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【6】-04

「え、あ、え!? か、浬さん!?」  思わず声が裏返る宵央に対し、物騒なものを振り上げたままの浬は岳を睨みつけながら叫ぶ。 「っぶねえな!? そんなモン振り回すんじゃねえよマヨさんの顔に傷がつくじゃねえかよくそが!」 「に、兄さ――」 「つかおまえ病弱設定じゃなかったの!? マヨさん結構ゴリラなんだけど縛り上げて虐待って体力ありすぎだろ、どうなってんだよ!」  それは宵央がうっかり睡眠薬を飲んでしまったからなのだが、話がややこしくなりそうなので余計な言葉はぐっと飲み込む。  浬は宵央と別れた時と同じ服装で、宵央が思っていたよりも健康そうだった。  ただし、いまだかつてない程明確に不機嫌だ。  不機嫌というか、そう――浬は、『キレて』いた。  バッドで力任せに弾かれた岳は、思いのほか派手に転倒する。しかしバッドで床にドン! と立てた浬は、語気を緩める気配はない。 「ひっさしぶりだなァ岳、久しぶりすぎて顔なんか忘れちまったけどまあ本人なんだろうよ。つーかマジで勘弁しろよ、こちとらやっとトラウマとして思い出処理したっつーのに、のこのこ出てきてひっかきまわしてんじゃねえよ、そんでマヨさんは何でのこのこ拉致られてんの……ッ!?」 「え、アッ、す、すいません……! 浬さんのご実家に行けばお会いできるかと思って、つい!」 「ついじゃねえよ連絡しなかったおれも悪ぃがせめてみとさんに相談してから動け馬鹿! 心配すんだろ阿保! 生まれて初めて心臓がヒュッてしたわ寿命縮まるってああいう感覚なんだな!?」 「あ、あの、浬さん、どうしてここに……」 「あぁ!? 懇意の有能野郎どもが『マヨさん行方不明になったけどたぶんおまえの実家にいるよ』っておぜん立てしてきたから駆けつけたんだけど、おれ邪魔だった!?」 「とんでもないです……! た、助けてくださってありがとうございます……っ!」 「……ウン。無事でよかった、マジで、本当に」  ひとしきり叫んで落ち着いたのか、浬のテンションは少し下がる。そのまま倒れている岳に向き直ると、彼の目の前まで進みしゃがみ込んだ。 「……で、なんでおまえ、マヨさん誘拐したのよ。マヨさんなんか金もないし大した価値もねえぞ? ちょっと美人で料理ができてカワイイだけなんだから、この家にとってはどうでもいい人材だろうがよ」 「………………僕は、」 「お前のせいだろッ!」  唐突に闇をつんざく声が響いた。しわがれた、耳障りの悪い女の声だ。  それは障子戸に爪を立てる、岳の母親だった。  十堂岳の母親――つまり、千同浬を井戸に落とした女。  彼女の後ろには、だらりと脱力したように立つ男性の姿が見える。おそらくは父親――千同浬を井戸に落とした男。  女は廊下にぺたりと尻もちをつきながらも、今にもつかみかかりそうな勢いで喚く。 「岳は、岳は、一生けん命生きてるのに、岳ばっかり不幸で……! お前が岳の幸せを奪ったんだろうがッ!」 「……はぁ? おれが? そんなもんどうやって奪うんだよ」 「ずるい、ずるい、ずるい、そうやって、なんでも持っていく癖に……! あんたの健康だって、岳がもらう筈だったのに!」 「…………っあー」  叫ぶ、女の声の後に、嫌に間延びした浬の声が続いた。 「やっぱおれ、死ぬ予定だったの?」  唐突に出てきた『死』という言葉に、宵央は思わずぎょっとする。浬は何かに納得したように頭を掻きむしり、珍しく嫌そうに息を吐いた。 「なんか、昔のおれ、たまーにすっげえ具合悪くなってた気がすんだよな。おれの記憶なんか当てになんねえけども……おれよりも岳の方が重病患者みたいな扱いだったから、自分なんて五体満足問題ない健康児って認識だったわ。……今思えば内臓どっかおかしかったんだろうよ。尿の色変だった気がするし、腎臓か?」 「……あんたが死ぬ筈だったのに……どうせ長男は、本家に取られるからって、だからどうせ死ぬからいいやって思ったのに、なんで、なんでなんでなんでなんでなんであんた生きてんのなんで岳は駄目なのにあんただけ無事なんだよッ……!?」 