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【4】-07

「えっ、なん、なんで、だって、ここから入ってきましたよね!? わ、わたし、足が短くてっ、ハネちゃんが引っ張ってくれて、それで、そこの壁に、ぶつかって……え? え?」  狼狽する敷井の気持ちは最もだ。正直宵央も、彼女が混乱していなければ同じようにパニックになっていたかもしれない。  ただ目の前で泣きそうになっている女性の横で、宵央が泣き叫ぶわけにはいかない。《獏獏》でも《八ツ辻》でも、客が動揺したときは巻き込まれないように、と、それだけはいつも心がけていた。 「敷井さん、大丈夫です、ええと……ほら、台所にも、窓はありました! まずは、落ち着きましょう」 「は、ハネちゃんは!? ハネちゃんは、どこ行っちゃったんですか!?」 「中に居ねえなら外かな。とりあえず息吸って吐いて落ち着け、外には主催の車があるし、むしろ外にいる『ハネちゃん』の方は安全かもしんねえよ」 「安全!? な、中は安全じゃないの!?」 「息を、吸って、吐け、いまあんたが取り乱しても、いい事はひとつもねえよ。しっかし、あー……いま二十時? だっけ?」  まずいな、と浬が呟く声が聞こえ、思わず宵央も息を飲む。  屋敷の中で、何かおかしなことが起こり始めている。霊感があるとはいえ、宵央も浬もほとんど視ることしかできない。  頼みの綱は浬に取り憑いているというであるが、食事時間はいつも真夜中だ。 「まあ、死ぬこたねえよ、たぶん。あの主催だって、今まで似たようなイベントしてきてんだろ。この屋敷も今回が初めてってわけじゃ――」 「は、はじめて、です……」 「うん?」  蚊の鳴くような敷井の声は、依然震えていて痛ましい。しかし先ほどよりは落ち着いた様子で、意図的に息を吐き切ってから話し始めた。 「初めてなんですよ、この、家でのイベントは……ハネちゃんが、そういうの詳しくて、すごくたくさん調べてるんです。千葉県の心霊屋敷とか、妊婦の落書があるラブホテルとか、すごく詳しくて……で、でも、ハネちゃん、こんなとこ知らないって言ってました。検索しても出てこないし、それっぽい怪談も見当たらないから、掘り出し物かもって、言ってて……」 「……マジか。じゃああの一家四人縊死の怪談も、初耳?」 「って、言ってました、さっき。あんな話知らないって……でも、家とか廃墟なんて、ほんとうにたくさんあるじゃないですか……大きな犯罪でもないかぎり、人なんて、どこでも死んでるし、だから、知らない怪談聞けてラッキーだったな、みたいな感じで」 「……怪談マニアも知らん心スポねぇ」  震える敷居の背中を支えながら、宵央は浬に向かって小さく囁く。 「浬さん、あの……もしかして先ほど聞いた怪談って、全部、嘘なんじゃないでしょうか……」  心霊マニアも知らない家。初耳の怪談。それに加えて浬の目にも、宵央の目にも、怪談にまつわる家族の霊は見えない。 「作り話っぽいとは思うけども、断定はできねえよなぁ。おれそういうの詳しいわけじゃねえし。ペストさんか猫さんあたりに訊きゃもうちょい詳しくわかりそうなもんだけど、さっきから携帯県外なんだよな」 「…………えっ? あ、ほ、本当ですね……え、か、浬さん、これ、ちょっと本当に、まずいんじゃ」 「まっずいわなぁ~どうすっかなぁー……うーん、でもまぁ端っこで蹲って耳と目塞いでりゃやり過ごせんじゃねえの、とは思うけど、如何せんこの場所の危険度がわからん。なんせ自称心霊マニア曰く情報ゼロだ。でっち上げの心スポでここはただのそれっぽい廃墟ですぅーってんならそれでもいいが、実際霊自体はわんさか居る。主催問いただそうにも、外に出る手段がない。ほら――ここも駄目だ」  台所まで戻った宵央達だったが、やはりそこにはあったはずの窓はなく、当たり前のように暗い土壁が存在するだけだった。  