癸が零した言葉が、冒頭の台詞である。
「無視、無視ですかぁ、無視ねぇ……大人になると『そんなことで?』って思っちゃいますけどね、実際の子供たちにとっちゃ本当に泣くほどの大問題なんですよねぇ。呼び出されて文句言われるとか、皆の前で晒上げられるとか、ふふ、懐かしい、そんな時代もありましたねー」
「癸さんは、いじめられた経験があるんですか?」
「まあ多少は。なにせわたし、昔から怪談が好きで好きでたまらない変人でございましたから。とはいえ他人のご機嫌を取らねば怖い話なんて集められない! と気が付いてからは目立った虐めにはあいませんでしたね。ようするにいじめなんて、会話が成り立たない相手を排除しているだけでしょうから」
「会話が成り立たない相手、ですか……」
「人間のコミュニケーションの九割は会話ですよ。セックスも殴り合いも禁じられている子供社会なら、尚の事ですね。気に入らない、なんて感情、要するに『あの子と喋っていてもつまらない、腹が立つ、むかつく』という会話不全から生じるものでしょう――とわたしは勝手に分析しておりますが、まあまあ、素人考えですからさらりと流してくださいませ」
「癸さんは、いじめられる方が会話不全の原因がある、とお考えですか?」
「いえ滅相もない。そんなことは申しておりませんよぅ。わたしはね、会話しかできないくせに相手と自分は同じものを視ていると信じて疑わない姿勢こそが阿呆だなぁ、とそう申しております、はい、要するにあれですよ、『十人十色を知らぬ子どもって可哀そう』ってこと。……人間のコミュニティに必要なものは、どれだけ譲れるかという『寛容』のお気持ちですからね」
他人は自分とは違う生き物である。
顔が違う、身長が違う、体重が違う、視力が違う、指紋が違う――それと同じように、思考も違う。
そのことをうまく理解できない子供は、異質なものを排除しようとする。
昔から『異質なもの』であった宵央は、心当たりのある話だ。
「ま、どのような理由で女子共のいじめが拗れたのかは、当人しかわからないことではありますがねぇ~。でも不思議ですね。その方――美月さん? って方、聴いた印象では來摩さんのことお好きだった様子なのに」
「え。そう、ですかね……? 時々、自分は恋愛がうまくできないとか、もしかしたらアセクシャルなのかもみたいな話をしていたので、僕はてっきり……」
「それは彼女の恋愛テクニックだったのでは?」
「え」
「女性は共感が好きですからねぇ。特に、貴方と私は同じカテゴリーなの、的な世界でふたりきりの共感です。これ、女性同士ではわりとある関係性ですよ。わかるわかる、わたしもそう! で急に仲良くなるやつですね。美月さんとやらには、來摩さんが恋愛下手でアセクシャル的な男性に見えていたんじゃないですかね。だから『ねえ、私もあなたと一緒なんだ』と共感して、じわじわと共依存に――ま、なる前に千里さんが颯爽登場してしまったわけですが。……あ、そのせいですかね?」
「……えっと……僕が今回、贄に選ばれたのは、僕が浬さんに懸想したせい、ということ……?」
「ありえますよぉ~だって來摩さん、あからさまに恋する男すぎますもの」
「え、うそ……そ、そんなわかりやすいですか!?」
「はぁ、もう完全に恋しちゃったんだって感じですから。おおかた、美月さんの前で千里さんの存在を匂わせてしまったのでは?」
「そんなことは――あっ、いや、すいません、言った……かも…………」
そういえば美月はよく『人の悩み相談をきくのが好きなんだ』と豪語していた。
マヨくんは本当に話しやすくて好き、なんでも言い合える友達、と言っていた彼女の言葉を信じていた宵央は、好きな人とは言わずとも、片思いのアプローチ方法を相談した記憶がある。思い返せばあからさますぎる話題だった。