「なんでっつわれても知らんけど、まぁどう考えてもおれに憑いてる《禍喰み》さんのせいだろうよ。《禍喰み》さんはおれに取り憑いている。宿主を殺す寄生生物は三流だ。死亡率の高いウィルスは蔓延しないのと一緒だよ。たぶん、おれの体の悪いところも、《禍喰み》さんが喰っちまったんだろ」 「だったら最初から、アンタじゃなくって岳を選んでもらったのに!」 「だーかーら、元々は岳が選ばれてたんだよ! 岳が依り代に選ばれたのはアンタたちから子供を奪う嫌がらせの為じゃない。岳の病気を《禍喰み》さんに喰ってもらうためだ。でもそれを、アンタたちは自分から反故にした。可愛がっている息子を本家に取られると思って、勝手におれに《禍喰み》さんを擦り付けた」 「なんで……ひどい、岳は……岳は何も悪くないのに……」 「言っちゃなんだけど、おれだって別に何か悪さした記憶ねーよ。それに、岳は悪くないとしても、アンタらの罪は消えねえだろ。十二歳を底も見えねえ井戸に放り投げるとか、さすがのひいばば様もドン引きしてたからな」  十二歳。その言葉を聞いた宵央は、『ああ』と納得する。  だからこの家に残っている浬の顔を残した少年は、皆小学生くらいの年齢なのだ。それ以上に成長した浬は、もう感情を残すことは無かったから。浬には、怪異と感情を喰う《禍喰み》さまが取り憑いたから。 「いいから返せよ!」  性懲りもなく、女は浬に向かって暴言をぶつける。 「そのバケモノ岳に返せ! アンタもうそんなヤツいらないだろ!? 千同の家も途絶えた、屋敷も廃墟になった、今はもう何もない誰も居ない、アンタ別に千同の意志継いでるわけじゃねえだろ、なぁ、なぁ! 千同家ぶっ壊したのアンタだって話じゃん……そんなバケモノ、もう必要ないだろ、返せよ! 岳に返せ!」 「嫌だよ」 「なんで……!」 「いやだってこんなヤツさぁ、覚悟もなく市販薬レベルの気軽さで背負い込むもんじゃないでしょ。つーか、あー……そうか。やっと理解した。アンタら、おれから《禍喰み》さんを剥ぎ取って移しなおす術をするつもりだったわけか」 「元々、岳のものだ! 岳の体が悪いのは、アンタがそれを奪ったからだ!」 「ちげえっつの。おれじゃなくて、自分たちが選択を間違えたからだ。ひいばば様はそこそこのクソ女だったけどさ、言葉が足りない人じゃなかったよ。ちゃんと説明したんじゃないの? でも理解できなかったし、聞いてなかったんだろうなぁ……今みたいにさ」  女は変わらず、自分の感情ばかりを叫び喚いた。浬は対話を試みた様子だったが、結局肩を竦めて天を仰ぐ。 「いや懐かしいなこの感じ、わはは、はー……あいっかわらず日本語通じないのなぁ。アンタの中では本当に、おれだけが悪者で、おれが岳から健康も幸福も未来もバケモノも、全て奪ったことになってんだろうな。……いや病気かよ、マジで一回カウンセリング行けよ。息子の体なおすより先に自分の頭の心配しろよ」 「か……浬さん、あの、あんまり、煽るのは……危険、じゃないかと……」 「は? マヨさんちょっと他人に甘すぎじゃね? マヨさんあれだろ、この感じだと儀式の贄扱いだろ?」 「え、あ、まあ……」 「殺されそうになってんじゃん!?」 「でも、浬さんが駆けつけてくださいました。まだ、僕は生きてます」 「間に合う確信なんかなかった。マヨさんが今生きてんのは運が良かっただけで、おれがすごかったからじゃない。もっとちゃんと怒れ。もうちょっとでおれと再会できなかったかもしんねえのよ?」 「えっと、それは、はい……結構、かなり、怒ってます」  浬は胡乱げな顔をしたが、宵央の言葉は本心だ。  珍しく宵央は憤っていた。息子に対し容易に言葉の刃を叩きつける母親に、それを制止しない父親に、一言も口を出せずいいなりになっている弟に。兄の為などと偽り、宵央に死を迫った嘘に。  憤慨していた宵央は、普段ならば絶対に取らない行動に出た。  宵央は夜が怖く、異形のものたちが怖く、いつでも背を向け目と耳を塞ぎたくなる。だが、この時は膝で立ち、に近づくために半歩前に出る。  はまだ、尻もちをつく額の後ろに立っていた。  井戸の中の、白い老人。