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3 美貌の画家(3)
城から教会へは専用の通用門を抜けた。
オステア城の隣地にある教会は典型的なロマネスク様式で、重厚な壁にトリフォラが並んだ十字型をしている。その身廊にはゆうに五百人は収容できる広さがあった。
今、そのファサードの扉は少し開いた状態で、サンティのために用意したと思われる明かりが頼りない直線を描いて外に漏れ出ている。
美貌の天才画家という噂は確かに魅力的ではあるものの、いざサンティに会う段になってみると、エドアルドの気は重かった。
エドアルドの中にはなんとなく北部人に対する苦手意識があるのだ。
イタリアの首都とはいえ、農業中心の街であるローマは所詮、田舎だった。住んでいる人間はざっくばらんで、性格も朴訥としている。ミラノやトリノといった北部の都会は洒脱で洗練されているため、その住人に対してはどうしても気後れがするのだ。
礼拝堂に足を踏み入れると、いつもはあるはずのキリスト像や説教台、無数の椅子が搬出され、中は静寂に包まれただだっ広い空間になっていた。ジブリオ家の手の者と修道士達とで全てを移動したのだろうが、相当な労力が要ったに違いない。
聖堂の奥には翼廊を挟んで内陣がある。普段ならば祭壇が置かれている神聖なその場所の中央で、一人の人物がこちらに背を向けて佇んでいた。最奥の壁を見あげているそのすらりとした後ろ姿に、エドアルドの目は刹那、釘付けになった。
(…女――――?)
一瞬だけそう思ったが、すぐに違うと気付いた。
女性と思ったのはその人物の黒髪が肘まで届く長さのためであったが、胸の前で腕組みをして壁と対峙している体格は男のそれだ。背も低くはなく、おそらくガナーと同じか、わずかに高いかもしれない。
それにしても見事な黒髪だとエドアルドは感心した。急設えの淡い蛍光灯の下でも豊かに艶めき、絹糸が作りだす滝のように波打ちながらゆったりと背中を包んでいる。
エドアルドは無言のまま近付いた。
その気配に気付いたのか、彼の頭がぴくりと動く。
やおら組んだ腕を解くと、そのまま静かに振り向く。つと投げかけられた彼のまなざしは深い森の静寂に似ていた。
エドアルドは思わず息を呑んだ。長い黒髪に包まれていたのが、噂通りに目の覚めるような美貌だったからだ。
(ああ、なるほどね)
ひとめ見て心臓をはたかれた。
そんな気がするほど、青年の美貌は人の生き血を吸っていても不思議ではないほど妖艶で、かつ神秘的だった。
美しい顔ならば見慣れているエドアルドでも気後れがするほどに、例のテンペラ画の聖母にも似て、しかし生きた人間の持つ息吹と体温があるぶん、目の前の彼は何倍も魅力的だった。
顎から耳へと伸びた中性的なフェイスライン。
やや上方へとアーチを描く整った眉と、薄くも厚くもない見目好い唇。筋の通ったほっそりとした鼻梁。加えてパールのように澄んだ艶やかな白い肌――――。
確かにそれはどこかの修道士が言っていたように、不気味なほど完璧だった。
目が離せなくなったのは印象的なそのまなざしのせいかもしれない。
長い睫に縁取られた瞳は深い漆黒を湛え、感情の読めない冷静な視線はまっすぐに見る者の心を射抜いてくる。まるでその真意を魔法で読もうとしてくるかのように。
(これは、そそられるな)
エドアルドはまさに苦々しく苦笑しながら、悔しさ半分、賞賛半分の気持ちで彼の前に立った。
サンティは獣の毛衣など着ていなかった。
こざっぱりした白いサテンシャツを胸元で軽く開き、紺のスラックスに品の良い黒い革靴を履いている。
「きみが、画家のアンドレア・サンティ?」
「ええ」
用心深く答える。サンティの声は低めのテノールで、氷柱を打ったような透明感のある響きだった。
「俺は、この城の当主エドアルドだ。きみの雇い主というわけだ、よろしく」
「はじめまして 。ディ・ジブリオ殿 」
エドアルドを表情一つ変えずに見つめてくる。その潔い仕草一つで、媚を売るタイプではない清廉な人物像が窺われた。
しかしその瞳はロシアの湖水を思わせるほどの冷たさだ。事実、彼自身が氷でできた華のようで、見ているこっちが心臓まで凍りつきそうだとエドアルドは思った。「ファースト・ネーム でかまわない。年もさほど違わないらしいからな。俺もきみをアンドレアと呼ばせてもらう。それにしても驚いたな。きみほどの美人なら大歓迎だ。道端で会ったってお近付きになりたい顔だよ」
軽い冗談に返答はなかった。
代わりにサンティの視線が床へことんと落ちて、白い額がかすかに当惑を帯びる。
いかにも口説かれ慣れているような顔をしているが、この美人は見た目によらず硬派だったりするのかもしれなかった。
「きみに似た天使を知っている。『柘榴 の聖母』の一番右端にいる、涎 の出そうな美少年だ」
思いがけなくうぶな反応を見せた相手をついいじりたくなって、そんな言葉を発していた。
「…ボッティチェリは好きではありません」
不躾にからかわれて不快を感じたのか、氷の声がさらに冷たさを増す。
「へえ? 珍しいな。きみはルネサンスの申し子じゃないのか? ボッティチェリが今に生きていたら、必ずきみをモデルにして『聖セバスティアヌス』を描くだろう。あの裸体の善がり具合が、どうもね。いろいろと感じるものがあって、いいね」
エドアルドの度を越した悪ふざけに、眉間に皺を寄せたサンティが黙りこむ。
勢いの止まらなくなったエドアルドは、さらに悪辣に絡んだ。
「きみほどの美青年を放っておくならトリノの女はよほど野暮というものだが、あちらに恋人を残してきたのか? それとも、きみの相手は男?」
図星だったのか、侮辱ととったのか、サンティの頬がさっと上気する。
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