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【5】-06

『というかあなた、やっぱり、気がついていなかったんですねぇ……』  げんなり、と、やっぱり、の中間のようなため息を吐いた癸の顔が、見ていなくても目に浮かぶ。 「え。え? ちょっと、待って、何言ってんの……だってマヨさん、全然普通に生きてんじゃん? そんな、ハンデの話なんか、」 『彼の人生は決して普通じゃありませんよ。過去の愚痴をぐだぐだと仰るタイプではありませんから、詳しくは知りませんが、時折こう言っていたじゃありませんか。「」と』 「…………え、あれ、霊感のことじゃなかったの……?」 『勿論、霊感の事でしょうね。來摩さんはおそらく、霊感が強すぎて人間の顔が認識できないのでしょう』 「霊感が強すぎて?」 『まあわたしも専門家ではないので断言はできませんよ。でもね、彼おそらく、人間の感情やオーラ? のようなものまでしっかり視えてたんじゃないですかねぇ。生きている人間だって生霊を飛ばすって言うじゃないですか。強く誰かを呪わなくても、感情なんてものは誰だって持ち合わせております。そういうものがどうも、顔の周りに漂っている。そういうものがしっかり視えてしまうので、その下の本来の顔が一切見えないのでしょうね』  そんなことがあるのだろうか。  いやまず、宵央にそんな素振りはあっただろうか?  幽霊をひどく怖がり、震える宵央は容易に思い出せる。その様があまりにも印象的すぎて、そりゃ普通の仕事は難しいよなぁおれだって根無し草だもの、と勝手に共感していたが――確かに、思い当たることもある。 「あー……そういやマヨさん、他人の外見? 特に顔の話は、しねえわな……。なんかルッキズムとか一切興味ない偉い若人だな、的な感じで『性格』として処理してたんだけど、あれってもしかして、マジでただ顔見えてなかっただけ?」 『おそらくは』 「……わぁ……。いや、うん、そうね……言われてみりゃそりゃ《獏獏》はマヨさんに向いてるな……」  來摩宵央は比較的インドアな性格だ。  外見はアジアアイドルに混じっても遜色ない程の美丈夫だが、とにかくネガティブで会話能力も高いとは思えない。根の真面目さと善良さでどうにか好感度を稼いでいるタイプだ。  なんで添い寝なんて風俗手前な接客業やってんだろ、と、ふんわり疑問には思っていた。  霊感体質が過ぎて普通の生活がままならない、という事情は理解できる。  浬は特に怖いと思わないので支障はないが、あれだけ臆病な性質なら昼間に遭遇する怪異をスルーすることもできないだろう。毎日決まった時間に決まった場所に出勤する、というルーティンがうまくこなせるとは思えない。  しかし随時予約を取る添い寝リフレの《獏獏》なら、万が一怖いを思いをしても次回から場所や人を避ければ済む。  さらに他人の顔が認識できない、というリスクも、《獏獏》ならば問題ない。  実際に予約した浬は、《獏獏》のシステムを知っている。  連絡はSNSツールで、基本的に必ず名前を名乗り、待ち合わせでは服装と場所を頼りに行う。顔が認識できないとしたら、このシステムは宵央にとってとても便利なものだったに違いない。  そして《八ツ辻》のバイトについても同じことが言える。  本名・素顔禁止のルールを徹底している《八ツ辻》は必ず仮面をかぶり、あだ名を名札のように提示する。  おそらく普通のバーやカフェなら、宵央は常連の来店に気がつかない。  しかし《八ツ辻》は仮面と名札付きだ。元々人の顔がわからない宵央にとって、非常に都合のいい職場ということになる。 「マヨさん添い寝もバーテンもそんな向いてねえ感じなのに一生懸命頑張ってたのって、マヨさんの体質にとってくっそ都合よかったからかぁ……」 『そう思いますよ。人の声というものはね、案外聞きわけ出来ないものです。人は声から忘れると言いますしねぇ』 「え、じゃあなんでおれだけ例外?」 『あなたは都度感情を喰われおいででしょう、真夜中の怪物さんに』 「……ああー……はい……仰る通りっすね……」  それで、と浬は肩の力を抜き納得する。  それで宵央は、浬のどこが好きかと訊かれたとき、真っ先に『顔』と答えるのか。  癸の言う通り、浬の感情は顔を覆う程強くはないのだろう。己の自我が希薄である自覚がある故に、あまりにもすんなりと腑に落ちた。  昔、ペスト医師――隠岐が《八ツ辻》で語っていた自説を思い出す。  曰く、幽霊とは感情の一種ではないか、という話。この話をぽろりと口から零すと、運転中の九がけらけらと笑う。 「あー、ぺスたんそういう考察系好きだよねー。なんだっけ、幽霊は強い感情が科学のルール外で存在しているために、人間の生活圏にまで影響を出してしまった結果の産物? だっけ?」 「適当に聞いてたから覚えてねえよ……」 「要するにさぁ、あたしたちが日々作り出してる『感情』ってヤツにもちゃんと単位とかデカさがあってさ、それがデカすぎると見えたりしちゃうんじゃねえの、それが心霊現象とか生霊とか呪いじゃねえの、って話よな?」  感情には数値がない。それは科学的には量れないし、どれだけ悲しもうとも喜ぼうとも、現実の物質は一切変動しない。感情は科学的には存在していないから。  けれどそれが人間の測れない場所では存在しているとしたら。それを見ることができる人間こそが、霊感持ちだとしたら。 「幽霊って死んだ人の感情で、生霊って生きてる人の感情。そう定義するとさ、確かにマヨちが『感情が視えてる』っての、別に変なコトじゃないような気がするよねー。人間の顔が見えねえってすんごいしんどそう」 「そうなん……?」 