宵央と同じくひどい憤りを持ち、その感情を十堂の家族にぶつけるように睨む異形の人。  その唇は、今もゆっくりと動いている。  宵央は目を凝らす。心を落ち着けて身体に入り込む声を読む。そしてそれを、己の口から吐き出した。 「さ」  さ ん   に ん こ  ろ し た  い   ど の な    か  さんにん、ころした、いどの、なか。  一瞬呆気にとられたように宵央を見た浬だったが、すぐにその意図を汲み取り宵央の視線を追いかける。  そこに立つ白い老人にやっと気が付いた様子だった。浬には、今まで見えていなかったのかもしれない。 「――……あー。そっか、初犯じゃねえのか、アンタら……ごめん、ちょっとくらいは救えるかなって思ってたけど、無理だなこりゃ」  巻き込んでごめんねと宵央に対して苦笑した浬は、もう家族だった人間の方を見ることはなかった。  ただその存在の一切を無視して、ピンクのケースのスマホを取り出す。宵央の記憶が正しければ、それは浬のスマホではなく、《八ツ辻》常連客の九という女性のものだ。  どうやら誰かに電話をかけるらしい。 「――……あっ、猫さん? おつかれ、着いた? おっけ、着いたね? いい、うん、わかった後で聞くから、そっちどうよ――あ、そう? じゃあすぐに」 「……浬さん? あの、猫屋敷さんは、今どこに……」 「千同家」 「え。……え!?」 「いやぁ、実は今日おれ千同の廃墟に居たんだけどさぁ、例の井戸――おれが落とされた井戸ね? なんかマヨさん井戸のこと知ってるみたいだから説明省くけど、あの井戸ガッチガチに溶接されて完全封印されてたんだよ。大人一人じゃどうにもならんくらい。だから専門のオッサンを急遽呼びつけた」 「……猫屋敷さんて、大工さん、か何かなんですか……?」 「いや寺の住職。ちょっと溶接とか本気DIYが好きなだけの寺の住職」 「ちょっと溶接が好きな寺の住職……?」 「金はあるけど遊びに行けないから家で出来る趣味探してたらハマったんだってさ、ガチ日曜大工に。んで、今猫さんに井戸の蓋を開けてもらった」  ヒッ、と息を飲む音が聞こえた。その音の出どころは、岳だったのかその両親だったのか、宵央にはわからない。ただ――宵央も確かに、急激な空気の変化を感じた。  部屋の温度が、確実に下がっていた。  じっとりと重い空気が急に肌寒く感じる。その上なにか、鼻の奥がつんと痛む。卵が腐ったような、嫌な臭いが鼻腔を刺激した。 「――おれ、死者の声とか聞こえねえからさ。だからあのヒトが、何を訴えてんのか全然わかんなくて、もし井戸開けておれに害があったら嫌だなーどうすっかなーって思ってたんだよ。でも、マヨさんが読んでくれて助かった。……なんだよ、ずっと、おれじゃない奴に怒ってたんだなァ」  それならそうと言ってくれたらいいのに――と、浬が言い終わる前にそれは来た。  ピンポーン。  と、玄関チャイムの音が響いた。  宵央は現在の時刻を知らない。しかし十堂家の人々の反応を見るに、近所の住人が気軽に訪れるような時間ではないのだろう。  ピンポーン。  ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。  誰一人身動きできない中、チャイムを連打する音だけが響く。背筋を這い上がるような悪寒は鳥肌に代わり、頭皮から指先まで震えあがる。  何かが、来ている。  人ではない、何かが――おそらく朽ちた千同家の、井戸の中に落とされた何かが。 「……あの井戸は、聖域だ」  震え固まったままの十堂家の人々に、浬は飄々と語り掛ける。 「アンタらにとっちゃ因習のバケモノが住む井戸かもしれない。けど、千同にとっちゃ守り神様を奉る神聖な場所だった。実際あそこには一人の老人が居座ってんだよ。初代様とか野神様とか言われてる半分カミサマみたいなヤツだ。《禍喰み》を作り、《禍喰み》を守り、《禍喰み》を受け継ぐ一族を、あの井戸の中から見守ってる酔狂なヤツだ」  ひょいと屈んだ浬は、器用に宵央の腕と足の拘束を解いてくれる。身体の自由を得たというのに、宵央は一歩も動けずに視線を上げることもできない。  息をすることすら、躊躇われるような緊張感が満ちていた。  