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【4】-03

 その日の浬は、わかりやすく上機嫌だった。 「マヨさん具合平気か? ほら、水飲んどけ水。悪いな、運転下手で……え、なに? そんなことない? いやいいから喋んな、ゆっくり寝とけ、今日はオールなんだから」  レンタカーで宵央を迎えにきた浬は、本人が言う程運転が下手なわけではなかった。ただ、荒れた山道に加え、宵央が異常に乗り物酔いをするタイプだっただけだ。  夏も間近だというのに、じっとりと湿った雨雲がいつまでも居座る七月。予定していた通り、心霊スポット宿泊イベントが決行される日を迎えた。  狭い車内のメンバーは、運転手の浬と助手席の宵央だけだ。  意気揚々と宵央をイベントに誘った男・ケンは、浬が同行を申し出ると途端に不機嫌を露わにし、『お手付きだったらさっさと言えよ、時間無駄にしたじゃん』と捨て台詞を吐いて以降、《八ツ辻》に来店することはなかった。  興味ないから勝手に行けば? と、プリンター印刷と思われる心霊イベントチケットを置いて。  宵央にとって浬は恋人ではないし、ケンとも付き合っていたつもりはない。それなのに勝手に浮気発覚レベルで憤慨された事についてはなんとなく解せないものの、彼の存在を当て馬状態にしていたことも事実だ。  なんとなく申し訳なさが勝り、結局イベントをキャンセルすることなく今日を迎えてしまった。  ――アイツ行かねえの? じゃあマヨさんとおれの二人きりだな。  と、妙に機嫌よさそうにチケットを振る浬を前に、やっぱり嫌ですとも言えなかった。ほぼ毎日何故か浬と一緒に寝ているとはいえ、『外泊』は出会った初日のラブホテル以来だ。  デート、という言葉がぐるぐると頭の周りを旋回し、宵央の理性を見事に叩き潰す。  ……怖い、とは思う。  けれどサイトを見た感じ、一応建物の所有者には許可を取っている様子だ。それに、宿泊イベントは今回が初めてというわけでもないらしい。  怪談でボコボコ人が死ぬなんて嘘臭い。  怪談好きの常連客はいつも口を揃えてそう言うので、宵央も徐々に『怖いけど死ぬことはないだろう』と思うようになった。ふと先月のこっくりさんの件が頭をよぎったが――いや、あの件でも、誰も死んではいない。少なくとも宵央はそう聞いている。  しかしウキウキと乗り込むという心境にもなれず、結局昨晩はほとんど眠れなかった。  酔いやすい体質に加えて睡眠不足が祟り、車内の宵央はほとんど屍同然だった。  各自現地集合で、と説明された目的地は、某県境の山の中にぽつんと建っていた。周りには一応民家らしきものが数軒見えるが、どれも人が住んでいる気配はない。  かろうじて農具を仕舞う小屋は使用されている形跡があるが、日の入り後の薄ら暗い時間にはもう、人の気配などない。  駐車場代わりの空き地には、すでに三台の車が停まっていた。 「……おれが受付してこよっか?」  苦笑いでドアを開ける浬に首を横に振り、深呼吸をしてから車を降りる。ひたすら目を閉じて水を飲んでいたおかげか、気分は少しマシになっていた。 「だいじょうぶ、です……すいません、くるま、苦手で……」 「まあ、マヨさんは車移動で遠出しねえだろうし、別にいいんじゃねえの? 立てる?」 「……ありがとうございます……」 「イーエ。あれ、おれたちが最後かな?」  空き地にはすでに、輪になるように人が集まっていた。集合時間より十分も早いが、皆待ちきれない様子でそわそわと歓談している。  彼らは皆、金を払って自ら心霊スポットに乗り込む決意をした人々だ。怖がりの宵央には、まったく想像できない感情だが、《八ツ辻》の常連客と知り合った今なら、そういう趣味が存在していることくらいは理解できた。  よろよろ状態の宵央と、支えてくれる浬が合流すると、キャップを被った男性が軽く手を叩いて注目を促した。  どうやら彼が今回のイベントの主催者らしい。 「皆さん早いっすね。十人……これで全員ですね。えー、本日は瑕疵物件宿泊イベント『縊死屋敷・恐怖の一夜』にお集まりいただきましてありがとうございます! 主催『幽ヶ夾サイト』の苦峪(くるたに)と申します。ただいまから参加者の皆さまへ、簡単にルールと注意事項のご説明をさせていただきますー。事前に配布した『イベントのしおり』はお持ちでしょうか!」  はきはきと話す苦峪に注目しつつ、参加者は皆各々パンプレットらしき紙やタブレットを掲げる。PDFで配布されたデータを、宵央はスマホで表示した。 「皆さん用意が良いですね、ありがとうございます。えー、まあ基本的にはそちらに書いてある通りですね。本日皆さまはこちらの廃墟、通称『縊死屋敷』にて一夜を過ごしていただきます。勿論電気ガス水道は不通です。灯りはこちらの乾電池式ランタンをお使いください。基本的に寝具はご用意しておりません。銘々、お好きなトコロで過ごしていただいて結構ですが、もし横になりたい場合は、えー、主催のミニバンにシェラフのご用意がありますので、遠慮なくご相談ください。勿論、ご自分の車で仮眠を取っていただいても結構です」  その他、飲み物は可、食事は禁止、室内は靴を履いたまま移動してよいが決して建物や家具を壊さないこと、汚さないことなど、基本的な注意事項を読み上げられた。  トイレは携帯トイレを利用するか、車で二十分程走った場所にあるコンビニを使うこと。室内、または敷地内で用を足さないこと。  覚悟はしていたが、思いのほか制約が多い。  朝まで問題なく過ごせるだろうか……イベントのしおりを眺めながら、徐々に不安になってくる。 「まあ、『壊さない、汚さない』を念頭に置いていただければ結構です。騒ぐなとは言いません。御覧の通り、周りには民家もありませんから。タイムスケジュールはシンプルです。まずは広間で怪談会……といっても、我々が一方的に語るだけですよ。みなさんは膝を抱えて聞いてくださるだけで大丈夫。その後屋敷をぐるっと案内してから、お待ちかねの自由時間です。各々静かに廃墟を楽しむも良し、怪談会の続きをしても良しです。ただし街から結構距離がありますから、救急車を呼ばなきゃいけないような事は控えてくださいね。それではみなさん覚悟はよろしいですか? 何か質問ありますか?」 「……質問って程でもないんすけど」  そう言って軽く手を掲げたのは浬だ。  苦峪は特に驚いた様子もなく、慣れた調子で『はいどうぞ、えーと……チリさん、ですね?』と浬を促す。  浬は上げた手をスッと横にずらし、今から一夜を過ごす筈の平屋の廃墟を指差した。 「会場って、あの家っすよね? どう見てもこっち側が表っぽいんすけど……玄関って裏にあるんです?」  ――言われてみれば、それらしき戸が見えない。しかし裏手に道や庭があるようには見えず、まるで『家が後ろを向いている』かのような違和感があった。  参加者の疑問は、想定内であったのだろう。よくぞ気づいたと言わんばかりに、苦峪はパン、と手を打つ。 「はい、そうです! こちらが表で、要するに家の正面ですよ。裏手は山で、この家には勝手口もありません。そうです、そうなんです、この屋敷には」  ――入口がない、家。  その不気味さに、宵央は早くも今日この場所に辿り着いてしまったことを後悔した。

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