ただ、宵央は本当に美月の事を友人だと思っていた。おそらく美月が真剣に相談してくれれば、《獏獏》を通さずともいくらでもかけつけるくらいには。
結局裏切られ、贄にされそうになった。
つくづく自分は人を見る目がない、と肩を落とす。
「そう気を落とさずに。こんな仕事してますとねぇ、まあ色々ね、変な出会いもあれば素晴らしい出会いもありますよ。どんな人間とエンカウントするかなんて確率の問題ですから。こちらがいくら心を砕いても、クソみたいな言葉しか返ってこないこともありますよ! 数うちゃ当たります! 出会っていきましょう、人間!」
「はぁ、あの……癸さんて、人間がお好きですよね……」
「ええ、はい、好きですねぇ、だって面白いもの。それにこれはわたしの持論なんですがぁ、結局人間が一番怖いんですよ」
「……人間が、一番、怖い、ですか?」
「うん、そう。いえ、怖いっていうより……厭。厭って感じですかね。よくわからない幽霊やバケモノは怖い。理解ができないから怖い。でも、人間の行動は本来理解できるはずなのに、自分では想像もつかない程の悪意をはらんでいた時、すごくゾッとしませんか? そう、ほら――美月さんが、たくさんの人を犠牲にして、日々楽しくOL生活を満喫していたお気持ちとかを考えたら――ねえ、なんだかすごく『厭』でしょう?」
確かに、宵央には想像もできない感情だ。
美月は一体、どんな感情を抱えていたのだろう。人を呪い殺し、その事実を隠した。
毎年一人、誰かを選んで正体不明の怪異に差し出した。
その罪悪感は、普段どこに仕舞っていたのだろうか。
どんな気持ちで、宵央と映画を観て笑い、仕事の昇進を祝い、今度はここに行こうなどとデートの予定を立てていたのだろうか。
それを考えると、底知れない気持ち悪さが湧き上がる。
「とはいえ人様の感情など、その口から吐き出していただかなくても微塵もわからぬものですからねぇ。吐いたところでそれが本当か確かめるすべもないわけです。つまりわたしたちがいくら考えたところで正解などわからいのですから無駄! ですね! さぁ來摩さん、マスクをしてください、お客様がご来店――と思ったら違いましたね、残念」
「――ちょっとちょっと、おれは客でしょうがよ、もっと盛大にお迎えしろよ」
「タダ酒食らいが何を仰る」
「週一除霊代タダにしてんじゃん!?」
ひどい、と喚きながらカウンターに座った男は、先ほど駅で別れた浬だった。
いつも通りの薄いサングラス姿で、『千里』と書かれた古めかしい木札をカウンターに置く。そしてその横に、A4サイズの書類封筒を置いた。
「……おや。誰ぞの浮気調査ですか? たぶん來摩さんは清廉潔白一途な男ですよ?」
「マヨさんがおれ一筋野郎だなんて知ってるっつの。興信所って浮気調査以外もやってくれんの」
「あら、そうなんです? お店でのお話ぶりから、浮気調査専門なのかと」
「そういう仕事が八割っつってたけどね。今はストーカーとかが依頼してくることもあるから、婚姻関係がはっきりしててあからさま向こうが悪い浮気調査が楽っつってた――いやアッチの仕事の話はどうでもいいわ。マヨさん喜べよ、棚橋美月生きてんぞ」
「――えッ!?」
それは、本当に思いもよらない朗報だった。
目の前で美月が消えた日から一週間、美月とは一切連絡が取れない状態だった。
添い寝リフレ《獏獏》はトラブルを避ける為、キャストと客の個人的な連絡交換を禁止している。
だが宵央は、あれから二度程美月のアパートに足を運んだ。
一切の反応がないLINEと同じく、彼女の部屋番号をコールしても、共用エントランスのオートロックが開くことはなかった。
では、美月は一体何処にいるのだろう?