チャイムを連打する音は止み、ガラガラ……、と、引き戸が開く音がした。  入ってきた。  当たり前のように、玄関から、確実に人ではない何かが。 「おれはたまたま許されただけなんだろうなァ。先代の《禍喰み》憑きが死んだタイミングだったから、これ幸いと選ばれただけかもしれない。そうでもなきゃ、あの井戸に人を落とすなんて許されない――死体なら、尚更だ。それを三度も繰り返したとなりゃ、野神様もご立腹だ」  ぺた……ぺた……ぺた……ぺた……。  誰かが裸足で歩く音がする。一人ではない。足音は、おそらく、三人分あった。  ぺた……ぺた……ぺた……ぺた……ぺた、ぺた、ぺた、ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた! 「ひぃぃぃぃぃいいいいいい……ッ!」 「いやああああああああああッ!」  男女の叫び声のあと、目の前の障子戸がスパン、と音を立てて閉まった。廊下に残された夫妻の叫び声だけが、障子戸を隔てて聞こえる。 「やめて、やめて、やめて、こわい、こわい、こわい、もっていかないでぇ! もっていかないでぇ……!」 「いやだあ! くるな、くるな、さわるな、かえせ、かえせえええ!」 「やあああああ……いや、いやあああああ……! やだぁあああ! だめ、だめ、わたしの、かえしてええ!」  悲鳴の合間に、水袋のようなものが叩きつけられる音がする。びしゃっ、ごとん、びしゃっ、がたんっ。音の合間に、返せ返せと男女が泣き叫ぶ。 「あ……あ………」  畳の上にへばりついた岳は、耳を塞いで震えていた。無様な弟を見下ろした浬は、いまだ手に持つ金属バッドで床を数回叩く。 「――因果応報ってやつだ。あの馬鹿夫婦はお前の為に三人も殺したらしい。野神様がそう告発した。別に、お前だけが悪いってわけじゃねえだろうけどな。病は誰のせいでもない。親ガチャだって子供の責任じゃない。……でも流石にここまでひどいとフォローできない」 「……兄さん……兄さん、僕はただ、健康に……ただ、家族で、幸せになりたかった、だけ……だけで……」 「わからんでもねえよ。あのぶっ壊れた親を幸せにしたいなら、病を克服して『ほら二人とも、僕はすっかり健康だよ』って笑うしかないよな。わかるけどさぁ、もうちょっと、普通に頑張れよ。病はおまえのせいじゃないけど、あの馬鹿親捨てらんなかったのはおまえの罪だよ」 「僕は……でも、でも…………に、兄さん、母さんを助けて……! 父さんを許して!」 「いや、無理に決まってるだろ」 「でも、もうすぐ、真夜中だ……っ」  ボン……と深い音が頭上から落ちてくる。初めて聞く音にビクッと身体を揺らしてしまった宵央をちらりと見た浬は、いつも通りの軽薄な顔でふはっと笑った。 「マヨさん、柱時計知らん? 知らんか、まあ、こんな古い時計が現役なんて珍しいよな……まだ動くんだなぁ、こいつ」 「……そんなとこに、時計、あったんですね」  ボン……ボン……と時計の深い音は続く。暗すぎて、時計の文字盤は宵央には見えない。しかしボン……という音は、ゆっくりと十二回鳴った。  深夜十二時。  ――浬に憑く《禍喰み》が、食事を始める時間。 「……《禍喰み》さんは大喰らいでなんでも食う。選り好みもしなけりゃ、食べ残しもしない質だ。どんなモンでも、おもしろいほどぺろりと平らげる」 「はやく……はやく、助けてあげて……っ」 「いいのか? あの二人、《禍喰み》さんに視られたことがあるんだろ? そういうヤツは気を付けないと《禍喰み》さんに結構な量を」 「いいから、はやく、はやくたすけて……たすけて……、っ」 「……あとで文句言うなよマジで。おれはもう、お前らに関わるのはこりごりだからな」  浬のため息はいつものように軽いものではなく、深く、そして心配に成程に沈痛だった。 「仕方ねえから喰ってやろうか。真夜中は禍喰み(オバケ)の時間だ」  そして部屋中の闇から染み出すように、そのバケモノは徐々に形を成していった。  真夜中に、ただ食事をするために。

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