「アンタは超無神経野郎だからわっかんねーだろうけど、人って顔色伺いながらコミュニケーション取るもんなだよ」 『普通に会って話すのは問題ないけれど、電話は苦手って方も多いですよね。顔が見えないと、間合いも取りにくい。おそらく來摩さんにとって千里さんのその非常に軽薄な表情は、とても貴重なものだったのでしょうねぇ』 「みとさんはなんでマヨさんの体質知ってんだよ……」 『ご本人に直接質問しましたので。あなたもしかして人間の認識しんどいです? と』 「……おれは自他共に認める無神経野郎だけどさぁ、みとさんも相当じゃない……?」 『雇用主として、従業員の力になれるのならば配慮したいと考えた結果ですよ。むしろあなたこそ、よく気づかずにいられましたね?』  しかし言われてみれば、初めて会った日の翌朝、必死の形相で泣きつかれて連絡先を奪われた件についても納得できる。  おそらくほとんどの人間の顔が判別つかない宵央にとって、浬はあまりにも貴重な人間だったのだろう。  はあああ、と深い溜息がスマホから流れ出る。癸は普段から浬には塩対応だが、今日は特に呆れかえっているのだろう。 『わたし、常々申していましたよ。千里さんのそのちゃらんぽらんなところ、きちんと直したほうがいいですよと。もっと自分と周りを大切になさいと』 「アッ、ハイ」 『あなたはバケモノではなく、生きている人間です。真夜中に一旦喰われたとしても、誰かと過ごし何かにぶつかるたびに感情とは湧き上がるものです。生きてりゃね、心が凪ぐことなんてそうそうないんです』 「……肝に銘じます、はい」 『おや、今日は物分かりがよろしい返事ですね』 「いやぁ、そりゃ、あんだけ一緒にいて、そんな大事なことに気づかないことなんかある……? って話じゃん……。さすがに己のポンコツさにビビるよ……」 『はぁ。あなたも落ち込むことなんてあるんですねぇ。來摩さんすごいですねぇ』 「なんでそこでマヨさんの名前出てくんの」 『千里さんがしょげているのは、來摩さんが秘密を明かしてくれず、尚且つ己も気がつかなかったからでしょう? あなたべつにわたしの性別も、九さんの私生活も、そんなものどうでもいいでしょうに、來摩さんの事となると無視できないんだなぁすごいなぁよくぞここまでこのポンコツを骨抜きにしたなぁ、の意味の賞賛ですね』 「逐一説明してもらえてありがてえよ……え、つかおれってもしかしてマヨさんのこと結構好きなの!?」 『……あなた、たいして興味のない方の家に毎晩おしかけていたんです?』 「いやその、居心地いいし、そういう意味では好きっちゃ好きだよ? でもほら、マヨさんは浬さんにラブじゃん? でもおれはマヨさんと同じ意味でマヨさんのこと好きな自覚なんかねえし、」 『別に同じじゃなくてもいいですよ?』 「え?」 『というかわたし常々思っているんですよ。人は個体差が大きい生物ですよ。視力、握力、利き手、身長、体重、外見全て同じ人間なんて居ないのですから、考え方や感情の大きさなんかも勿論十人十色です。違って当たり前なんです。大切なのは、他と比べてどうかではなく、あなたの中でどうか、というところです』 「……おれのなかで。おれのなかで? ええと、一般的に恋愛感情かどうかみたいな他人との差異はどうでもよくって、おれの中のマヨさんがどういう立ち位置にいるかが大事、的な?」 『千里さんにしては真面目に飲み込んでいるじゃないですかぁ、えらいえらい』 「おれのなかの、マヨさんの位置……」 『今まさに來摩さんが十堂家の人々に理不尽な扱いを受けている可能性が高いわけですが、そのことについて千里さんのお気持ちは?』 「は? マヨさん泣かしたらぶっ殺す一択だけど?」 『……あなたの愛情、物騒ですねぇ。まあ、らしいといえば、らしいですよ』  また呆れられるかと思いきや、電話口の男か女かいまだにわからない人はからからと笑う。 『ごちゃごちゃした言い訳みたいな自己愛をとっぱらっちゃうと、感情ってストレートになっちゃうんですかね? ともかく、故に來摩さんが「千同浬に似ているから」という理由で篭絡される可能性は皆無です。あなたにゾッコンであるという信頼を差し引いても、彼にとって他人の顔の造形の良し悪しは関係ないですからね』  そういえば、そんな話をしていた途中だった。  あまりに衝撃的な事実すぎて、元の話題からかなり脱線していたことすら忘れていた。  今自分は、十堂家に向かっているのだ。そのことをふと思い出す。  うっすらと胸の中に湧き上がる嫌悪感は、両親に対してのトラウマが所以だろう。実をいうと実家にはできれば近づきたくない。しかし、勿論行きたくないからやめるなどという選択肢はない。  浬はおそらく、宵央が居ないと困るのだ。 「……居ないの困るの、おれの方かぁ~……」  マヨさんはおれのこと好きすぎて大変だな、などと他人事のように思っていた。しかしおそらく、彼が居ないと困るのは浬の方だ。  宵央が居ないと浬は困る。  宵央の隣はひどく心地が良くて、少し呼吸が楽だから。彼の作る料理は美味く、もうコンビニ弁当では舌が満足しないから。挑発すると比較的容易に理性を手放す彼に求められる行為が、思いのほか気持ちいいから。  宵央が居ないと浬は困る。困るから、湧き上がる嫌悪感をねじ伏せて息を吐く。 (性格も生活も、ちょっとくらいは改めなきゃなぁって思うけど) (マヨさんいねえと、意味ないからさ)  だから無事でいてほしいと心底――おそらく生まれて初めて心から真剣に願った。

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