「アパートには帰ってないらしい。どうやら埼玉の実家の方に居るんだってよ」
「美月さんは、無事なんですね!?」
「無事、うーん……命が助かったかどうかって言われりゃYESなんだが、無事かどうかっつーとあんま大丈夫じゃないわねって感じ? っぽいなぁ……」
「だ、だいじょうぶじゃない、かんじ……ですか……?」
「なんか、精神的にヤバい感じらしいわ。心ここにあらずっつーか、要するに精神科案件っつーか。なんでも母校の中学校の校庭で保護されたらしい。朝お子さんたちがとことこ登校すると、鉄棒の下に座り込んで、ぐらんぐらん頭揺らしてたらしいわ。今は地元の病院に通いながら実家で暮らしてるっぽいな」
「…………精神が――壊れた?」
「まあそういうアレだわな……あ、いやちげえからな!? おれがやったんじゃねえからな!?」
慌てたように顔の前で手を振る浬に向かって、宵央は無理やり笑顔を作る。
「いえ、浬さんが美月さんに何かした、とは思ってません。そもそも、美月さんがこっくりさんを決行した時は、真夜中とは言い難い時間でしたし……それに、浬さんは他人にそこまで興味はないでしょうから」
「え、うん? あーまあ、そうね。ないけれども」
千同浬は感情が少ない。他人にも、自分にも極端に興味がない。それは期待がないからであり、嬉しい楽しいという感情もうっすらとしている為だ。
自分の感情のふり幅が極端に少ないために、何かに心動かされることがない。故に、人間を好きになる事も、逆に嫌いになる事もない。
浬は棚橋美月に対して、特に何の恨みも同情も抱いていない。だから彼が彼女を意図的に襲ったり、巻き込んだりする動機もないのだ。
「こっくりさんは……あの、虫の神様みたいな方は、本当に、命までは奪わないんですね」
「んーあー……それが良い事とは限らねえけどな? なんか、自我が完全に消えるくらいぶっ壊されたら、そんなんもう生きてんのか死んでんのかわかんねえだろうよ。なんなら生活費がかかる分、家族にとっちゃ地獄だな」
「そう、ですかね……」
生きているだけでも嬉しい、ありがたい。宵央がそう思ったのは、結局は世話をしない他人だったからかもしれない。
「家族といやぁ、もう一個、ちょっと気味の悪い話がある」
「……え。何ですか?」
「いやぁさ、なんか、わざわざ聞き込みとか張り込みに実家付近まで行ったみたいなんだよ、興信所が。で、興信所なのにうっかり棚橋美月の姉貴に見つかっちまったらしい」
「はぁ……プロでも、そういう失敗はあるんですね……?」
「普段はそうそうないって言い訳してたぜ。それこそ姉ちゃんの『勘の強さ』が爆発したのかもな?」
「そういえば……お姉さんは霊感がありそうな感じでしたね。あの『こっくりさん』と交渉したのも、お姉さんだった筈ですし」
「霊感あるのは本当なんだろうな。実際おれたちも変なもん見えるタイプだから、霊感自体を否定はできねえし。で、その姉貴、興信所の職員の前にスッと立つと、何も言わずにお辞儀して、そんで顔上げた後にこう言ったんだってよ」
ありがとうございました、これでやっと完成しました。
「………………え?」
「ま、そういう反応になるよな。おれもさすがに阿保面晒したわ。姉ちゃん、すっげー笑ってたってさ。そりゃもう、心底嬉しくてたまらないって顔だったって、職員連中珍しく怯えてたわ」
「……完成した、っていうのは……」
「わからん、知らん。なんかの呪術かもしんねえし、もっと抽象的ななんかかも……あー、でもまあ、関わらねえほうがいいタイプの話題だろうな。妹があたまおかしくなって帰ってきたってのに、そんな態度取るヤツ、正気じゃねえだろうよ」
思えば、美月は姉の話をよくしたが、いつも『お姉ちゃんはしょうがない』『お姉ちゃんはほんとダメ』『おねえちゃんは変だから』と、あまり良い表現をしなかった。
その為、他人の悪口に敏感な宵央は、意図的に姉の話題が出ると話を逸らすようになった。あまり仲の良い姉妹ではないのだろうな、とうっすらと察していた。
「……あの、浬さん……もしかして、その、こっくりさんの件はすべて、美月さんのお姉さんが関わっていた、という事は……?」
「あー…………いや、うーん……無くはねえけど、でもまあ、証拠もねえよ。……アチラさんのルールは、コッチじゃ証明できねえからさ」
どこからどこまでが、怪異の思惑だったのだろう。
どこからどこまでが、誰の仕業だったのだろう。
考えても、宵央にはわからない事だ。
それでもつい、姉の感情を探りそうになる宵央の後ろで、つまらなそうに腕を組んだ癸が首を傾げた気配がした。
「ねえ、ほら、言ったじゃないですかぁ。一番『厭』なのは、人間なんですよ」
棚橋美月とその家族の事について、宵央はこれ以降一切耳にすることも、口にすることもなかった。
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