中央に残していった座布団はなぜかぐっしょりと黒い液体に濡れ、ほのかに潮のような、腐った卵のような臭いが漂う。  今にも倒れそうな敷井を支えることで、宵央自身もどうにか意識を保っていた。  一人きりだったならば、情けなく蹲り泣き出していたかもしれない。 「……ここ、よくねえな。さっきの廊下の方がまだマシだ。他の奴らに声かけて、全員で固まって朝を待つ方が――」  浬がそう言いかけた時だった。  耳を劈くような悲鳴が響いた。  敷井でも、宵央でもない。悲鳴は屋敷の中央――仏間から上がったようだ。 「次から次へと忙しいじゃん……?」  呆れたように声を零した浬は、ため息ひとつついたあとに早足で仏間に向かう。慌てて敷井を引き摺りながら追いかけた宵央は、足をもつれさせながらもなんとか走った。  怖い。怖い。怖い。それでも、浬を一人にするわけにはいかない。  浬には恐怖が無い。故に、危険な場所に平気で飛び込んでいく。痛みや恐怖は人間にとってのセーフティーガードだ。その感覚が壊れている浬は、ブレーキを知らない車に等しい。  居間と仏間に繋がる襖を勢いよく開けた浬は、あまりにも場違いなへらりとした顔で『わぁ』とだけぼやいた。  それから、もう一言。 「…………サイアク」  敷井と共に浬に追いつき、その肩口から部屋の中を見渡す。抱えた状態の敷井が『ひっ』と悲鳴を零す。同じく宵央も、思わず息を止めそうになった。  仏間。  先ほど見た時には、そこには頭陀袋を被った全裸の女たちが壁際にずらりと立っていた。  しかし今あの女たちは、中央に向かって輪になって立ち、畳の上をじっと見つめ、頭をゆらゆらと揺らしている。ゆらゆらと彼女たちが揺れる度に、畳がぎし、ぎしと小さく音を立てる。それに加えて宵央の耳には、カチ、カチ、カチ、と何か固いものがぶつかるような音が聞こえた。  この部屋で降霊術を試みていた男女は皆、各々床に蹲って震えている。先ほどの悲鳴は、押入れの下段で蹲る若い女性のものだろう。  彼らには、あの女は見えていないのかもしれない。皆頭をかかえ、絶対に何も見ないようにと目を瞑っている様子だった。  カチ、カチ……カチ、……カチ。  なんだろう、この音は。小石をぶつける音にしては小さい。もっと、軽くて堅いものが、擦れるような、触れ合うような。 「――…………歯、の音?」  やっとその音の原因に宵央が思い当たった時、頭陀袋が全員一気に宵央の方を向いた。  歯だ。  あの音は、歯をカツカツと鳴らず音だ。それに混じるように、舌が口内を打つような音が小さく響く。うまく発音できない人間が、一生懸命話そうとしている。そんな風な不器用な音。  やがて、鼻にかかったような低い、くぐもった不気味な声が宵央の耳に届く。 『みぃ……』 『ふ……へ……』 『た………み……つ、』 『み、つ、け、た』 「マヨさん、息しろ馬鹿!」  バン! と背中を叩かれて衝撃で止めていた息を吐いた。無意識に呼吸を止めていた宵央は、弾かれたように咽る。膝をつく宵央の上から、珍しく声を張り上げた浬が叫んだ。 「敷井さん、ダチの荷物もって来い! 塩と酒くらい持ってきてんだろ心スポマニアなんだから! マヨさんは」 「…………は、はい!?」  急に酸素を吸い込んだせいでぐらぐらと視界が揺れる。身体が熱い。その上浬が意味の分からない指示を飛ばすものだから、宵央は本当に倒れた方がマシだったのではないかと泣きそうになる。  隣で蹲っていた敷井は、浬に怒鳴られて飛びのき、その勢いで子供部屋まで走っていった。 「聞こえなかった? あの、女たちが囲ってる場所を、掘れ。いや畳を上げるだけでいいかも。たぶんあそこ、なんかあるぞ」 「ほ、掘る、はい、掘るのはいいんですが、か、浬さんはっ」 「おれはちょっと無茶する予定だけど、まあ死なねえよ気にすんな。おれには■■■さんが憑いてんだから。いいかマヨさん、寄生生物ってのは、宿主を殺さない。棲み処が死んじまったら困るのは寄生してる方だからだよ。基本的には相互扶助の関係性が望ましいわけだからなぁ。……ま、たまにはこっちの我儘に付き合ってもらってもいいだろうよ」 「わ、我儘、とは、あの、浬さん、何を、」 「おれの切り札は真夜中限定だ。宵の口じゃ動いてくれない。だからちょっと、引っ張り出す」  宵央が更に詰め寄ろうとした時、廊下の奥から敷井が走りながら叫んだ。 「あ、あの! 塩、塩ありました……! たぶんこれお酒だと思う……っ」 「お、僥倖じゃんーやっぱマニアってのはこうじゃないと。敷井さん、この件片付いたらハネちゃんて人にさ、紹介したい店があるからよろしくな。……マジでいい酒持ってんなぁ」  苦笑を零しつつ、浬は日本酒らしき小瓶を一気に煽る。そして口に含んだ酒を吹きだすように自らの身体にかけた。  おそらく宵央は、浬を止めることはできない。  本当に危険ではないのか? 一体今、何が起こっているのか? これから何をしようというのか?  そのほとんどすべての疑問に、浬は答えてくれないだろう。  宵央がいますべきことは、彼の要望に一刻も早く応え、そして浬の身の安全を確保することだ。  覚悟を決めて仏間に駆け込んだ宵央は、ゆらゆらと揺れカチカチと歯を鳴らす女たちの輪の中心に飛び込む。  一気に異常な寒気と、ひどい土の臭いが宵央を襲う。頭から堆肥を被ったようなじっとりとした嫌な不快感だ。しかしそんなものに臆している余裕は持ち合わせていない。  息を止めて、畳のヘリに指を突っ込む。  古く腐りかけて乾いた畳は、宵央が想像していたよりもあっさりと持ち上がった。  畳の下を掘れ――浬はそう言ったが、土を掘る必要はなかった。  畳を避けた下には、小さな空洞があった。五十センチ四方ほどの、浅い穴だ。  そこに、パンパンに膨れたビニール袋が詰まっていた。  不透明な白いビニール袋からは、何かとがったものが飛び出している。それが枯れた花の茎だと気が付いた時だ。  宵央の腹のあたりに、何かが巻き付いた。何か――いや、これは、のっぺりとした長い腕だ。 『みつ、みつ、みつけた、みつけた、ので、かえります、かえります、みつけた、ので、かえります』  低く抑揚のないぞわりとした声が、肩の後ろから聞こえる。  べったりと抱き着いた何かが、宵央のうなじに息を吐きかける。べたべたした粘着質な悪寒が背中を駆け上がり、息どころか心臓まで止まりそうに思えた。 『みつ、みつけ、みつけたので、ので、かえります、かえります、かえりま、かえりましょう、かえりま、しょう、いっしょ、いっしょ、いっしょに、さあ、さあ、みつけた、みつけた、みぃつけたぁ、かち、かちぃ、かった、かった、かったかったかった』 「……かくれんぼ勝負仕掛けたのは、マヨさんじゃねえよ。ちゃんと誘った相手とだけ遊んでろ」  少し遠くで、浬が笑った気配がする。  宵央はもう振り返ることもできない。パン、と乾いた音が響く。浬が柏手を打つ音か。 「悪いね、たぶんあんたらも巻き込まれただけなんだと思うけど、おれは手加減ってやつができねえからさ。まあ、あとで、良い寺紹介してやるよ」  もう一度、乾いた音が響き、そして。  背中に巻き付く何かよりも、一層おぞましい気配が一気に、仏間の中に満ちた。  そういえば浬はいつも、真夜中の食事中は『目をつぶれ』と言う。もしくは『おれを見てろ』と頬を掴んで笑う。  故に宵央は、浬に憑いているものを視たことがない。一度もない。今までもこれからも、一切視たいなどと思わない。気配だけでもおぞましく恐ろしいのだから、そんなものを視認しようなどと冗談でも思えない。  それなのに、宵央はこの時、目を瞑ることができなかった。

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